まほろばblog

Archive for 7月, 2012

食品の相場

木曜日, 7月 12th, 2012

今回の創業祭に、むそう商事・国内営業部の橋本将太さんが来店して

宣購販売をして下さいました。

ありがとうございました。お疲れ様でした。

海外のオーガニック商品を扱う部門ですが、まほろばも随分とお世話になっております。

そこで、私達が抱く疑問の一つ、「円高なのに、何故輸入オーガニック食品も安くならないのか?」

ということなのですが、早速橋本さんに回答して戴きました。

食品の相場

2008年のリーマンショックより歴史的円高が続いていますが、

輸入食品は円高還元でもっと安くならないの?

とご質問を戴くのでちょっとだけこのブログをお借りして現場で感じていることと、

私の所見を記載させていただきます。

皆さん一般的に食品の価格はどのように決まっていると思いますか?

農作物の供給量がほぼ分かる収穫前?それとも収穫後?

全てとはいいませんが実はそれは一年前からある程度決まっているのです。

ではその価格はどこで決められるのか?

それは農業大国アメリカ第2の都市シカゴにあるシカゴ・マーカンタイル取引所で決められています。

そこでは、最長で1年先の商品価格を「今」決めています。つまり商品先物取引といわれています。

今日、魚や野菜など生鮮食品の卸売市場では、その日の食品の価格はその日に決めています。

これと同様に、株式市場でもその日の株価を決めています。

一方、商品先物取引で取引きされている農作物(一次製品と呼ばれ、コーン、小麦、大豆等)は、

最長で1年先の商品価格を需要や供給見通しなどを考慮しながら決定します。

■CMEグループ 農作物先物取引チャート

http://www.cmegroup.com/market-data/delayed-quotes/commodities.html

では本題の何故、円高なのに輸入食品が安くならないのか?の所見ですが、

それは円高によりそれまで米ドルやユーロに流れていた投機マネーが

農作物やエネルギー(石油や天然ガス等)に流れ、

輸入農作物の仕入値があがっている為、

円高を相殺、もしくはそれ以上の価格になっていることが要因です。

また中国に代表される新興国の経済台頭による需要増から

慢性的な食料不足=農作物の供給不足により

世界中で農作物の買いが入り、結果、仕入値がつり上がっているのも要因です。

食品自給率が40%を切っている日本。

これから私たちが目指していくべきなのは出来る限り輸入量を減らし、

自給自足していく農業回帰ではないでしょうか。

またそれが循環型農業で持続可能な社会を作り出し、経済先進国が環境先進国になれば、

21世紀において日本がその分野で世界のリーダーになれる日が来るのではないでしょうか。

//////////////////////////////////////////

先日弊職が作成したブログの原料相場の件ですが、

本日ヤフーニュースで今年は大豆の収穫量が低くなるとの予想で過去最高値を更新したとありました。

下記にリンクを貼りつけてますのでお時間のある時にお読みください。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120710-00000028-jij-int

むそう商事HP  http://www.muso-intl.co.jp/ 

◆ナチュラル&オーガニック商品専門通販サイトがオープンしました◆

ビオフロレスタhttp://biofloresta.jp/

公式Facebookページhttp://www.facebook.com/biofloresta

☯☯☯☯☯☯☯☯☯☯☯☯☯☯☯☯☯☯☯

(左、ムソーの小林さん、右むそう商事の橋本さん)

一尾、3000円也!!!!!!!!!!!

火曜日, 7月 10th, 2012

今朝、6時半から札幌卸売り市場の水産棟で、サンマの初ゼリが行われた。

やにわに、「20、000円!」

ごった返す報道陣の輪から、大歓声が上がる。

周りは、もうビックリ!シャックリ!!

