まほろばblog

「前後際断、瞬間燃焼」

1月 7th, 2012

       
       
  斎藤 智也 (聖光学院高校野球部監督)
        
     『致知』2012年2月号
     特集「一途一心」よ

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私は選手たちに「前後際断(さいだん)」とか
「瞬間燃焼」といった言葉を
よく使うんですが、これを教えるのに
最適なトレーニングがあります。

もともとは塩沼亮潤先生の大峯千日回峰行から
ヒントを得たのですが、毎年夏の大会前になると、
夜中に地元の吾妻連峰に登り、
懐中電灯と熊除けの鈴を持って暗闇の中を
五時間かけて一人ずつ下山させるんです。

山の雄大さ、険しさ、水の清らかさ、
この大いなる自然に身を委ねなさいと、
満天の星空を眺めるところからスタートする。

山を下りるのも真っ暗闇で怖い。
そこから徐々に日が差して辺りが明るくなってくる。

クライマックスは朝四時半頃。
雲海が飛び込みたくなるような思いに駆られるほど、
凄く綺麗なんですよ。
そこから太陽の光が少し差し込んでくる。

で、この時に子供たちの足が止まるんです。
雲海から出てくる太陽を皆、心待ちにしているんですね。

そしてパーッと太陽が出てきた時の、あの凄い感動……。
泣いている子もいます。きっと自分が
野球をやっていることの意味を噛み締めたり、
夏の大会を間近に控えた怖さと向き合うんでしょうね。

私なりに、お坊さんが瞑想して
無の境地に迫ろうとする意味は何かと考えてみると、
邪念の塊、雑念の塊、私利私欲の塊、
こうしたものから解放されるためには、
邪念、雑念、私利私欲に襲われ続けないと
消えていかないことが分かってきました。

だから怖い、負けたらどうしよう、嫌だ、嫌だ……、
そうやっていろいろなことを考えながら歩いていく中で、
その子の頭は雑念だらけ。

その雑念を、自然が忘れさせてくれるということもあるんですが、
でも最後はそこから解き放たれる自分自身を見つけるんですね。

これは勝負の世界でも一緒ですよ。

負ける怖さを骨の髄まで味わい続ける。
だから解き放たれる。

その時、やっと勝負事を天に任せられる状態になって、
夏の大会にさぁ行こうか、潔くやろうぜ、という気持ちになる。
選手たちには勝つも負けるもない。
ただ一瞬一瞬やり切るだけ、という状態になる。

