まほろばblog

Archive for 6月 9th, 2013

「テレビ断食で日本再建」

日曜日, 6月 9th, 2013
      田中 暖人(たなか・あつと=テレビ断食の会会長)

                『致知』2013年7月号
                      致知随想より

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ある調査によると、いまの子どもはテレビやゲーム、
インターネットなどの電子メディアに週平均で約三十時間、
多い子になると六十時間以上も浸っているといいます。

毎日報じられる学校現場での問題。
その中でも、子ども自身に関する問題の根っこにあるのは
家庭の崩壊です。

そして、家庭が崩壊する原因の根っこは
家族同士の会話の無さにあります。

そして、家族同士の会話を阻害しているのは
テレビをはじめとした電子メディアなのです。

私はこの程「テレビ断食の会」を立ち上げ、
日々の生活から電子メディアに浸る時間を減らし、
家族との有意義な時間を取り戻す運動を推進しています。

私たちを取り巻く電子メディアといえば
テレビ・ゲーム・携帯電話・パソコンなど幅広く、
テレビだけ断食しても仕方がないと思われるかもしれませんが、
「テレビを断食する」ということは、
テレビ以外の電子メディアとの関わりを減らすことにもつながってきます。

そもそもテレビ番組は視聴率を上げるために、
途中でチャンネルを変えさせないよう、
電源を切られないよう実に巧みに制作されています。

大人であってもついつい画面に吸い寄せられて、
いつの間にか時間が過ぎてしまいます。
自制心が育っていない子どもは
ずるずると長時間の視聴に及んでしまうのです。

学校では、テレビは計画的に約束を守って観ましょう
といった指導がよく為されます。
しかし、それは現実を知らないきれい事だと私は思います。

子どもにそういう自制心がほとんど期待できないことは、
自分自身の子ども時代を振り返っても、
我が子の様子を見ても明らかです。

子どもがいかにテレビ番組にコントロールされているかは、
観ている時の表情を見れば分かります。

口をぽかんと開け、魂を抜かれたような表情をしています。
途中で話しかけられたり、用事を頼まれたりしても
返事すらままならない状態です。

電子メディアがもたらすもう一つの大きな問題は、
子どもの脳へ与える影響です。

長時間テレビを観たりゲームをしたりしている子どもは
脳が休まっておらず、学習に集中できないため、
成績も振るいません。

電子メディアと関わる時間と学力との相関関係は明らかです。

さらに深刻な問題は、電子メディアと
長時間関わっていることによって、
主体的に時間を工夫して使うことを
考えなくなってしまうことです。

厳しい言い方をすれば、
「電子メディアに逃げ込む人間になってしまう」
ということです。

もし、電子メディアがなければ、子どもたちは外へ出て、
きょうだいや友達を探して遊ぶなり、
家の中であれば、絵を描いたり、物を作ってみたり、
本を読んだりして時間を過ごす工夫をします。

その過程で創造力や人間との関わり方が育っていくのです。

しかし、子どもが自由にテレビの電源を入れ、
自由にゲームができる環境にいるならば、
ついつい電子メディアに流れてしまうでしょう。

それは、電子メディアが「楽に楽しめる」からです。
自分で工夫することもなく、
与えられた娯楽番組やゲームに興じているだけでは、
創造力や人間と関わる力は培われません。

そういう力が育っていないと、
困難な場面に出くわした時、
簡単に折れてしまったり、
電子メディアの世界に逃げてしまったりするのです。

我われ人間は、大人でも子どもでも、
やらなければならないことを一つひとつ
やりとげながら毎日を過ごしています。

しかし、「楽に楽しめる」電子メディアの世界に向いてしまえば、
その時間は嫌なことから逃れられます。
そういった時間の過ごし方を子ども時代に続けていけば、
生きる力の根幹ともいえる創造力と積極的に
人間関係を築いていく力が育たないまま
大人になってしまうでしょう。

かくいう我が家も、かつてはテレビに翻弄されていました。

「思い出を奏でる津波ヴァイオリン」

日曜日, 6月 9th, 2013
       中澤 宗幸(ヴァイオリン製作者・
              財団法人Classic for Japan代表理事)