1尾に換算すると、原価で¥3、000也、

デパートの店頭では4~5、000円の初サンマでしょうか。

この不景気風を、吹っ飛ばすような景気のいいご祝儀相場でした。

これも、またいいでしょう。

夏本番ならぬ先に、秋の訪れです。

「さんま、苦いか、塩っぱいか・・・」

森繁さんの佐藤春夫作『秋刀魚の唄』朗読が懐かしい。

秋刀魚の歌
あはれ
秋風よ
 情こころあらば
伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉ゆうげに
ひとりさんまを食くらひて
思ひにふけると。さんま、さんま、
そが上に青き蜜柑みかんの酸すを したたらせて
さんまを食ふはその男がふる里の ならひなり。
そのならひを あやしみ なつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎ来て 夕げにむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする 人妻と
妻にそむかれたる男と食卓に むかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男に さんまの 腸はらをくれむと 言ふにあらずや。あはれ
秋風よ
汝なれこそは 見つらめ
世のつねならぬ団欒まどゐを。
いかに
秋風よ
いとせめて
証あかしせよ かの一ときの団欒まどゐ ゆめに非ずと。

あはれ
秋風よ
情こころあらば 伝へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし

幼児をさなごとに伝へてよ
―男ありて
今日の夕げに ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。
さんま、さんま、
さんま苦いか 塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて さんまを食ふは
いづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは 問はまほしくをかし。

 

 

「遺された512篇の詩」

火曜日, 7月 10th, 2012

    

          矢崎節夫(金子みすゞ記念館館長・童謡詩人)

               

                                        『致知』2010年4月号
                  連載「致知随想」より
         

└─────────────────────────────────┘
 
昭和5年、26歳という若さで世を去った
童謡詩人がいました。
山口県・仙崎の地で生まれ育った金子みすゞです。
 
いまでこそ広く知られていますが、
その名は世間から長い間忘れ去られていました。
 
みすゞの名を初めて知ったのは、
小4の頃から志していた童謡詩人になるべく、
早稲田大学に通っている時のことでした。
 
ある日、通学時に読みふけっていた『日本童謡集』の中に、
有名な詩人に紛れて、聞いたことのない
童謡詩人の名前が目に留まりました。
 
読んだ瞬間、それまで味わったことのない
衝撃を受けたのです。
 
他の300数十篇の詩が一瞬にして
頭から消え去るかのようでした。
 

  朝焼け小焼けだ

  大漁だ

  大羽鰮(いわし)の

  大漁だ。

 
  浜は祭りの

  ようだけど

  海のなかでは

  何万の

  鰮のとむらい

  するだろう。

 
浜の喜びの一方で、目に見えない海の悲しみがある。
この詩は私の眼差しをいっぺんに変えてしまったのです。
世の中は常に2つに1つだというメッセージが、
この「大漁」という、わずか10行の詩の中に、
明確に収められていたのです。
 
この詩人の作品をもっと読みたい――。
その日、私は授業にも行かず、古本屋街を訪ね歩きました。
 
しかし、どこを探しても一向に見つかりません。
30篇の詩と出合うことができたのは、
それから4年後のことでした。
 
他にもみすゞが遺した3冊の手帳が
あることは知りながらも、
手掛かりはまったくない状態です。
 
私は頭の片隅に常に金子みすゞを住まわせ、
思いを飛ばし続けました。必ず見つかると信じて。
 
結局、みすゞ探しの旅は、
初めての出会いから16年の歳月を要しました。
 
手帳は、東京に住む弟さんが大切に保管していたのです。
本当のところ30篇でも十分だと思っていました。
それだけに喜びもひとしおです。
さらに驚くことに初対面の私に、
手帳を貸してくださると弟さんが言ってくれたのです。
 
もし、この手帳がなくなれば、
金子みすゞは、完全に消えてしまう。
そう思うと、私は気が気ではありません。
 
寝る時は常に枕元に置き、外出する時は、家族に預け、
何かあれば必ず手帳だけは持って逃げなさいと
言い含めていました。
 
その一方で、私はほんの1行すら読むことが
できないでいました。
ページを開こうものなら壊れてしまうほど
手帳が劣化していたのです。
高揚感とは裏腹にもどかしさが募りました。
 
