まほろばblog

泊 プルサーマル延期!

10月 18th, 2011

「泊原発 プルサーマル延期」の報道。

しかし、やらせ問題を一時沈静化する、一時凌ぎの策でしかない。

あれほど前代未聞の大惨事を受けたにも関わらず、

また原子村がうずうずと復興する動きが見れる昨今、

信じ難い光景でもあり、渡し難い日本である。

費やす論議も虚しく、被災者の悲嘆は報われない。

分かり易いTPP

10月 18th, 2011

大震災・福島原発で一時途絶えたTPP問題が、
俄かに再燃しています。
それが、掌が返ったように、野田首相が前のめりで参加賛成の意向に傾き、
雲行きが随分危うくなって来ました。

今日、「森下自然医学」に連載された『TPPとGNH』と題してまほろばの主張を掲載しました。
http://www.mahoroba-jp.net/about_mahoroba/tayori/topix/topix201110kitanosora_TPP.pdf

お読み下さい。
無論、まほろばはTPPは絶対反対の立場です。
現在、反TPPの論客として中野剛志さんが激しく世に問うています。
その主張するところをお聞き下さい。

「国を滅ぼすTPP 推進者の巧妙な手口・ダマしの数々 【中野剛志】」

「こだま」「ひかり」・・・・「のぞみ」・・・

10月 18th, 2011

毎月、トータルヘルスデザインさんから送られてくる『元気アップ通信』。

今月は、エリクサーを取り上げて下さったのですが、その中で会長の言にハッと驚きました。

それは、あの新幹線の名前「こだま」「ひかり」「のぞみ」なのですが、

実は、甚だ深い意味があったことに気づかされたのです。

何気ないその名前の深意が、以下の会長の文章で明かされています。

アインシュタインの相対性原理の光より早いものがない、という常識が常識でなくなった先日、

それよりも意識が早いとする宇宙の真相は、

まるで「のぞみ」号のように逸早く人生の扉を開く鍵のようです。

(近藤会長ご夫妻と小泉武夫先生)

『元気アップ通信』「イメージの力が時代を創る」より

・・・・・・『エリクサーⅡ』を創ろうと決意したとき、宮下周平さんが意図したことは、ただ一つ。

すべてを生み、育み、癒し、復元させる「母なる水(母水・MOTHERWATER)」というイメージを

強くもったということ、ただそれだけなのです。

この大宇宙を統合するただ一点に意識を集中することで、

あらゆる情報が集まってきた、というのです。

もともとこの一点から、あらゆるものが生まれ、拡散していったのだから、

何もすべてを知る必要はない、その原初の一点に意識を集中すれば、

為さずしてすべてのものがそこに集まってくる、というのです。

学間の常識を超えていますね。

しかしこの意味が明らかになる日も遠からずやってくるのかもしれません。

名古屋大学などの国際研究グループによつて、

質量を持つ素粒子ニュートリノが光よりも速く移動する

という実験結果が得られたと発表されました。

そうだとしたら、私たちの物質世界の根幹を支える根本原理

『質量を持つものは光より速く移動できない』というアインシュタインの

相対性理論が絶対ではないということが明らかになったということになります。

ところで東海道新幹線は「こだま」より「ひかり」が速く、

「ひかり」よりも速いのは「のぞみ」ということだったのですが、

「ひかり」と「のぞみ」の間に「ニュートリノ」をはじめ、

数多くの列車がはいることになるのかもしれません。

いよいよ「意識の世界」を視野に入れないと「“のぞみ“は叶うもの」という

この世の真実を把握することはできないということになるのだと思います。

“唯物”論から”唯識”論へ紆余曲折はあるものの、

いよいよ本格的な21世紀が始まるのでしょう。

 「心の中に佐渡島をつくれ」

10月 18th, 2011

              
       
      伊藤 謙介 (京セラ相談役)
        
        『致知』2011年11月号
        特集「人生は心一つの置きどころ」より
 http://www.chichi.co.jp/monthly/201111_pickup.html#pick2

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若い人ばかりでなく、自身の戒めとしても
拳拳服膺してきた言葉に、