それが、甲子園に行っても

「おまえら、ホントに預けてるの」

「引っ張り込んでるだろ、勝負事を」

「私利私欲の塊集団!」

なんて言いながら試合をやっている時があるんですね。
そういうシーンが多い時は負けが近い時です。

潔く、試合展開にも一切こだわらず、一喜一憂せず、
まさに前後際断、過去も未来もすべて消す。
まさにいまだけ、一途一心、という境地で臨める時は強いです。

夏の大会に入る前にその状態を完成させてしまえば、
後の結果は本当はどちらでもいいんですよね。

映画 「孔子の教え」

1月 5th, 2012

今、空前の孔子ブームだという。

若者にとって、孔子って何者だ、といわれる時代。

あれほど本国中国で、批林批孔で荒れ繰れた文化大革命。

赤軍派、四人組・・・私の青年期は激動の大陸で、古典文物は悉く破壊し尽くされた。

当時、孔子に憧れ、古琴を習っていた私は、留学は叶わぬ夢であった。

共産主義と孔子儒教は相容れぬものである。

それでも、その当時、私は汪兆銘政府長官の胡蘭成先生や

碩学の安岡正篤先生の謦咳に接する事ができた。

それと故川合信水先生から孔子の真精神について学んだことが大きかった。

その後、大学・中庸や春秋などは愛読書となっていた。

もう40年も前の事で、今では書棚に眠っているが、

青年時の白紙の状態に、古典に触れ、大人(たいじん)に接した事は、自分の財産となった。

何年か前、彼の中国で「孔子」の映画が完成された、と聞いていたが、

一向に封切の気配がなかった。

それが、この正月、ふと見た映画欄にそれらしきものが、掲載されていた。

早速観に行ったが、これは活劇である。

古色蒼然とした埃を被った2500年前が、豁然として現代に甦る。

そこには生き生きとした孔子とその弟子達が描かれて、

スペクタクルな戦闘シーンも含めて、乏しい想像の世界でしか描けなかった

時代背景や人物、文物が鮮やかに甦る。

日本では到底成し得ない時代考証や資料が山のように揃っているのだろう。

端然とした孔子の他に、策士・軍事家としての顔は世間の辛酸を嘗めた実像なのだ。

還暦近くして生国、魯を追放され、諸国を歴訪する果てしなき旅。

それがどのようなものであったか、想像を絶していたが、映像を見て、

困難を極めていた事がリアリティをもって迫ってくる。

何より、時代は変わるとも、人間のサガは変わらないという歴史は何とも哀しくも虚しい。

http://www.koushinooshie.jp/

何はともあれ、一見の価値あり。

孔子の教え云々はさておき、その置かれた時代と風景と文化と人を観ておくだけでも、

論語は生き生きした、現代の新書となりうることを知るだろう。

 「医師としての原点」

1月 5th, 2012

       
日野原 重明 

(聖路加国際病院理事長、名誉院長)
        
      『致知』2012年2月号
        特集「一途一心」より
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医師としての原点を語る時、外せないのが、
医局に入ったばかりの頃、最初に担当した
結核性腹膜炎の十六歳の少女です。

彼女には父親がおらず、母親が女工として働いていました。
家が貧しくて彼女自身も中学に行かず働いていたのですが、
ある時、結核を患って入院してきたんです。

その病室は八人部屋で、日曜になると
皆の家族や友人が差し入れを持って見舞いにくる。

でも彼女を訪ねてくる人はほとんどいない。
母親は日曜も工場で働いていたから、
見舞いにもなかなか来られなかったんです。

私は日曜になると教会の朝の礼拝に出席するため、
同僚に彼女のことを頼んでいました。

ところがある時、その同僚から

「日野原先生は、日曜日は
  いつも病院に来られないから寂しい」
 
 
と彼女が言っていたと聞かされましてね。
以来私は朝教会に行く前に、病室へ顔を出し、
それから礼拝に出るようにしたんです。
これはその後の私の医師としての習慣にもなりました。

ところが当時は結核の治療法がなかったために、
どんどん容態が悪くなっていってね。

非常に心配していたんですが、ある朝様子を見に行くと、

「先生、私は死ぬような気がします……」

と言うんです。私は

「午後にはお母さんが来られる予定だから、頑張りなさい」

と言いました。

すると彼女はしばらく目を閉じて、
また目を開いて言葉を続けました。

「お母さんはもう間に合わないと思いますから……、
  私がどんなにお母さんに感謝していたかを、
  日野原先生の口から伝えてください」。
 
 
そうして手を合わせた彼女に、私は

「バカなことを言うんじゃない。死ぬなんて考えないで!
  もうすぐお母さんが見えるから、しっかりしなさい」
 
 
と言って、その言葉を否定したんです。

ところが見る見るうちに顔が真っ青になっていったので、
私は看護師を呼んで「強心剤を打って延命しよう」と言い、
弱っている彼女に強心剤をジャンジャン打った。

そして「頑張れっ、頑張れっ!」と大声で叫び続けた。

彼女はまもなく茶褐色の胆汁を吐いて、
二つ三つ大きく息をしてから無呼吸になりました。

私は大急ぎで彼女の痩せた胸の上に聴診器を当てましたが、
もう二度とその心音を捉えることはできませんでした。

私は彼女の死体を前にして、どうしてあの時

「安心して成仏しなさい。
  お母さんには、私があなたの気持ちを
  ちゃんと伝えてあげるから」
 
 
と言ってあげられなかったのだろう。
強心剤を注射する代わりに、
どうしてもっと彼女の手を握っていてあげなかったのか、
と悔やまれてなりませんでした。

私は静かに死んでいこうとする彼女に、
最後の最後まで鞭を打ってしまったわけです。

この時に、医師というのは
ただ患者さんの命を助けるのじゃない。

死にゆく人たちの心を支え、死を受け入れるための
援助をしなければならないのだと思いました。

その強い自責の念が、
後にターミナルケア(終末の患者へのケア)や
ホスピスに大きな関心と努力を払い、
人々が安心して天国や浄土に行くにはどうしたらよいかを考え、
そういう施設をつくる行為へと繋がっていったんですね。