1週間後、弟さんから1通の手紙が届きました。
私がある賞を取ったことが新聞に掲載され、
それをたまたまご覧になったのです。
 
 
あなたの作品から、姉ととてもよく似た感性を
持っていることが伝わってきて、安堵しています、
とありました。早速受話器を掴み、
お礼かたがた、事情をお伝えしました。
 
壊れてもいいからぜひ見てください。
それが答えでした。
 
まず丁寧にコピーをとってから、
収められてある詩を数えはじめました。
 
短い創作期間の中で、遺した詩の数は
実に520篇にも及んでいたのです。
 
その晩、私は一睡もできませんでした。
寝転がって読んでいたつもりが、
いつの間にか正座している自分がそこにいました。
 
明け方、興奮覚めやらぬ私を突き動かしたのは、
これは自分だけのものにしてはいけない、との思いでした。
 
すぐに全集の出版を思い描いた私は、
大手の出版社に次々と掛け合いました。
 
しかし、売れないものは出せないと、
ほとんど相手にされずじまい。
 
中には、何篇かを選んでみてはどうか
という話もありました。
しかし、私の思いは微塵も揺らぎませんでした。
 
一人の人間がその一生をかけて残した作品です。
512篇の中には一篇たりとも
無用なものはないと固く信じていたのです。
 
自費での出版しか道がないかと思い至った時、
ジュラ出版局という小さな出版社と出合いました。
 
当時の編集長が「活字にすれば50年残る」と、
詩に込められた価値をみごとに見抜かれたのです。
これで道が開けました。
 
それから4半世紀を経て、金子みすゞの詩は
世界10か国に訳されて親しまれるようになりました。
 
中国四川省で起きた大地震の後、
孤児となった子どもたちの心のケアとして
使われたのはみすゞの詩でした。
 
前のローマ法王もみすゞの詩にふれ、
涙をこぼされたといいます。

なぜこれほどまでに、
みすゞの詩は人の心を動かすのでしょうか。
 
みすゞが書く詩には嫌な言葉がひとつもありません。
深い優しさと明るさが特徴です。
 
一方、実生活はといえば、
特に結婚後は放蕩無頼な夫との生活の中、
常に暗い陰が付きまといました。
 
最期は親権を楯に一人娘を奪おうとした夫に抗するため、
自らの命を絶って守り抜いたのです。
 
きっと彼女は言葉の力をよく知っていたのだと思います。
書き手の最大の読者は自分。
 
となれば苦しい時ほど、自分が嬉しくなることを
書き綴ろうとしたのです。

子供でも分かる言葉で書かれた詩は、
幼稚園児から100歳まで読め、
さらに人生が深まれば深まるほど
深く読み込むことができるのです。
 
私は、お経や『聖書』などを書き残した人と同じように、
金子みすゞは生きる上で一番大切なことを
書き残すためにこの世に存在したのではないかと
考えています。
 
童謡詩人・金子みすゞの詩を発信し続けていくこと、
これが天から与えられた私の大切な使命だと思っています。
http://chichi-ningenryoku.com/?p=1164

八月出版に向けて、準備作業に追われています。

その中で、なかなか大変なのが、写真掲載や詩文転載の

一つ一つを、その所有者・所蔵元に連絡を取って許可を得る事です。

そして、最も厳格だったのが、金子みすゞ記念館の「金子みすゞ」さんの詩でした。

旧仮名遣いは元より、行換えやルビに至るまで、

原文と一字一句そのまま同じでなければいけません。

それほど、この矢崎さんは、みすゞさんの息遣いが、

言葉のはしはしまで、繊細に行き渡っていて、

おろそかに出来ないと考えられているのです。

本当に、その通りだと思います。

たまさか、国際自然医学社の山司さんが、以前から

出版元のJULA社の方と懇意にされ、居も近くにあり、

自転車で文京区内を行き来されているそうです。

そんな仲間でしたので、山司さんが連絡を取って下さり、

早く掲載許可をいただくことができました。

これもありがたいご縁だと思います。

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

みすゞさんの詩は、

意味をやさしい語彙に集約する。

五七調のリズム。

常に、マクロの宇宙観を背景に、

ミクロの身近な物事から語る。

難しい仏教経典を、

簡潔な日本語に翻訳したものと言えます。

ハンディのある子供たちと生きて

日曜日, 7月 8th, 2012

       

