まほろばblog

Archive for the ‘人生論’ Category

二宮金次郎(尊徳)の名言を

日曜日, 9月 9th, 2012

    7代目子孫・中桐万里子さんが説く

       『致知』2012年10月号
        特集「心を高める 運命を伸ばす」より

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 ◆自然は偉大であっても荒れ地しかつくれない。
  田畑は、人間と自然がともに力を尽くし、
  協同することでしか実らない。

  これこそ二宮金次郎が荒れ地(自然)から学んだことでした。

 ◆二宮金次郎は
  「荒れ地は荒れ地の力で開闢(かいびゃく)する」
  「異変を前提として定め、異変への工夫をする」
  という言葉も残しています。

  荒れ地や異変を破壊力でなく「徳」として受け取り、
  その力を活かす工夫を尽くす場所にこそ人道はあると金次郎は考えたのです。

 ◆「貧困の原因が何かを突き詰めれば、
  貧困には所詮限りがあることが見えてくる。

  貧困が無限に続くことはない。
  むしろ無限なのは実りのほうである。
  実りは必ず倍々で増えていく。貧しさが無限だと思うのは、
  妄想にすぎない」(二宮金次郎)

 
 ◆「名を残さず、行いを残せ」という遺言は
  二宮金次郎の人柄を端的に象徴しています。

  人間は所詮無一物で生まれ無一物で土に帰っていく存在なのだから、
  名利に汲々とするより、人々や世の中の役に立つことを実践するほうが
  よほど価値あることだ、と伝えたかったのでしょう。

荒れた高校を就職率100%へと変革させた

木曜日, 9月 6th, 2012

  久保田憲司氏の教育信条

     『致知』2012年10月号
     特集「心を高める 運命を伸ばす」より

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 ◆ 生徒にはいつも「とことん」「本気」、
   何をやる時もこれを大事にしようと言ってきました。
     挨拶一つ、ゴミ捨て一つでも本気でしようと。

     どうせやるなら仕方なしではなく、
     思い切りやったほうが気分もいいし、
     絶対自分に返ってくる。

 ◆ やっぱり何をおいても夢中にさせることですね。
     夢中になれば人間は自然とできてくる。

 ◆ 私にとってのものづくりの神様は本田宗一郎さんでしてね。
   もう“バカ”がつくくらい心酔しているんです。
     本田さんの本もたくさん読みましたが、
    「成功とは99%の失敗に支えられた1%」
    「120%のものをつくれ」といった言葉には、
   ものづくりに携わる者の心構えを教えられます。

 ◆ 躾は背中を見せて教えるものだともいいますが、
     やはり教えなければ身につかないというのが実感です。

 ◆ 生徒たちの心を変えるのは、やはり彼らを導く教師の熱意。
   それしかないと私は思います。

 ◆ 私の好きなイギリスの教育者の話に、
   「普通の先生は説明をする。
    ちょっとできる先生は手本を見せる。
    優れた先生は生徒の心に火を点ける」
   とありました。

   私はこの話に共感を覚え、
     いつもそういう気持ちで生徒と向き合ってきました。

 ◆ 私は「日本一」を口癖に生徒を導いてきました。
     高い目標や夢を持ち、それに向かって一所懸命に努力することは、
   心を高め、運命を伸ばすことに繋がると思います。

教えて!顔回先生

木曜日, 9月 6th, 2012
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ふと何気なく、調べ物をしていたら「教えて!顔回先生」という動画シリーズに出合った。

なかなか面白いので、仕事の手を止めて、しばし見入ってしまった。

その顔回先生は、孔子を描いた長編映画『恕の人』で顔回を演じた石田壱成君だった。

近付きがたい古典も、こうヒモどけば、親しみを増すこと請け合いである。

トーマス・エジソンの発想法

金曜日, 8月 31st, 2012

                                 浜田 和幸 (国際未来科学研究所代表)

