まほろばblog

   「ドラッカー7つの教訓(前編)」

10月 22nd, 2011

           
       
       上田 惇生 (ものつくり大学教授)
        
         『致知』2003年12月号
          特集「読書力」より
              ※肩書きは掲載当時です。

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世界のビジネス界に大きな影響を与えているドラッカーですが、
その思想形成に当たっては人生の中で
七回の精神的な節目が訪れたことを著書の中で述べています。

その七つの経験から得た教訓を最初に列記すると、
以下のようになります。

 一、目標とビジョンをもって行動する。

 二、常にベストを尽くす。「神々が見ている」と考える。

 三、一時に一つのことに集中する。

 四、定期的に検証と反省を行い、計画を立てる。

 五、新しい仕事が要求するものを考える。 

 六、仕事で挙げるべき成果を書き留めておき、
     実際の結果をフィードバックする。

 七、「何をもって憶えられたいか」を考える。

最初の教訓「目標とビジョンをもって行動する」を得たのは、
ドラッカーが商社の見習いをしていた頃でした。
当時、彼は週一回オペラを聞きに行くのを楽しみにしていました。

ある夜、信じられない力強さで人生の喜びを
歌い上げるオペラを耳にし、
その作者が八十歳を越えた後の
ヴェルディによるものであることを知ります。

なぜ八十歳にして並はずれた難しいオペラを書く
仕事に取り組んだのか、との質問にヴェルディは

「いつも満足できないできた。
  だから、もう一度挑戦する必要があった」

と答えたのです。

十八歳ですでに音楽家として
名を馳せていたヴェルディが、
八十歳にして発したこの言葉は、
一商社の見習いだったドラッカーの心に火をつけます。

何歳になっても、いつまでも諦めずに
挑戦し続けるこの言葉から、
「目標とビジョンをもって行動する」ということを学び、
習慣化したのがドラッカーの最初の体験でした。

        * *

その頃彼は、ギリシャの彫刻家・フェイディアスに関する
一冊の本を読みます。これが二つ目の経験です。

フェイディアスはアテネのパンテオンの屋根に立つ
彫刻群を完成させたことで知られています。
彫刻の完成後、フェイディアスの請求書を見た会計官が

「彫刻の背中は見えない。
 その分まで請求するとは何事か」

と言ったところ、彼の答えはこうでした。

「そんなことはない。神々は見ている」と。

この話を読んだドラッカーは

「神々しか見ていなくても、
 完全を求めていかなくてはならない」

と肝に銘じます。

        * *

三つ目の気づきはフランクフルトの新聞社に
勤めていた時に訪れます。

新聞は夕刊紙だったので、彼は朝六時から午後二時までの
勤務を終えた後、残りの時間と夜の時間を使って
徹底的に勉強しました。

その時、身につけたのが

「一時に一つのことに集中して勉強する」

という勉強法でした。
テーマは統計学、中世史、日本画、経済学など多岐にわたりますが、
一時に一つという勉強法を長年、貫いています。

そのことでいろいろな知識を仕入れるだけでなく、
新しい体系やアプローチ、手法を学んだといいます。(談)

いにしえは今

10月 21st, 2011

 

元寇の座礁船が、伊万里湾の海中で発見されたという。

水軍が4400隻というから大軍団、一挙に玄界灘に現れた時の恐怖は察するに余りある。

宋代に無学祖元が、自国の能仁寺にいたとき、元の大兵に取り囲まれ、

一人端座しておられ、剣を突きつけられた。その時、

「この世のすべては空である。剣で斬るならそうしなさい。

しかし斬るといっても空を斬るのだから、電光が光るうちに春風を斬るようなもので手ごたえはないだろう」

見事な禅師の見識と度量に兵は逃げ去ったという。

乾坤、地として孤筇を卓する無し
喜び得たり、人空、法も亦た空
珍重す大元三尺の剣
電光影裏に春風を斬る

母国、宋の滅亡に遭うや、直ちに日本に渡来し、時の執権北条時宗を心血そそいで薫陶し、

彼をして二度にわたり元軍を撃滅せしめた。

時宗が、元の使いを、「・・・・・電光影裏に春風を斬る」と唱えて、一刀の許に斬首したのは、有名な話である。

700年もの長い歴史物語が、水の中から生々しい現実を伴って現れ出でた。

歴史は、常に新しいのだ。

エゾシカ料理教室にようこそ!

10月 20th, 2011

来月12日に、西区ちえりあでエゾシカ料理教室が

開かれます。まだまだお席が空いておりますので、

どうぞふるってご参加下さいませ。

「脱原発」が危ない!!

10月 20th, 2011

(まほろば扱い)

エゾしかバック

10月 20th, 2011

http://www.sapporostyle.jp/corporate/201012/%E6%9C%AD%E5%B9%8C%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%81%AE%EF%BC%91%E6%9C%88%E3%81%AE%E5%B1%95%E7%A4%BA%E3%81%AF%E3%80%8C24k%E3%80%8D/

11月1日から14日まで大通ビッセ2FのYUIQにて,
 
国産羊毛をつかった展示会に高瀬さんが参加されています。
 

 

「超凡破格の教育者 徳永康起先生」

10月 20th, 2011

       
       
    坂田 道信 (ハガキ道伝道者)
        
     『一流たちの金言』 ~第5章 教えより~
   http://www.chichi.co.jp/book/7_news/book934.html

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徳永先生は熊本県の歴史始まって以来
30代の若さで小学校の校長になられたほど優秀でしたが