        堀江悦子(からたち作業所代表)

          『致知』2012年7月号
             連載「致知随想」より

─────────────────────────────────┘

長男の様子がどこかおかしいことに気づいたのは、
生後半年ほど経った時でした。
昼も夜もほとんど泣き叫んでばかりで、
おむつを替えても、おっぱいをあげても
泣きやむ気配はありません。

九か月目、気がつくと瞳に白い点ができ、
その面積は次第に広がって一歳を過ぎた頃、
ついに視力を失ってしまったのです。

「この子は生涯盲目の世界で生きることになります」

医師にそう告げられた時の衝撃、
頭の中が真っ白になる感覚は、
四十年以上経ったいまもありありと甦ってきます。

失明し自分のリズムが掴めない長男は、
やがて夜は眠らずに朝方から眠るという
昼夜逆転に陥りました。

茶の農家に嫁いだ私は昼間は家事や農作業に励み、
夜は家人に迷惑にならないよう、
泣き叫ぶ我が子をあやしながら
街灯一つない山道を歩くという毎日。

精神的にも肉体的にもヘトヘトに疲れ切っていました。

その頃、私はお腹に新しい命を宿していました。
二男は未熟児で生まれたものの、
心配していた病気の発症もなく順調に成育していきました。

私たち夫婦は二男が成長した時、
一人で長男の面倒を見るのは大変だという思いから、
もう一人産もうと話し合いました。

ところが、授かった三男もまた生後間もなく
目が見えていないことが分かったのです。

電光が目の奥まで届いているような
透き通った瞳に気づいた時は、
動くことすらできず、全身の力が抜けていきました。

三男はかろうじて片方の目が弱視にまで回復しましたが、
長男は全盲と自閉症の重複障碍と診断され、
成長するにつれて大声を上げ暴れ回るようになりました。

ふすまやガラスは破れ、障子はぐちゃぐちゃ。
二人の障碍児を抱えて私たちは生きていくだけで
精いっぱいでした。

何度本気で一家心中を考えたことでしょう。

「お母さんとお父さんが変。助けて」
という二男の訴えで駆けつけた義母に諭され、
ハッと我に返る、といったこともありました。

そういう私が、使われなくなった盲学校寄宿舎を借りて
「からたち共同作業所」(福岡県柳川市)という
重度障碍者のための作業所を立ち上げたのは平成二年。

盲学校を卒業した長男の社会参加を考えたのが発端ですが、
同じような境遇の方々が集まり五人の障碍児を
受け入れるところから活動はスタートしました。

ドサッと山のように業者から届けられる
ビニール製のポット苗容器を整える単純な仕事でも、
それが息子たちの生き甲斐になるのかと思うと、
それだけで感無量でした。

もちろん、それからも厳しい道のりは続きました。
最初の職員さんに僅か二十日で辞められた時は、
五人の障碍児と一日中向き合う大変さを思い知らされました。

私の負担が一気に増え、どうしてよいか分からず
声を上げて泣いたものです。

しかし、もう後には戻れません。
死ぬ思いでやればなんでもできると
自分に言い聞かせては心を切り替え、
前に進んでいきました。

この二十余年を振り返ると、
まさに山また山の毎日でしたが、最近ふと

「一主婦だった私が健常な家族に恵まれていたら、
 ここまで数多くの人と出会い、支えられ、
 絆の大切さを感じる人生を送れただろうか。
 出会いは私の財産だな」

と思うことがあります。

試練の時は辛くても、それを乗り越えた時に、
何倍もの喜びがやってきます。
その最も大きなものは子供たちの成長を肌で感じ取る時です。

作業所を開いた当初、私は我が子以外の
四人の子供たちの心が掴めず、
どのように接してよいか分かりませんでした。

その中にM君という二十歳前の水頭症の子がいました。
脳内に髄液がたまる病気で、動くことも
言葉を満足に発することもできません。

ご家族や養護学校時代の先生方は
「M君は病気で意思表示ができないから」と
はっきりおっしゃっていました。

M君が作業所に来ると、いつも童謡が吹き込まれた
カセットテープを握らせていましたが、
ある日、テンポのよい演歌を流したところ、
握っていたテープを放り投げて体を揺すり始めたのです。