                『致知』2013年7月号
                      致知随想より

2013041123101063d[1]














東日本大震災から一年が経った平成二十四年三月十一日。
岩手県陸前高田にある“奇跡の一本松”の下で、
一つのヴァイオリンが産声を上げました。

その鎮魂の音色が奏でられた時、
私はまるで自分の子供が産声を上げたように感じ、
思わず涙しました。

そしてその声が成長し、やがてしっかりした言葉を
出せるようになってほしいと心から祈りました。

津波の流木から作ったヴァイオリンを
世界中の演奏家がリレーして演奏する、
「千の音色でつなぐ絆プロジェクト」が
第一歩を踏み出した瞬間でした。

私は長年ヴァイオリンの製作・修復に携わってきた
一介の職人にすぎませんが、先の震災には大変な衝撃を受けました。

幼い頃から自然に親しんできた私は、
やはり人智では及ばないものが
この世にはあるのだという畏怖の念を改めて覚え、
大津波の映像を前に、ただ呆然としました。

そのような時、妻がテレビに映された瓦礫の山を見て、
涙ながらに訴えてきたのです。

「これは瓦礫の山じゃなくて、
  そこに暮らしていた人たちの思い出の山じゃない?
  柱や床板などの流木を使ってヴァイオリンが作れないかしら」

その妻の言葉と共に、私の脳裏に、
もう四十年も忘れていたギリシアのある
美しい詩が蘇ってきたのでした。

「山に立っていた時は木陰で人を憩わせ、
  いまはヴァイオリンになって歌で人を憩わしている」


そうか、あの無残に積み上げられた瓦礫の山も、
かつては家屋の材料であり、
その家で起こったいろいろな出来事を知っている。

私もあの流木からヴァイオリンを作り、
再び人々を憩わせることができたなら……。

その想いは抑え難く、私はすぐに
岩手の陸前高田に向かったのでした。

悪路を二時間以上かけて迎えに来てくれた
知人の車から見えた景色――。

テレビ映像のように生易しいものではない、
現地ならではの異様な雰囲気に圧倒されました。

私は被災地を歩き回っては材木を拾い集め、
それを製材所へ運んだり、東京の工房へ送る手配をしたりしました。

瓦礫からヴァイオリンを製作した一番の目的は、
震災の記憶が人々から風化してしまわぬよう、
また、多くの人の思い出や歴史を刻んだ材料で
作られたこの楽器の音色が、
亡くなった方々への鎮魂と祈りとなってほしいということでした。

妻の言葉から生まれたこの取り組みは、
知人たちの助けと、世界中の音楽家から賛同を得て
「千の音色でつなぐ絆プロジェクト」として
一年後の演奏に結実することになりました。

このヴァイオリンの修復・再生活動の原点は、
私自身の幼少期の体験に根ざすものかもしれません。

※この続きは『致知』7月号(P89~90)をご覧ください。

「頑張れ」「頑張れ」

日曜日, 6月 9th, 2013
ある高校で夏休みに水泳大会が開かれた。

    種目にクラス対抗リレーがあり、
    各クラスから選ばれた代表が出場した。

    その中に小児マヒで足が足が不自由なA子さんの姿があった。
    からかい半分で選ばれたのである。

    だが、A子さんはクラス代表の役を降りず、
    水泳大会に出場し、懸命に自分のコースを泳いだ。

    その泳ぎ方がぎこちないと、
    プールサイドの生徒たちは笑い、野次った。

    その時、背広姿のままプールに飛び込んだ人がいた。

    校長先生である。

    校長先生は懸命に泳ぐA子さんのそばで、

   「頑張れ」  「頑張れ」と声援を送った。

    その姿にいつしか、生徒たちも粛然となった。

             (ポケット名言集  小さな人生論より)

                               ★★★★

以上の話は、「ポケット名言集 小さな人生論」に掲載されている
感動実話です。

 http://www.chichi.co.jp/book/p_cj2_index.html