「教員の仕事は教壇に立って教えることだ」

と5年で校長を降り、自ら志願して一教員に戻った人でした。

だからどの学校に行っても校長に嫌われるんですね。
自分より実力が上なものだから。

それで2年ごとに学校を出されてしまうんだけど
行く先々で教師たちが一番敬遠している
難しいクラスを受け持って
みんなを勉強好きに変えてしまうんです。

授業の前に児童たちが職員室へ迎えに来て
騎馬戦みたいに先生を担いで
「ワッショイ、ワッショイ」
と教室に連れて行ったというんです。

先生、早く教えてくれって。

先生は昼飯を食べない人でした。

なぜ食べないかというと、終戦直後、
昼の時間になると弁当を持ってこられない子どもたちが
さーっと教室からいなくなる。

それでひょっと校庭を見たら
その子たちが遊んでいたんです。

その時から自分もピタッと昼飯を食べるのを止めて
その子たちと楽しい遊びをして過ごすようになりました。

以来、昼飯はずっと食べない人生を送るんですよ、
晩年になっても。

これは戦前の話ですが

「明日は工作で切り出しナイフを使うから持っておいで」

と言って児童たちを帰したら、次の日の朝、

「先生、昨日買ったばかりのナイフがなくなりました」

という子が現われました。

先生はどの子が盗ったか分かるんですね。

それで全員外に出して遊ばせているうちに
盗ったと思われる子どもの机を見たら
やっぱり持ち主の名前を削り取って布に包んで入っていた。

先生はすぐに学校の裏の文房具屋に走って
同じナイフを買い、盗られた子の机の中に入れておきました。

子どもたちが教室に帰ってきた時

「おい、もう一度ナイフをよく探してごらん」

と言うと

「先生、ありました」

と。

そして

「むやみに人を疑うものじゃないぞ」

と言うんです。

その子は黙って涙を流して先生を見ていたといいます。

       * *

それから時代が流れ、戦時中です。

特攻隊が出陣する時、
みんなお父さん、お母さんに書くのに
たった一通、徳永先生宛の遺書があった。

もちろんナイフを盗った子です。

「先生、ありがとうございました。
 あのナイフ事件以来、徳永先生のような人生を
 送りたいと思うようになりました。
 明日はお国のために飛び立ってきます……」
 
 
という書き出しで始まる遺書を残すんです。

それから、こんな話もあります。

先生が熊本の山間の過疎地の教員をやられていた頃、
両親が分からない子がおったんです。

暴れ者でね、とうとう大変な悪さをやらかした時、
徳永先生は宿直の夜、

「君の精神を叩き直してやる」

と言って、その子をぎゅっと抱いて寝てやるんですよ。 

後に彼は会社経営で成功して
身寄りのない者を引き取って
立派に成長させては世の中に出していました。

「自分のいまがあるのは、小学校4年生の時に
 徳永康起先生に抱いて寝ていただいたのが始まりです。
 先生、いずこにおられましょうか」
 
 
という新聞広告を出して、40年ぶりに再会した
なんていう物語もありました。

この前もハガキ祭で教え子の横田さんという方に
思い出をお話しいただきましたが、
初めから終わりまでずっと泣いているんですよ。

定年退職をされた方だから
もう50年以上も前の思い出ですが
1時間ちょっとの間、ずーっと泣いている。

その方の感性も素晴らしいけど
やはり徳永先生の教育がすごかったんでしょう。

山川ご夫妻 ご来店

10月 19th, 2011

(右が緒方さん)

あの一大センセーショナルを巻き起こし、世界に精神世界を到来させた

米国の大女優、シャーリー・マクレーンの著書「オウト・オン・ア・リム」。

その翻訳者・山川紘矢・亜希子さんご夫妻が、まほろばにお越しになられました。

前日ご夫妻の講演会・ワークショップを主催された緒方紀子さんが、案内されました。

http://shiningang.exblog.jp/ (緒方さんのHPです。とてもステキな方です)

ご経歴からして(官僚出身)、お堅いと思いきや、

とても柔らかく優しいお人柄に、すっかり打ち解けて和やかにお話しができました。

無限心庵のことも、興味深く聞いて下さり、互いに高揚して笑いが絶えませんでした。

時間があったら、思わぬ展開があって、どんなことになっていたか。

帰りの車中、「緒方さん、良い所に連れて行って下さってありがとう!!とても楽しく、去りがたかったです!!」

と言って下さったそうです。ほんとうに楽しかった。

是非また、お越し下さい!!!

来月初めには、緒方さんがまたまたあのピアニストのウォン・ウィンツァンさんをお連れするとか。

お楽しみに・・・・・・・・。

全国学校給食フォーラムin札幌

10月 19th, 2011

まほろばチケット扱い :  昼・夜・通し 三種アリ

食と音楽のイベント

10月 19th, 2011

まほろば本店の斎藤君、前厚別店長・渡邉君のデュオ3.2も出演。

まほろばの商品も販売されます。

来てくださいね。

森下自然医学 11月号

10月 18th, 2011

「森下自然医学 11月号」が発刊されました。

今回の口絵には先月「森下世界長寿郷調査団」として参加した如皋の様子が載っています。

来月号には、詳しい内容が掲載される事でしょう、お楽しみに。

先月号に引き続いて「日本人の起源を訪ねて 2」が特集されています。

麻の真実について多士済々集まって語り合った内容の濃い対談でした。

特集2は、お馴染みの阿部一理先生を迎えましての森下先生との対談。

思い出話に花が咲き、今まで聞いていない貴重な秘話にも触れ、二人感動。

両方の司会を務めさせて戴いたので、連載原稿は書いたのですが、今回は遠慮しました。