「我一心なり」

というものがあります。

心を一つに定め、よそ見をするな, ということです。
ある女子プロゴルファーが話していて感銘を受け、
心に刻んだ言葉です。

若い頃は隣の芝生が青く見えるものですが、
一度思い定めたら、誰がなんと言おうと
二心なく貫いていくことが大事です。

これはきょうのテーマである
「人生は心一つの置きどころ」という言葉にも繋がると思います。
各々が一つのことをひたすら一所懸命やっていく。

そういう心を一つに集約したものが企業であり、
企業の業績に結実するとともに、
そうやって仕事に打ち込むことは、
自分自身のためにもなるのです。

その決意を固めるために私は常々

「心の中に佐渡島をつくれ」

とも言っています。

社長になった頃、仕事で新潟に行った時に
佐渡島まで足を伸ばしたのです。

流刑の地として有名な佐渡島には、
たくさんの人々が流されましたが、
能の世阿弥も流されていたということを
その時初めて知りました。

世阿弥は佐渡島という逃げ場のない場所で
何年にもわたり極限の暮らしを余儀なくされました。

勝手な想像ですが、世阿弥にとって
あの佐渡島での流刑生活があったからこそ、
能楽を世界的な文化に高めるほどの
思想的な深みを得たのではないかと思うのです。

我々は目標を設定しても、
必ずしも思い通りにいくとは限りません。

そうなるとエクスキューズ(言い訳)が
出てしまいがちですが、それを自分に許してはならない。

世阿弥が逃げ場のない佐渡の流刑生活を経て
能楽を大成したように、心の中で絶対に
後には引かない決意をしなければなりません。

それによって自分を高められ、
厳しい目標も達成できるのです。

そのためにも、

「井の中の蛙大海を知らず」

という言葉がありますが、これに

「されど天の深さを知る」

と付け加えなければなりません。

大海を知らなくてもいい。
自分の持ち場を一所懸命掘り込んでいくことで、
すべてに通ずる真理に達することができるのです。

西郷南洲や大久保利通が、
情報のない時代に天下国家のみならず、
世界情勢までも知り得たのは、
やはり自分のいる場所を
とことん深掘りしていったからだと思います。

一芸を極めた芸術家が語る言葉に
万鈞の重みがあるように、
我々も自分の仕事に打ち込むことで
天の深さを知るのです。

生きるヒント

10月 17th, 2011

橋本 武 (灘校を東大合格者数トップにした伝説の国語教師)
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   遊ぶのは好きだけど、学ぶのは嫌い。
   だったら好きなことで嫌いなことを包んでしまえばいい。
   それが自分の力をつけていくのに、
   もの凄く大きな働きになっている。

   そういう力が自然のうちにつくように仕向けていくのが、
   プロの教師としての務めでしょう。

 
  
  
永田 勝太郎 (フランクル博士の直弟子)
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   フランクル先生は
   
  「たとえいかなる極限状況に置かれても、
   人間の心は自由だ。
   目をつむれば精神は花園に遊ぶことができる」

   と述べておられます。最後の瞬間まで諦めず
   希望にしがみつくことが大事だと思うんです。

菅野 敬一 (鞄ブランド・エアロコンセプト創始者)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

   

         私の欲しいものは、時に潔さとも表現できます。
   だったら出来上がるものもやはり少々不便でちょうどいい。
   相手に対する敬意や、お邪魔させていただく
   という気持ちがあれば、こっちは
   楽をすべきではないと思うんです。
   

昇地 三郎 (105歳 しいのみ学園理事長・園長)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

   

        人生は100歳からが本番、
   99歳までは助走である。

両 角 速 (無名だった佐久長聖高校男子駅伝部を強豪に育て上げた名将)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

   

         これは長距離走の特性とも関係しているわけですが、
   走っていて足が上がらない、息がゼエゼエ言う、
   もうこれ以上動けないという状態に追い込まれた時、
   求められるのはどれだけその状態に耐えられるかです。

   そこをさらに踏み込んだ選手が勝利を手にできる。

 「私の人生を拓いたもの」

10月 16th, 2011

       
       
    黒澤 眞次 (くろさわ・まさつぐ=イカリ消毒社長

            『致知』2004年4月号より

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 昭和三十八年八月、事務所に電話が入りました。
 
 
 「大変です、爆発事故です!」。
 
 
 私と兄は取る物も取りあえずに
 現場の池袋のデパートに向かいました。

 その日、デパートは定休日でした。
 全館の消毒を依頼され作業をしていましたが、
 昼休みに一服しようとマッチに火をつけた瞬間、
 可燃性の殺虫剤に火が燃え移ったといいます。
 
 隣では別の業者がシンナーを使って塗装しており、
 そこに火の手が及び爆発。
 デパートの七、八階が全焼し、
 死亡者が出るほどの大事故となってしまいました。
 翌日の新聞には「戦後最大の大火災」の文字が躍りました。