    『致知』2004年7月号
       特集「熱意・誠意・創意」より

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「天才とは、1%のひらめきと99%の努力の賜物である」

1929年2月11日、エジソン82歳の誕生日に残したこの名言は、
おそらく世界中で一番よく知られている「格言の王様」でしょう。

「あの発明王エジソンですら、努力の大切さを言っているではないか。
  やはり人は才能ではない、努力こそが大事なのだ」

と、努力を重んじる我々日本人にも、たいへん受け入れやすい言葉として愛され、
多くの人たちに、夢や希望を与えてきた言葉です。

ところが残念ながら、この言葉ほど間違った意味が世の中に流布し、
多くの人の誤解を受けている言葉はないのです。

エジソンは、肉体や精神、宇宙などに対し、
独特の世界観のようなものを持っていて、
自身の発明の原動力についてこう述べています。

「人間、自然界すべての現象は、われわれの思いもよらぬ
 はるかに大きな未知の知性によって
 運命づけられている気がしてなりません。

 私自身も、これらのより大きな力によって動かされて、
 数多くの発明を成し遂げることができました」

と。

この「はるかに大きな未知の知性」のことを

「リトル・ピープル・イン・マイ・ブレイン(頭の中に住む小人)」

と呼んでいたエジソンは、発想の原点である
リトル・ピープルの声を聞くこと、
つまり1%のひらめきを得ることが大事だと、
日記の中で繰り返し述べています。

「最初のひらめきがよくなければ、いくら努力しても無駄である。
 ひらめきを得るためにこそ努力はするべきなのに、
 このことをわかっていない人があまりにも多い」

と、自分の発言が世の中に誤った解釈で伝わってしまったことを
嘆いているくらいです。

エジソンは、発明や研究に行き詰まると、海辺に行き、
釣り糸を垂れるのが常でした。

ただし糸の先に餌はつけません。
潮風に吹かれ波音を聞き、自然の中に身を置くことで、
不思議と頭を悩ませていた問題の解決策が浮かんでくるというのです。
自然界や宇宙から流れてくる未知の知性のアイデアをキャッチし、
新しいひらめきを釣る。

エジソンの釣りには、そんな意味が込められていました。

しかし、これは天才・エジソンだからこそできることです。
では、私たちはどうすればよいのでしょうか。

エジソンは、研究に行き詰まったエンジニアにこんなアドバイスをしています。

「問題は君の考え方にある。
 大事なことは、頭の中に巣食っている『常識』という理性を
 きれいさっぱり捨てることだ。

 もっともらしい考えの中に新しい問題解決の糸ロはない」

「京セラ創業期秘話 ~後編~」

木曜日, 8月 30th, 2012

   稲盛 和夫 (京セラ・日本航空名誉会長)

                『人生と経営』より

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(※昨日の配信分より)

「約束はできないが、私は必ず君たちのためになるように
 全力を尽くすつもりだ。

 この私の言葉を信じてやってみないか。
 今会社を辞めるという勇気があるなら、
 私を信じる勇気を持ってほしい。
 私はこの会社を会派にするために命をかけて働く。
 もし私が君たちを騙していたら、私は君たちに殺されてもいい」

ここまで言うと、私が命懸けで仕事をし、
本気で語りかけているのがようやくわかったのか、
彼らは要求を取り下げてくれた。

しかし、彼らと別れて一人になったとたん、
私は頭を抱え込んでいた。

(※本日はここから↓)

経営者である自分自身でも明日のことが見えないのに、
従業員は経営者に、自分と家族の将来にわたる
保証を求めていることを、初めて心の底で理解したからである。

私は、このことに気がつくと、
「とんでもないことを始めてしまった」と
思わざるをえなかった。

本来なら無理をして私を大学までいかせてくれた、
鹿児島にいる両親や兄弟の面倒をまず見るべきなのに、
それさえ十分にできていない私が、
経営者として赤の他人の給料だけでなく、
彼らの家族のことまでも考え、将来を保証しなければならない。