「六十か条の“選手心得”」

1月 5th, 2012

      
       
 深井 浩司(新潟県立佐渡高校野球部監督)
        
       『致知』2012年2月号
       特集「一途一心]

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私が監督になってからキャッチボールや
全力疾走といった基本的な練習から始めたのですが、
そこで気づいたのは部員の日常生活の乱れでした。

挨拶ができず、遅刻をしたり、
授業中に居眠りをしたりする生徒が大勢いる。

そこで日頃の行動規範などを定めて部員全員に配り、
毎日唱和させることにしたんです。

練習や試合の心構えなど六十か条を記したもので、
もともとは私の母校・丸子実業高校野球部の
恩師だった中村良隆先生が作られた
六十六か条を現代風にまとめ直しました。

高校野球は人間教育の場であるという基本線を踏まえながら、
師弟が一体となって甲子園を目指すものだという考えの下、
六十か条を
「一般心得」「練習心得」「試合心得」「生活心得」の
四つに分類したんですね。

もっとも初めて生徒に配った時には、
すぐに伏せられてしまいましたが(笑)、保護者にも全員配り、

「私はこういう信念で指導させてもらいます。
  もしこれに外れるようなことをしたら
  すぐクビにしてください」
 
 
と伝えました。

野村克也さんが「負けに不思議の負けなし」と言われますが、
試合の敗因は必ずこの中に隠されていると考えています。

例えば

「グラウンドの恥はグラウンドで返せ。
 言い訳、詫びる言葉は厳に慎め、
 自己の責任解消は口で談ずるべきではない」。
 
 
悔しい思いをしたら言い訳をするのではなく、
一回でも多く素振りをしたり、一球でも多く捕球の練習をする。
そういう見えない努力を重ねなさいということですね。

他にも

「球場に足を踏み入れたら気力で相手に勝て、
 一に闘志、二に闘志、三に気合、余力は残すな」
 
 
「チャンスは必ず生かせ。次のチャンスは期待するな」

「同じ投手から二度負けるな。
 研究して、打ち崩せ、これが根性だ」
 
 
「勝負の厳しさを知れ、理屈は通らない、結果だけが評価される。
 高校野球は人生と同じ一本勝負である」
 
 
などがあります。

私は技術が六で気持ちが四のチームと、
技術が四で気持ちが六のチームがあったとしたら、
後者が勝つのが高校野球だと思うんです。

平凡なことを習慣化して取り組めば大きな力になる。
きょうは気分がいいから元気を出すけど、
別の日は嫌なことがあったから声を出さない、
といった気まぐれは絶対にいけない。

そういう日常の心得をこの中に込めたつもりです。

『一日一言』から

1月 4th, 2012

●『安岡正篤一日一言』(1月2日)

 人間は何事によらず新鮮でなければならない。
 ところが いかにすれば新鮮であり得るかといえば、
 やはり真理を学んで、真理に従って生活しなければいけない。
 もっと突っこんで言えば、人間としての深い道を学ぶ。
 正しい歴史伝統に従った深い哲理、真理を学び、それに
 根差さなければ、葉や花と同じことで、四季に従って
 常に魅力のある、生命のみずみずしさを維持してゆく
 ことはできるものではない。

●『森信三一日一語』(1月1日)

 「人生二度なし」
 これ人生における最大最深の真理なり。

●『坂村真民一日一言』(1月1日)

