まほろばblog

Archive for the ‘歴史’ Category

大貫妙子さんの御父、生還特攻隊員の苦悩

月曜日, 9月 25th, 2017

 

「続倭詩」の第23章『散華の海、帰郷の山』。

これは大貫妙子さんの御父、大貫健一郎氏の生き残り特攻隊員としての半生の苦悩を書いたものである。

国民のほとんどが、死地に向かった特攻隊員は、みな潔く南の海に散って行ったものと思い込んでいた。

だが、その半数は、何と国土に戻っていたのだ。

健一郎氏を待っていたのは、生き地獄の牢獄「振武寮」であった。

そこで行われたものは、何であったか。

そして、それよりも何故、非道の特攻隊が発案され、実行に移されたのか。

それを、戦後70年経った我々国民は知るべき時に来ている。

そこを大貫妙子さんは、戦後失われた日本人としての生き方、

「覚悟を持つ」ことと静かに語る。

彼女の「空蝉の夏」を底本にした『散華の海、帰郷の山』を是非読まれたい。

またNHKドキュメント「振武寮の実態」をも合わせて観られたい。

 

作曲家「バッハ」の伝記映画製作へ

水曜日, 9月 20th, 2017

小さい頃から、作曲家の伝記映画が、何かしら好きだった。

ベートーベン、モーツアルト、シューベルト、シューマン、コロンボ……

心ときめきながら、画面に食い入っていた。

ところが、今度、あのバッハが映画化されるという。

これは興味津々、世界中で見たい方も多かろうと思う。

そうして、あのように神が書いたかのような曲が、どうして紡がれるのか。

それが伝わるような演出があるのかしら?

作曲家バッハの伝記映画 G・ドパルデュー、M・フォン・シドーら共演

2016年11月20日 19:30

  • ジェラール・ドパルデュー& マックス・フォン・シドー「ハンナ・アーレント」

ジェラール・ドパルデュー&
マックス・フォン・シドー

[映画.com ニュース] 音楽の父とも呼ばれる18世紀ドイツの大作曲家、ヨハン・セバスチャン・バッハの伝記映画が製作されることがわかった。

米ハリウッド・レポーターによれば、新作「バッハ(Bach)」は現時点では主役のバッハ役はキャスティングされていないが、仏俳優ジェラール・ドパルデュー、スウェーデン出身のマックス・フォン・シドー、独俳優アクセル・ミルベルク(「ハンナ・アーレント」)、独女優マリアンネ・ゼーゲブレヒト(「バグダッド・カフェ」)の出演が決定しているという。

ジェフリー・フリードマンが脚本とプロデュース、エリック・スタイルズが監督を務める。監督と脚本は比較的無名の存在だが、撮影監督にはビットリオ・ストラーロ(「地獄の黙示録」「ラストエンペラー」)、音楽にガブリエル・ヤーレ(「イングリッシュ・ペイシェント」)、編集にタリク・アンウォー(「英国王のスピーチ」)と、錚々たるメンバーが揃った。

バッハの伝記映画といえばジャン=マリー・ストローブとダニエル・ユイレの「アンナ・マグダレーナ・バッハの日記」(1968)があるが、モーツァルトの「アマデウス」に匹敵するようなメジャーな作品はこれまで製作されていない。



 

徐福で繋ぐ日中友好

土曜日, 6月 17th, 2017

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一介の農婦から、一躍「日本徐福協会会長」にまでなった川崎の田島孝子さん。

孔子の第76代目の暁明さんと共に、仁木の隣の畑まで来てくださったことがある。

不思議とみなを惹きつけ、役処に落ち着く生来の人徳があり、ご自身

「私は、徐福の子供だったの」とまじめにお話しする。

この思いがあって、中国韓国の仲間たちにも絶対の信頼を得ている。

日中韓は永遠に理解できない近くして遠い間柄と言われる一方、

このように同胞以上に接近している人々がいる。

その絆の不思議。

その中国から、徐福研究で留学している華雪梅さん。

何度か例会でお会いしているが、熱心に日中友好の為に

学習し、貢献しようする真剣な姿勢は、周囲に良き感化を与えている。

ともあれ、近親憎悪ではなく、近親相愛の時代を築いて行きたいものである。

 

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林謙三先生の幻書、復刻

土曜日, 5月 13th, 2017

山寺 本

 

先日、「林謙三『隋唐燕楽調研究』とその周辺」

と題された共編訳本が、著者の山寺三知さんから贈られて来た。

共に古琴研究家である奥様の美紀子さんとは夫唱婦随、

公私共に同じ道を歩まれる。

 