会社創業のとき、私が抱いていた夢は、
自分の技術でつくられた製品が、
世界中で使われることだった。

しかし、そんな技術屋の夢では、
従業員の理解は得られず、
経営は成り立たないということを、
この事件を通して初めて身に泌みて理解することができた。

会社とは何か、会社の目的とは何かということについて、
このとき改めて私は真剣に考えさせられた。

会社とは経営者個人の夢を追うところではない。
現在はもちろんのこと、将来にわたっても
従業員の生活を守るための場所なのだ。

私はそのとき、このことに気づき、
これからは経営者としてなんとしても、
従業員を物心両面にわたって幸せにすべく、
最大限の努力を払っていこうと決意したのである。

さらに、経営者としては、自社の従業員のことだけでなく、
社会の一員としての責任も果たさなくてはならない。
そこまで考えを進めたとき、

「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、
 人類、社会の進歩発展に貢献すること」

という京セラの経営理念の骨格ができあがっていた。

突然の反乱劇で、そのときは驚き、悩み苦しんだが、
おかげで私は若いうちに経営の根幹を理解することができたと思う。

それは、経営者は自分のためではなく、社員のため、
さらには世のためにという考え方をベースとした経営理念を
持たなくてはならないということである。

これを創業3年目という早い時期から経営の基盤に置いた結果、
京セラはその後大きく発展することができたのだと私は考えている。

「京セラ創業期秘話 ~前篇~」

水曜日, 8月 29th, 2012

     稲盛 和夫 (京セラ・日本航空名誉会長)

          『人生と経営』より

└─────────────────────────────────┘

創業して3年目(昭和36年)の5月、
会社は順調に発展していたが、私は自分の考えを
根底から覆されるような事件に遭遇した。

研究者として、自分の開発したファインセラミック技術を
世に問いたいということが、会社設立にあたっての
直接の動機であったが、そのような私の姿勢を
根本的に見直さなければならなくなったのである。

前年春に採用した高卒男子11人が、
血判まで捺した要求書を持って、
私に団交を申し入れてきた。

要求書には、定期昇給やボーナスの保証などの
要求が記さている。

彼らは、その要求書を私に突きつけて、

「会社が将来、どうなるのかわからず、不安でたまらない。
  毎年の昇給とボーナスの保証をしてほしい。
 もし、保証できなければ、
 いつまでもこの会社に勤めるわけにはいかない」

と言う。

私には、とても彼らの要求をのむことはできなかった。
初年度から黒字を出すことができたとは言え、
会社はいまだ手探りの状態で、明日のことなど皆目わからない。
1年先の保証すら請け合えるものではなかった。

しかし、彼らは自分たちの要求が聞き入れられなければ、
全員が辞めると言う。
会社で話し合っても埒(らち)があかないので、
私はその頃住んでいた京都、嵯峨野の市営住宅に
場所を移して話し合いをつづけた。

「先々の給料やボーナスを保証しろというが、
 今日どうやって飯を食おうかと日々悪戦苦闘しているのに、
 そんなことができるわけがないじゃないか。

 君たちを採用するとき、
 『できたばかりの会社で、今は小さいが、
 一緒に頑張って大きくしていこう』と言ったはずだ。

 だから、なんとしても会社を立派にして、
 将来みんなで喜びを分かち合えるような会社にしたいと考え、
 このように毎日頑張って仕事をやっているのじゃないか」

私は、このように彼らに話し、懸命に説得を続けたが、
当時は社会主義的な思想が蔓延し、
労使の対立という枠組みの中でしか、
ものごとを見ない風潮があった。

そのため、経営者はいつも、そんなまやかしを言って、
労働者をだます。やはり、給与や賞与を
保証してもらわなければ安心して働けない」

と、夜が更けても頑として納得しない。
結局、3日3晩ぶっつづけで話し合うことになった。

3日目に私は覚悟を決めて言った。

「約束はできないが、私は必ず君たちのためになるように
 全力を尽くすつもりだ。

 この私の言葉を信じてやってみないか。
 今会社を辞めるという勇気があるなら、
 私を信じる勇気を持ってほしい。
 私はこの会社を会派にするために命をかけて働く。
 もし私が君たちを騙していたら、私は君たちに殺されてもいい」