 日本を
 楽しい国にしよう
 明るい国にしよう
 国は小さいけれど
 住みよい国にしよう
 日本に生まれてきてよかったと
 言えるような
 国造りをしよう
 これが二十一世紀の日本への
 わたしの願いだ

●『中江藤樹一日一言』(1月1日)

 父母のおんとくはてんよりもたかく、海よりもふかし。
 あまりに広大無類の恩なるゆえに、
 ほんしんのくらき凡夫は、むくいんことをわすれ、
 かえって恩ありとも、おんなし共、おもわざるとみえたり。

●春日潜庵(かすがせんあん)

 人生百年、大凡(およそ)二十年前は蒙々篤(もうもうえん)たるのみ。
 二十歳後より六十に至るまで中間四十年なり。
 これを過ぎて以往は、縦令(たとえ)衰えざるも、
 窮竟(きょうきょう)用を做(な)さざるなり。

 これを以てこれを観れば、百年の中久しといえども
 四十年間に過ぎず。その余は蒙々篤たるのみ。

 悲しいかな、悲しいかな、この四十年間、
 徳を立て、業を立つる者それ幾何人ぞや。
 その余は腐草朽木とともに 泯滅(びんめつ)して止む。
 荀(いやしく)も志ある者、それ悲しむべきか、悲しむべからざるか。

 
●人生劈頭(へきとう)一箇の事あり。
 立志これなり。

幕末の陽明学者、西郷南洲も傾倒した真固豪傑の士は
時代をこえて、生ある者に決意を迫ってきます。

●最後に明治天皇御製。

 さしのほる 朝日のことく さわやかに
 持たまほしきは 心なりけり

日本人礼賛論

1月 3rd, 2012

   ♪
黄 文雄

『世界から絶賛される日本人』(徳間書店)
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 三重苦にとりつかれたヘレン・ケラーが、或る日本人のことを知って一念発起した。

彼女は秘書兼守り役の女性と指先だけで交信し、奇跡の業績をあげたことは有名だが、

彼女が尊敬した日本人とは誰だったのか?


 国学者だった塙保己一である。
塙保己一は七歳で盲目となり、十五歳で学問を志して江戸へでる。

針灸、浪曲、三味線、琴を吟じて生計を得ようとするも叶わず、絶望して自殺しようとした。

恩師が塙保己一の異様な学問の才能を見いだし、和歌、古典を学ばせる。かれは耳だけで古典を記憶していく。
それだけでも尋常な才能ではない。
塙保己一は耳だけで、国学、神道をまなび賀茂真淵に弟子入りし、

ついには生涯かけて『群書類従』を完成させた。
さらに和学学問所を開講、これは現在の東京大学史料編纂所である。

塙保己一のもとには平田厚胤、頼山陽らも駆けつけた。

清末の無秩序で争乱の巷と化した北京で民衆から神のごとく尊敬をあつめた日本軍人がいた。

五郎である。

かれは会津藩が戊辰戦争にやぶれて下北半島の貧困地域に強制移住させられたさきの、渓谷のボロ小屋に生まれた。

北京駐在の外国武官らは、芝の志気ぶりを驚嘆し、賞賛した。
辛亥革命にはせ参じて決起に参加し散華した多くの日本の志士がいた。
ビルマ独立運動もインドネシア、ベトナム独立運動も背後にあって軍事作戦を指導したのは日本の軍人だった。
台湾に上水道を整備した日本人技師がいた。

ダムをつかって豊饒な平野にかえた日本人技師がいた。

北朝鮮に巨大発電所をつくった日本人がいた。
こうして日本人が忘れてしまった歴史上の英傑や偉人を、じつは外国人が高く評価していた。
 本書はこうした歴史に埋もれた日本人の再発見であり、魂を揺さぶられる。

 「干支九星学でみる平成二十四年」

1月 2nd, 2012

  今年のあなたの運勢を占う
       
       
    井上 象英 (神宮館高島暦著者)
        
      『致知』2012年2月号より
 http://www.chichi.co.jp/news/topics/3259.html

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☆平成二十四年の言葉☆
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地震と津波で東北の歴史と文化の象徴がいくつも破壊。
正しく昨年は辛酸を嘗める経験をしました。