「あっ、M君は意思表示ができる」

直感的にそう確信しました。

私はM君は意思表示ができるという前提で
動きを観察していきました。

すると何気ない動作で自分がしてほしいこと、
嫌なことをはっきり示していると分かったのです。

他の子供たちにも同じ視点で向き合ってみました。

物を投げつける行為も殴りかかろうとする行為も、
それは怒りの感情ではなく意思表示の手段だと気づいた時は
「思いを伝えてくれてありがとう」という感謝の気持ちが
心の底から湧き上がるのを抑えられませんでした。

我われスタッフがそれに気づくことで、
子供たちは不思議なほど落ち着きを取り戻し、
重い知的障碍の子が盲目の子の茶碗を運んであげるなど、
いろいろな変化を遂げていったのです。

ハンディこそあれ、一人ひとり素晴らしい宝を持った仲間ばかり。
そういう子たちと巡り会えたことをいまでは本当に幸せに思います。

////////////////////////////////////////

このお話しから、

「しいのみ学園」の106歳現役の昇地三郎先生を思い浮かべます。

 

http://shiinomigakuen.com/

若いにも関わらず、こんな境遇でこんなにも頑張っていらっしゃる方が、

日本にはまだまだいらっしゃるんですね。

驚きと感動で一杯です。

みなさん、挫けず頑張りましょうね!!!

古典と現代の融合

金曜日, 7月 6th, 2012

古典と現代が融合!

まほろば本店のエリクサー給水台のところに、

上から「天泰地平」の額を、透明のフィルムに載せたらどうなるか。

そんなアイデイアをプリント専門家の播磨さんに相談してみた。

日本でも屈指の技術力をもつ播磨さんの会社は、

あの世界的大企業からも信頼され、現在進行中で製作に当たっている。

それは、特殊印刷技術、UV硬化型印刷の先鋭技術に、

今回の依頼品を試行錯誤の上、遂に成功!

従来の物は、インクが出て、紫外線によってすぐ固まる。

それをカラーを打って、白を打って、カラーを打つ、多層印刷化で見事成功した。

その訳は、単にカラーのみだと透けて、色見のインパクトが薄れる。

そこに白を入れることによって、色の再現性が高くなる。

しかし、塩ビフィルムだと、紫外線が当たって痩せて、引っ張られて皺がよってしまう。

しかし、PETフイルムだと紫外線によって素材の変化、伸び縮みがされにくい。

更に、スキャニングが細かく、筆跡のリアリティーの再現性が素晴らしい。

そのトレース作業に時間がかかるが。

その結果、本物の迫真性が見るものをして圧倒させるようなインパクトが出る。

これは、最新の機械と技術の工夫によってなされる品質の高さである。

この熱意と努力が、とある世界的企業に認められて、この札幌から東京へ、世界へと羽ばたいている。

小さいながら、一つの物事に徹底すると評価される、その好例である。

是非、ご興味のある方は下記の播磨氏にご連絡下さい。

札幌市白石区北郷3-1-6-28-703

株式会社ハリーマルチプリント 播磨英一 

TEL 011-827-9713

店のデスプレィーが見事輝きだす。

ウォーター・ピロー最高!!