ここまで言うと、私が命懸けで仕事をし、
本気で語りかけているのがようやくわかったのか、
彼らは要求を取り下げてくれた。

しかし、彼らと別れて一人になったとたん、
私は頭を抱え込んでいた。

(……明日へ続く)

人の縁 3 「一人芝居」

火曜日, 8月 28th, 2012

「宝くじは買わないと当たらない」

日曜日, 8月 26th, 2012

    城間 晃 (シロマスポーツクラブ理事長)

       『致知』2009年5月号
          特集「執念」より
    

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私が日頃から一番よく言うのは「人に聞け」ということですね。
体操は自分で点数をつけるんじゃない。
人が見て点数をつける。

人が感動するような演技をするためには、
人に聞けばいいんです。

八百屋のおじさんでも誰でもいいから、いろんな人に聞け。
とりあえず千人の人に聞け。
そうしたらおまえは頂点に立てるよ、と。

そして「教えてもらえる人間になれ」と。

そのためには挨拶もそうですし、
礼儀もわきまえていなければいけません。

もう一つは「宝くじは買わないと当たらない」ということです。
オリンピックも「行こう!」と思わないと行けない。

宝くじを買いもせず、じっと待っていても
当たるわけがないのと同じように、
強くなろうと努力もしていない、

そう思ってもいないのに、強くなれるはずがない。
本当にそう思ったら、ちゃんと行動に移すはずです。

「人の話を聞く」という事柄にしても、
結局大切なのは基本ですよね。

木でも、根っこがなければ幹や枝の部分が伸びた時に
倒れてしまいます。基本というのは根っこのことなんです。

高度な技術ばかりいくら磨いて試合に勝ったとしても、
必ずスランプに陥る時がくる。

その時に、選手はもう一度基本に戻らないといけないんです。
でも基本ができていなければ、戻れるところがない。

だから私は、ちゃんと根っこを張ってから上を伸ばしていけと、
選手や指導者らに言うんです。

最初が肝心、最初に目いっぱい時間をかけるべきですね。
基本を確実に百%やる。
そこから進めなければ、一流選手にはなれません。

エジソンへの質問

水曜日, 8月 22nd, 2012

   「どうすれば成功できますか?」

        浜田 和幸 (国際未来科学研究所代表)

           『致知』2004年7月号
             特集「熱意・誠意・創意」より

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1914年12月、エジソンが67歳のときのことです。
災難が彼を襲います。

ウエスト・オレンジにあった研究施設が火事になってしまったのです。
連絡を聞いて駆けつけ、実験道具や資料など重要な物を持ち出そうと
陣頭指揮を執りましたが、時すでに遅し。

施設はすべて焼け落ち、当時の金額で500万ドル近い損害を
被ってしまいました。

目の前で、いままで自分が築いてきたものが
すべて燃える光景を眺めながら、エジソンがしたこと。

それは家族を呼び、こう告げることでした。

「こんなに大きな花火大会はまず見られない。
 とにかく楽しめ」

そして集まった記者たちに、

「自分はまだ67歳でしかない。
 明日からさっそくゼロからやり直すつもりだ。

 いままで以上に立派な研究施設をつくればいいのだ。

 意気消沈している暇はない」

と、平然と言ってのけたのです。

エジソンは、常識だけでなく、
時間という概念に縛られることもたいへん嫌っていました。

普通、我々は「1日24時間」という時間の中で生活しています。
しかしエジソンに言わせれば、1日が24時間であるというのは、
人間が人工的につくったもの。

自分が時間の主人公になれば、1日を36時間でも48時間でも、
自分の好きなように使えるはずだ、というのです。

エジソンの工場の壁には、長針も短針もない
大きな時計が掛けられていました。
ある日、友人の自動車王フォードが

「針がなければ、時計の意味がないのでは」

と訊ねると、

「そうじやない。時間というものは、自分でコントロールすべきもの。
 時計のような出来合いのバロメーターに左右されているようでは何もできない。
 疲れたと思えば、その場で休めばいい。