平成二十四年は壬辰・六白金星の星盤となります。
十干の「壬」は水路を正し収蔵の働きがありますが、
姙や孕むと同意義。

不安と同時に将来への期待もあります。

十二支の「辰」は、本来は龍をイメージしていますが、
震や振と同意義で新しい生命活動の象徴です。

『周易説卦伝』「万物震ニ出ズ」(第五章)がその元始。
九星の「六白」は金星で仁愛をもって尊厳を実行する大人の星。

従って、経済は復興支援から企業支援へ、
個人消費の流れも大きく変化し活気を取り戻す暗示。

しかし、政界は国政を忘れ、党内抗争に明け暮れる一年。
また、大国が一つの転機を迎えます。

自然界では猛暑、旱魃、水害、火災や噴火など、
すべての災害には「風」が影響、竜巻被害にも注意が必要です。

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☆平成二十四年の運勢☆
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ご自身がどの星に当たるかは、ホームページでご確認ください。
http://www.chichi.co.jp/news/topics/3259.html

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■一白水星
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自らの星が南の離宮に入り(吉神四体が同座)、
本宮には、勤勉性と致役(人のために役立つこと)を
象意とする二黒土星が巡ります。

今年は培ってきた力量・才能が大きく開花し、
重責を任されたり難しいテーマに取り組んだりと、
すべてに活気のある周期。
夢や希望が現実味を帯びてきます。

中でも学業や研究、芸能に従事する人には
スポットが当たる好機ですから、
少し高めの目標でも、やりたいことは即実行に移すこと。

(※続きは本誌P130にて)

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■二黒土星
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自らの星が北の坎宮に入り(吉神四体が同座)、
本宮には、夢や目標、発展向上を象意とする三碧木星が巡ります。

今年は、自分の意思で動きにくく、
家族や身内に関することで時間を取られ、
仲間から受け継ぐ仕事も増えそうです。

心身の疲れが事あるごとに影響し、
早とちりや空回りなどが多発の予感。
大事な場面で失敗しないよう、
細部へのチェックや再確認を
習慣づけるくらいの慎重さが肝要です。

(※続きは本誌P130にて)

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■三碧木星
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自らの星が南西の坤宮に入り(吉神なし)、
本宮には、社交や信頼関係、仕事や商売を象意とする
四緑木星が巡ります。

今年は、すべてが周囲とのバランス次第。
低迷ムードから脱却しつつありますが、
どう動くかが問われる時でもあります。

守りの姿勢はそのままでも、
運気が開ける来期に備え準備を整えておきましょう。
粘りと継続が今年のテーマといえます。

大きな飛躍を求めるよりも
コツコツ実績を積む姿勢が大切です。

(※続きは本誌P130にて)

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■四緑木星
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自らの星が東の震宮に入り(吉神一体が同座)、
本宮には、大自然のエネルギーを象徴する五黄土星が巡ります。

今年は、あなたの一挙一動が注目される時です。
未体験でもハードでも積極的に挑戦し、
自分の可能性をどこまで広げられるかの勝負時。

怠け心や仕事の好き嫌いは禁物です。
目標は常に高く持ち、好機と見れば即行動で
存在感をアピールすること。

オフの時間を割いてでも頑張る姿に
好感度・信用度も急上昇の予感。
苦手な上司や先輩も懐柔できそうです。

(※続きは本誌P131にて)

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■五黄土星
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自らの星が東南の巽宮に入り(吉神一体が同座)、
本宮には、強い意志と行動力や挑戦を象意とする
六白金星が巡ります。

今年は、努力するほどに
願望成就の機運は近づき
突然のチャンス到来もあり得る時。

頼まれ事や部下の尻拭いなど、
本来の仕事以外でも何かと忙しい暗示ですが、
重い責務はもちろん、地味な仕事・雑事も
進んで受けるサービス精神が
予想以上の高評価を得ることができそう。

損得勘定などはさらりと捨てて、
何事も真摯に取り組んでいけば結果は自ずとついてきます。

(※続きは本誌P131にて)