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彫刻家であり、東洋古楽研究家でもある故林謙三先生。

私は、若き日に奈良のご自宅を訪問したのだった。

当時、正倉院の古楽器と楽譜を復元され、

「天平の音楽」を音盤にも刻まれた。

そのオリエンタルで古雅な調べに、胸がときめいたものだった。

あれから50年もの歳月が過ぎ去ってしまった。

 

林謙三

 

その忘れかけていた記憶を、

山寺さんが掘り起こしてくださったのだ。

戦後、大陸に生きる最後の文人としての郭沫若の名は、

私の耳にも入っていた。

何と、この林先生が書かれた論文を、朋友

郭沫若が翻訳して大陸で上梓したのだった。

だが、あいにく戦争で原本が失われてしまっていたのだ。

それを山寺さんが、半世紀以上埋もれた名本を蘇らせたのだった。

郭ます若

 

林先生の多才多識に舌を巻き、

郭大人にはその造詣の深さに驚愕し、

そして、山寺さんの学識の豊かさと旺盛な探求心に感動するものです。

この専門書、なかなか我々が読みこなす事は難しいが。

しかし、名も知れぬところに、歴史上、

着実に学術の道が継承されていることを讃嘆したい。

おめでとうございます。

お疲れさまでした。

 

 

鳥取慕情Ⅱ

金曜日, 5月 5th, 2017

鳥取慕情 2

 

とある日、鳥取の郷土史研究家の中嶋二三男さんという方から、メールを頂いた。

何でも「北海道開拓に出た旧鳥取藩士の遺した落書き」という遺構を取り上げたもので、

そこに何年か前に書いた祖母の「鳥取慕情」を一部掲載させてほしい、というものだった。

それが鳥取と釧路の友好関係に繋がるよう、と祈りつつ快諾させてもらった。

その定本が先日送られて来たこの「郷土史の資料を読む会」が編集された

野口英世から出雲に関わる七稿に亘る力作であった。

 

鳥取慕情 3

 

改めて、移住開拓当時の様子を読み直したが、そこには辛苦というには、

凄まじい毎日があったことが想像してもし尽くされないものがあった。

先日、小泉武夫先生の会のあと、釧路の魚谷さんが語っておられたが、

当時の開拓者が、余りの辛さに多くの家族が鳥取に帰る者も多かったと聞く。

そこで、辛抱に辛抱を重ねたものが、今の釧路を作ったと語っておられたが、

北海道の各地各人が、同じような辛い日々を送られたに違いない。

 

鳥取慕情 1

 

 

殊に、道北から道東にかけての厳冬と戦った人々には、敬意を表するものだ。

吾がまほろばの大橋店長は士別出身で富山から、

島田編集長は利尻島出身で石川から出向いて来たと言う。

あの厳北や孤島で不自由極まりない土地で、どのような日々を過ごされたか、

皆一言半言では語り尽くせないものがある。

かかるご先祖の労苦あって、今日の我々がある事を忘れてはならない。

 

http://www.mahoroba-jp.net/blog/2009/03/post_459.html

「新しき扉、古き回廊」

http://www.mahoroba-jp.net/about_mahoroba/tayori/oriorino/oriorino200903tottori.htm

「鳥取慕情」

オスマン・ハリダご夫婦、トルファンから!!!

水曜日, 6月 1st, 2016

神山夫婦

 

先日の森下自然医学の「燦々会」で、

初めてお会いすることが出来たトルファン出身で、

日本に帰化した神山オスマン・ハリダご夫妻。

「シルクロード株式会社」を興されたように、

中国新疆ウイグル自治区に位置するトルファンは、

まるで孫悟空や玄奘三蔵の古代の夢の世界。

お声を聴いただけで、懐かしさに胸キューンとします。

きっと、自分も彼の地の砂漠で、生活した日々があったのでしょう。

そこで採れるブドウの数々。

そして干しレーズンの豊かさと美味しさ。

神山(天山山脈のこと)さんの西域の農園で造られたレーズンを直輸入して、

日本国内で販売されています。

 