金曜日, 7月 6th, 2012
お客様の石丸さんより、メッセージが届きました。
28周年記念のお祝いのお言葉も頂き、ありがとうございました。
みんなで、頑張りマース!!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
      
                                by 石丸ふうこさん
今日は 昼前に 友人が遊びに来てくれたので 久々家を大掃除。。。

やっぱり 人に見られると思うと 少しでもみっともなくないように片付けられます。

家がすっきり。。。  夕方 昨日の分を たっぷり昼寝して回復しました。

雨がふって めずらしく 蒸し暑い札幌です。

さて一ヶ月前のこと 国井さんと まほろばの宮下社長と 厚別の店長 穂積さんと

食事していたら 「あの枕がいいんだよ。。。 エリクサーの水 枕の中でたまに入れ替えて 

すっきりして。」 と 社長。 

穂積さんも 「水変えると気持ち良いですよねぇ・・・」 

なんと枕の高さも 水の入れ方によって 好みに変えられるというではないか。。。

エリクサーの水入れる、水入れ替える で ぐぐーーーーっと 心引き寄せられた。

仏画展につめていた日は 本店で 月一回のセール期間中だったので 井上醤油

まほろば味噌 まほろばオリジナルの七五三塩2種 一二三糖 グレープシードオイル 

チョウコーの出汁醤油 味の母 他 常備品を10%~20%オフで買った。 

枕は 厚別店の売り上げに してあげるね~ って穂積さんところで。 

日曜日夕方になって 買い物にいって とりあえず一つその枕を買ってきた。

家に帰って エリクサーの水をいれて 夫に これ買ってきたけどと 見せたら

そく 頭のしたに。 10秒後 「俺 これ使うわ」 っていうから 「それ、あたしの。」

「ほしいんなら もう閉店になるけど 店長に電話しておくから ひばりが丘行って買ってきなよ、 

今日までセールだから10%引きだよ」

テンピュールの 枕を つかってきたけれど Sサイズでも わたしには 少し高い感じが

していた。 この枕 本当に快適だ。  たまに ぽちゃっと 水に浮いている感じがあって

ヒートアップした 脳を やすませるには お奨めです。

 

まほろばは 明日からセール 28周年ぴかぴか(新しい) おめでとうなのです。

ちなみに売り文句もコピー

メディフロー・ウォーターベースピローは水のクッションを持つ枕です。

「水=冷やす」というイメージをお持ちでしょうが、この枕は違います。水の動きによって圧力を分散させるのです。

頭や首の動きに合わせて底部の水が動き、圧力が一点に集中するのを防ぐので、頭をやさしく包み込みしっかりサポートし安定性を保ちます。

よって、快適に眠り、すっきりと目覚める事ができるのです。

入れる水の量によってお好みの高さに調節すれば、従来のように枕に自分が合わせるのではなく、自分自身に枕を合わせる事ができます。また、水の重量 によって枕のズレも防げます。

欧米をはじめ世界各国で睡眠に不安のある方々に愛用され、大変喜ばれております。

http://store.shopping.yahoo.co.jp/kireispot/me098.html 写真画像付き説明こちら

まほろばで 8400円 10%オフでした

宣伝料 おくれ~~ 笑
 
   

生きるとは・・・・・・・・・・・

木曜日, 7月 5th, 2012

           人生に人生の意味を問うのではなく、
    人生のほうが俺たちに生きる意味を問うているんだ。
  生きるとは、その理由を見つける責任がある。
    

               アーサー・ホーランド(牧師)

                『致知』2012年8月号
                 特集「知命と立命」より

└─────────────────────────────────┘

青春時代は喧嘩と柔道に明け暮れて、宗教嫌いを公言する。
人呼んで「不良牧師」ことアーサー・ホーランド氏。

暴力、虐待、ドラッグ、引きこもりなど、
多くの人々の人生の闇を受け止め、神の光を与えてきた。

「なぜ俺が宗教が嫌いなのか。

 ユダヤ教徒たちは救いの主メシアを求めながら、
 目の前にメシアが来たのに、
 悪魔呼ばわりして十字架に磔(はりつけ)にし、
 イエスを殺してしまった。

 結局、神は宗教に殺されたといえる。

 人間はある境地を究めようとする時、
 皆人智を超えた大いなる存在(=神)を感じるようだ。
 
 芸術家も、研究者も、経営者も、大きな仕事を成し遂げた時、
 “自分ではない大きな力を感じた”と言う。
 
 俺が牧師として伝えたいのはそういうこと。
 信じているものが自分を魅力的にし、
 周囲を幸せにしていくものであればOKだけれども、
 逆に可能性を閉ざし、
 周囲に押し付けていくのは神の意思ではないと思うのだ」