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■六白金星
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自らの星が中央の中宮に入り、
本宮には、対人交流と悦楽や順応性を象意とする
七赤金星が吉神ニ体と大凶神(暗剣殺)とともに回座しています。

今年は、自分の能力や限界を悟るべき周期であり、
忍耐力を養うよい機会。

去年のペースで飛ばしたいのに
残務整理や責任がらみで渋滞続きの気配があります。
焦れば空回りしがちで、うまく実績を上げるには
現状を的確に把握し、前向きかつ慎重に
事を進める冷静さが必要です。

(※続きは本誌P131にて)

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■七赤金星
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自らの星が西北の乾宮に入り(吉神ニ体と暗剣殺・歳破神が同座)、
本宮には、継承継続や変化改善を象意とする
八白土星が巡ります。

今年は、困難や試練の中に学ぶことの多い年。
完全主義のあなたにとって
自信喪失の場面があるかもしれません。

仕事や勉強でも段取りが狂い、パニックになる暗示も。
強力なライバルが出現したり、
味方の陣営に足を引っ張られたり。

予想外の展開が多発しそうで、
勢いのまま旗頭となって進むのは危険です。

(※続きは本誌P131にて)

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■八白土星
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自らの星が西の兌宮に入り(吉神二体同座)、
本宮には、知的情報や先見性を象意とする九紫火星が巡ります。

今年は、対人運が活発となり活躍の場も
広範囲におよんできます。

社内では上司や先輩、プライベートでも友人関係が好調で、
人脈が転機をもたらしてくれそうです。
人間味の豊かさと隠れた実績がクローズアップされ、
すべてがよい方向に動きます。

勉強会や研修会、セミナーなどには積極的に参加し、
やりたいことやオリジナル性の高い企画をPRしましょう。

(※続きは本誌P131にて)

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■九紫火星
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自らの星が東北の艮宮に入り(吉神三体が同座)、
本宮には、方円の器に従う順応や流動性を象意とする
一白水星が巡ります。

今年は、少しの野心と不注意で
思いがけない変転が起きやすい周期です。

一からの方針転換や順調だった
仕事の意外なところでの行き詰まりなど、
トラブル続きにストレスも溜まりがちです。

ただ、想定外の出来事が発生しても、
メンツの固執は百害あって一利なし。
原因をしっかりと調査、把握し問題解決に専念すること。

恭賀新嬉

1月 1st, 2012

新年あけましておめでとうございます。

旧年中は、厚きご愛顧を頂きまして誠にありがとうございました。

昨年は、未曾有の大震災という試練に日本が遭いました。

昔より、大苦難を受けたる者、必ずや大飛躍するといわれています。

被災地の方々の奇跡的な復興と繁栄は必ずや成る、と信じております。

私達は、不断に力を注いで微力なりとも、

そのお助けが出来ますよう努力して参りたいと思います。

みなさまにおかれましても、ご協力のほどお願い申し上げます。

そして、幸いが共に来たらんことを祈るばかりです。

この2012年が、復興第一年の歳として輝きますよう希望します。

      2012年1月1日    まほろば主人

2011年よ、さようなら!!

12月 31st, 2011

あと5時間余りで、2011年が終わろうとしている。

大震災があってか、あっという間の1年だった。

お蔭様で、どうにか越せそうだが、被災地の方々を思えば、喜びは沸かない。

何とも、重苦しい師走であるが、来年こそは、と希望を繋ぐのは、

誰もがそうであろう。

辰年だから、天にも昇るような運が被災者の方々に降りることを願うばかりです。

来年もまほろばが皆様のお役に立てますよう、頑張って参りたいと思います。

よろしくお引き立てのほど、お願い申し上げます。

一年間、ありがとうございました。

明るく良き年をお迎えくださいませ。

初売りは6日!雅楽&餅つき&クリスタルボール

12月 31st, 2011

「光輝」さんのクリスタルボール演奏は、地下洞で随時、行います。

「光輝」さんのDVDが販売されています。

直接、彼にご連絡ください。