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ご主人は、今貿易コンサルタントの仕事で、今大忙しとか。

ウイグルでの輸出入業の同胞が、彼を頼って来日される。

とてもたくましく、埼玉に大きい一軒家を購入するまでに。

奥様は、神秘的な西域美人で、動きがしなやか、お声も麗しい。

トルファンと言うぐらい、トルコとの人と物の交流が盛んであった。

どことなく東西混淆が異国情緒を醸しているのかもしれない。

日本文化の原型が、唐などを通って中東・西域からやって来た。

奈良当時の人々の驚きが、いかに大きかったか。

古代染めの吉岡幸雄氏が語っていたが、

「染めは、奈良・平安がピークで、当時の再現は今はできない」ほど、

技術も素材も群を抜いて素晴らしかったのだ。

日本人の原質を訪ねる上でも、もう一度、

西域文化・文物・食物を学び直す必要があるのではなかろうか。

神山さんとのお付き合いの中で、

普段にはない不思議な感覚と体験を得られた。

一般的な国内外の方々とは一味も二味も違う

彼らの生き方や暮らし方を学びたいと切に思う。

ラグ麺 1

(奥様手作りの「ラグ麺」。美味しさこの上ない。マルコポーロが、これを伝えてパスタになったという。動画が再現できないのが残念。)

金容雲先生、講演会

水曜日, 6月 1st, 2016

金容雲先生 4

先日、韓国在住の「日韓友好海苔」の後藤吉助翁から、

札幌で金容雲漢陽大学名誉教授の講演会が、

韓国領事館50周年記念であるから行きましょう、

というお誘いがあり、昨日、ロイトンホテルに駆け参じた。

金容雲先生 3

金先生は、数学者にして歴史学者、文明評論家としての顔を持たれる。

先生とは後藤翁と共に、ソウルと東京でお会いして、親交を頂いている。

韓国のバートランド・ラッセル(Bertrand Russell)と呼ばれ、

当日「原型史觀でみる韓日文化の比較と題して論じられ、

きわめて示唆に富む溜飲の下がる思いに、時の過ぎるのを忘れた。

日本=百済説のご本に始まる一連の日韓文明論は、自国優越説に傾くことなく、

数学者としての冷静沈着な思考論理は、静平な説得性に富み、

ことに東京で生まれ育ったバイリンガルという利点は、

古代語の文献を両国語で考察出来る強みから、

専門学者でも到達出来えなかった歴史解読に至り、

日本人である私をして納得せざるを得ない必然性に富んでいる。

 

金容雲先生 2

 

訪韓して、胸襟を開き、ともに青年時に奈良に惹かれたこと、

数学者岡潔先生を尊敬している点など、多々共感するを喜び合い、

日韓民族の違いを超え、年齢を超えての友情を温められた。

まほろばの語源とアリランの意味の共通性を指摘されたことがあった。

まほろばが、新たなる日韓友好の一助となれば、と願うばかりである。

かつて、共に力を合わせて国造りした兄弟である。

倭詩Ⅱ』に掲載される

アリランと倭し美し」と「故郷忘じ難く、同胞睦み易し」の

両編を是非とも読まれて戴きたい。

日韓友好の鍵が書かれている。

先生曰く「最も近くして、最も遠い国、日本と韓国」。

反日・反韓を助長することなく、親日・親韓の機会を増し、

友好の道筋の一条の光明を見出して行きたいものである。

先生のまたの来日を期し、再会を楽しみにしています。

益々お元気でご活躍のことを。

金容雲先生 1

右から後藤吉助翁、金容雲先生、韓恵進大韓民国総領事。

 

 

 

「富士山徐福フォーラム国際大会」

火曜日, 5月 31st, 2016

三国会議

 

先回、お知らせした「富士山徐福フォーラム国際大会」。

いよいよ10月、山梨に於いて中国、韓国、日本の三国研究総会があります。

2020年に、世界無形文化財に指定される運びとか。

その前段階でもあるこの大会を、盛り上げて是非とも成功させたと思います。

当日、私も宮下家子孫として発表する予定です。

是非とも、ご参加をほどを。

(下の記事は、日本代表でもある地元・土橋寿氏の記事です)

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明治維新志士の書

水曜日, 4月 20th, 2016

小原道城先生 7

 

先日、家内と所用で中央の公官庁に出かけた。

すぐ近くのビルに「書に探る鼓動の幕末維新展」の展示会の掲示があった。

 

小原道城先生 5(古典の中に前衛ともいえる創意に溢れる「副島密」の横額)

 

面白いとばかり、立ち寄ると、あいにく休館日。

横のドアを押すと、中で書道教室と展示室が連なっていた。

「どうぞ、お入りください。今日は休館日なので、お金がとれません。

でも、ご覧ください」と、ご親切に、ご案内戴いた。

その方が、主催者で書家の小原道城氏であった。

あの明治維新に生きた志士たち25名の43点が一堂に並ぶ。

勝海舟、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文などなどの名筆が、

この北海道にあるとは、驚きである。

 