 神との邂逅を得て、神とともに人生を歩んできた
 アーサー氏はこう語ります。
 
「人は皆、偶然に生きているのではなく、
 生かされる理由があると思う。
 しかし、その理由は誰かが与えてくれるものではない。

 人生に人生の意味を問うのではなく、
 人生のほうが俺たちに生きる意味を問うているんだ。
 生きるとは、その理由を見つける責任がある」

 
 やりたいことが見つからない……。

 そう言って自分探しをする若者が増えているといいますが、
 生きる意味は漠然と人生を歩んでいるうちに
 天から与えられるものではない。
 むしろ、私たち一人ひとりが
 知命と立命とによってどんな人生を送るのか
 天のほうが見守っていることを教えられた一言でした。

 http://arthur-hollands.com/

☆致知出版社の公式フェイスブックでも
 アーサー牧師の名言をご紹介しております。
 https://www.facebook.com/chichipublishing

第1回 アクアリードイベント開催のお知らせ

火曜日, 7月 3rd, 2012

登別の沖田さまから、6日に開く講座のお知らせです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

第1回 アクアリードイベント開催のお知らせ

                                                  主催 アイ企画 沖田真琴

本イベントは 『健やかに生きる』ための実行プログラムです。 

◎ 健康(気・血・動)を養うプログラム

 集合    :7月6日(金)午前6時~9時半

 場所    :北海道神宮 「六花亭」

 内容    :朝の体操(神宮前広場)

         詩吟体験 ・

         散歩(北海道神宮から自然食まほろばまで約4km散歩) 

 詩吟講師 :東峰流 宗家 橋本東峰 先生

           アメニモマメズ、武田節 (場所別紙)

 募集人数 :10名(上記内容通しての参加)

 特典    :自然食の店まほろば開店前にお買い物入します

         当日は まほろば感謝デー初日で、開店前に(9時~9時半まで)

         商品を購入できます。

        小雨決行。 運動しやすい服装でご参加ください。

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

◎ 健やかに生きるための価値観を学ぶ

      アクアリードセミナー 主催 沖田真琴

 集合     :7月6日  午前10時~16時半

 場所     :生涯学習センター「チェリア」研修室6

募集人数   :25名(セミナー通しての参加)

 内容     :こころを健康に保つ生き方を学ぶ

         「まとめる技法を学ぶ」

  <9時~10時 会場設営>

  10時   内容説明

        午前セミナー 

  12時   昼食 

  13時   午後セミナー 

  15時  -休憩-

  15時20分 講談 荒到(こうとう)夢形

         演目 「高田屋嘉兵衛」 

  16時    総括

  16時半 解散 

 <16時半~17時 後片付け>

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 ビデオ収録に関する肖像権を放棄することを条件に参加費無料

     Email : aikikaku@xpost.plala.jp

 

 

 

 

      ・

  

どう生かすエゾシカ

月曜日, 7月 2nd, 2012

最近、道新では、エゾシカ特集が、目白押しで取り上げています。

年々増え続けて行くエゾシカとその被害。

道としてどう取り組み、道民としてとう立ち向かうか。

もう人事では済まされなくなっています。

白糠町長選挙で、立ち上がった福地裕行さんは、

町営の屠殺加工施設のモデルを作って、全道に普及させようと説いています。

白糠の頭数や被害が圧倒的に多いからです。

大いに、こういう志のある方を応援して行きたいと思います。

28周年大創業祭!!!

日曜日, 7月 1st, 2012

いよいよ、6・7・8日、28周年の大創業祭です。

何時の間にか、そんなに経ってしまいました。

今回も、盛大に全商品10%(例外あり)、20%700品目、

さらに28%多数、50%も・・・・圧倒される品数!

どうぞ、この好機をお見逃し無く!!!!!