 仕事が完成するまでが昼間だ。
 自分の体にあったリズム、
 これを自分でコントロールすることが大切だ」

と答えたといいます。

驚異的なひらめきをつかんで形にし、「天才」と賞されることの多い
エジソンですが、決して努力を軽んじていたわけではなく、
むしろその逆でした。

世界中から寄せられる「どうすれば成功できるか」という問いに、
エジソンは、

「野心、

 常識にとらわれない創造力、

 昼夜を問わず働く意志」

の3要素を挙げています。

1日18時間は働くことにしていたといいますから、
人の2、3倍は濃密な仕事人生を歩んできた自負があったのでしょう。

ですから、エジソンにとっては「まだ67歳」。
まだまだ大きな仕事をするのには十分な時間がある、
という発想だったのです。

それどころか、

「肉体は魂の仮の宿り木。
 滅びれば次の宿り先に移動する」

という死生観を持ち、それを証明するための実験を重ねていたくらいですから、
「死」という概念すら超え、次なる成功に野心を燃やしていたのです。

すべての常識を超えて自分で新しい未来を見据え、
創造力を発揮して目の前の「壁」を超える。

天才とはいえ、その裏に、常に前向きに歩みつづけようとする
強い意志とひたむきな努力があったことは、言うまでもないのです。

「降りてゆく生き方」上映会決定!!!

金曜日, 8月 17th, 2012

皆様、はじめまして。

映画「降りてゆく生き方」(主演:武田鉄矢)のプロデューサー

をしております、竹邨 勉(タケムラ ツトム)と申します。

ん?降りてゆく生き方?何それ?とお思いの方がほとんどだとは思いますが、

映画「降りてゆく生き方」とは、

●奇跡のりんごで有名な、木村秋則氏

●本物の酒、百薬の長を復活させた、寺田啓佐氏

●本物の苦労を取り戻す。精神医療でのカリスマ、向谷地生良氏

を含め200人以上の方々の「新しい生き方」を取材し、

本当にあった生き方をモデルに本映画のストーリーを構築しました。

更に、映画「降りてゆく生き方」は、DVD販売及びTV放映を行いません。

また、商業的な広告宣伝は一切行っておりません。

つまり、「口コミ」によって上映展開してきた映画です。

DVDにもTVにも放映しない代わりに、誰でも上映会を行える映画です。

初公開(2009年4月)以来、「上映したい!」、「知人にも観てもらいたい!」など、

上映主催の手を挙げて下さる方々の熱い情熱によって、

口コミでこれまで国内外300回を超える上映会を開催してきました。

そんな中、以前、北海道での上映会に来た時、北海道は本当に広いなぁ!

と正直思いました。北海道でもっともっと多くの方々に映画を観てもらいたい!

と思い、私自身も皆さんと同じく「手を挙げ」、まずは札幌での上映会を企画しました。

今年そして来年と道内各所での上映会を開催する予定です。

札幌にも居を構え、6月から住んでいます。

「つながり」の中で、まほろばの宮下社長をご紹介頂き、

今メッセージを書いている次第です。

口コミで拡がる本映画の醍醐味の一つとして、「新しい出会い」があります。

北海道での良き出会にわくわくしています。

是非、お友達をご紹介下さい!!

車もあるので、会いに行きます!

映画には行けないけど、話なら聞くよ。も、あり難いです!

では、皆さんにどこかでお会いできます事を楽しみにしております。