小原道城先生 6

(伊藤博文の信書)

 

当時の志士というより、一般の若者の教養の高さは、その筆致に伺えるだろう。

ことに、事を成したこの博文は、甲論乙駁、色々言われるが、それ以前に、

人間としての格というか、学識や胆力や体験の深さが並ではない。

この境に至れずして、なかなか物言いはできない気迫を感じた。

惑いのない、迷いのない、筆致の址に、命がけの日常が伺える。

小原道城先生 3

 

この富岡鉄斎の軸。

万巻の書、万里の旅をせよ、といった鉄斎の内に蔵する学識は半端ではない。

無尽蔵の知恵蔵から溢れ出る、画と文は百年を超えても色あせない。

京都の維新の激動の地にて活躍し、それを実写した鉄斎は、

晩年益々冴えわたった、というから面白い。

それは若年の豊穣なる蓄えがあったからだ。

若きうちに、学びたまえ!と。

小原道城先生 4

 

贋作が多いとされる西郷隆盛の豪快な書。

山岡鉄舟にも似る筆使い。

豪壮の気風に、惑いのない終始。

当時、漢文の素養をみな一応に身に着けて背骨バックボーンを形成した。

戦後、その教育を失し、海月なす漂える国となってしまった。

今一度、行きて戻らぬ気概を学ぶべきである。

 

小原道城先生 2

 

榎本武揚の晩年の書である。

隣に、若書きの書があるが、明らかに目覚ましい境地となっている。

若き日は、月並みの志士のそれであるが、

老齢になって一つ一つ味わい深い文字が互いに呼応している。

若くして、函館五稜郭にて惨敗し、その後救われて明治政府の高官に。

その波乱万丈の人生の裏表が、見事に浮き出ている。

小原館長も激賞している傑作の逸品である。

なかなか味わい深い。

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門外漢の家内と談笑する小原館長。

全く筆も持たぬ彼女であるが故に、ズケズケと物言う。

本質をいうので、先生も話に乗り、色々教えてくださった。

学生の頃から、書の博物館設立の夢を以て、

何と個人の所蔵が4000点にまで及ぶという。

これが北海道でなされているというから驚異的な事業である。

独りの志、国を動かす。

まさに、志士に通じる小原先生の大志である。

 

 

あさきゆめみし・・・・・・

金曜日, 4月 1st, 2016

あさきゆめみし

 

30日の道新に漫画家・大和和紀さんが特集されていた。

「あさきゆめみし」や「ハイカラさんが・・・」などの題名は聞いたことがあるが、

読んだこともなく、お名前は失礼ながら知らなかった。

事務所の女性陣は、「懐かしい!」と叫んだ。

札幌出身で、50年の画業。

すごい人がいたもんだ、と感心。(無知ですみません)

その彼女の最初のころのエピソードが面白い。

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・・・・・・・・・・18歳で漫画家になった大和和紀は、その数年前、

高校の修学旅行で初めて京都を訪れた。

生まれ育った北海道にはない町家の格子戸や嵯峨野の竹林を目にして、

「日本ってすてき」と感激した。・・・・・・・・・・・・・

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私も、同じ歳、奈良に行って、懐かしいと感じた。

それが人生の転機でもあった。

彼女の描くものは、源氏物語とか額田王とか、日本の古典が多いらしい。

見ると典雅で、細部が描けていて、よく勉強されているなーと感心することしきり。

彼女の言う通り、北海道には無い伝統文化故に惹かれたのだろうが、

魂といえば大袈裟だが、元々、古典の記憶というものを持ち合わせていた、

としか考えられない。

北欧に似た北海道の大地に、そのような感性はなかなか育ちにくいだろう。

しかも、高校生の大の仲良しが、同級の

あの漫画家の山岸涼子さんだったというから驚きである。

だが、あのという私は山岸さんを知らないし、読んでもいない。

驚くべきは、「日出処の天子」という聖徳太子を題材に、「ヤマトタケル」など

多くは日本の古典を描いている点が、二人の共通している点である。

共に、北海道出身で活躍されて、女流漫画家では大御所とか。

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まほろばの近所に、これも日本の歴史ものを描かせたら右に出る者なしの

「ヤマタイカ」「宗像教授シリーズ」の星野之宣氏がおられる。

北の大地で、日本の歴史文化を語るのも場違いでないということに

勇気付けられた、今日この頃である。

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