 その前年、創業者である父が急逝。
 社員十五名程度の小さな消毒会社でしたが、
 二十二歳になったばかりの兄と私、
 十代の弟が力を合わせて運営してきました。
 
 それがまさかこんな事態になってしまうとは……。
 死んでお詫びしようか、それとも刑務所で罪を償おうか。
 
 いずれにしても、とにかく謝罪に行かなければなりません。
 
 翌日、兄と二人でデパートのオーナーの元を訪ねました。
 
 すると、

「起きてしまったことは仕方がない。
 せっかくお父さんが残された会社なんだから、
 二度と事故を起こさないように気をつけて頑張りなさい。
 
 君たちはまだ若い。
 世のため人のためになる仕事をしてほしい」

 と、責めるどころか、私たちを励ましてくださったのです。
 兄も私も溢れる大粒の涙を止めることができませんでした。

 その後、消防署や警察で事情聴取を受けました。
 そこで聞かれるのは、決まって
 「危険物取扱主任者」の資格の有無。
 
 恥ずかしながら、その時までそんな資格があることなど、
 まったく知りませんでした。
 
 他にも業務に必要な資格があるのではないかと調べてみたところ、
 実に多くの知識・資格が必要だったのです。
 
 結局、あの事故は無知が引き起こしたものなのだ。
 消毒の仕事は一歩間違えば人の命をも奪ってしまう。
 二度と事故を起こさないためにも、
 一所懸命勉強しなければならない、と切実に思いました。

 その日から仕事の合間を縫って資格試験の勉強を開始。
 翌年には社員全員が「危険物取扱主任者」の免許を取得しました。
 
 高校卒業後すぐにこの仕事を始めたこともあり、
 大学に行っていない分、自分は資格で他の人に追いつこうと、
 その後も一年に一つ資格試験に挑戦し、合格していきました。

 数年後、ある朝、妻と一緒に近所を散歩していた時、
 朝五時から「朝の集い」の看板に出合い、
 「どなたでもご自由に参加できます」
 との内容に興味を惹かれ、
 早速、好奇心から夫婦揃って集いに参加。
 それが倫理法人会へ入るきっかけとなりました。

 その席で、「朝を制する者が人生を制す」という
 丸山先生の言葉を聞いた時、
 以前軽飛行機操縦のライセンス取得で
 ともに学んだ上智大学教授の故・酒井洋先生を思い出しました。
 
 電気工学の工学博士でありながら、ヴァイオリンを弾き、
 中国語の通訳免許を持ち、書道の大家。
 
 ご著書『ナポレオン睡眠法』では、
 人間は三時間寝れば十分と主張し、
 ご自身も三時間の睡眠の後、明け方から
 勉強されているとおっしゃっていたのです。

 以来、私も早朝三時半に起床し勉強を続けてきましたが、
 思いのほか集中できることを実感しています。
 
 特に経営者にとって時間は何より貴重ですが、
 日中は会社内での仕事に追われ、
 夜は得意先とのお付き合いもあり、
 結局、経営者が自分のための時間を持てるのは朝、
 それも「朝飯前」しかないのです。

 私は早朝勉強に切り替えてから一年に二つの資格取得に挑戦し、
 現在は七十八の資格を有するまでになりました。
 
 社内にも「環境スペシャリスト制度」を導入し、
 現在在籍する六百五十名の社員たちは、
 平均して五つ以上の資格を取得しています。

 社員がそれぞれの知識を持ち合って相談すると、
 あちこちで融合化反応を起こし、
 次々と新商品に結びついていきます。
 
 例えば、殺鼠剤に慣れたネズミは抵抗性を持ってしまい、
 ちょっとやそっとの毒では死ななくなってしまいます。
 
 さあ、どうしようかと話し合っていると、
 栄養士の資格を持っている社員は、
 
 「人間もおいしいものばかり食べていると
  体の調子が悪くなるから、
  逆にネズミが喜んで食べて臓器を悪くさせる
  栄養剤がいいのではないか」
  
 と提案。すると他の社員は
 「脳震盪を起こさせ、その間に電気ショックを与える」
 「一瞬のうちに凍死させる」など、
 どんどん新商品のアイデアが出て、
 現在わが社では五百三十一もの特許を持つに至りました。

 資格を取る、勉強するということは、
 経営道、人生道に繋がると思います。
 
 学びによって気づきを得て、
 はじめてお客様が感動する商品を作れ、
 サービスができるのです。

 私は資格により実に多くの人との出会いがあり、
 気づきがありました。
 
 私の人生は
 
 
 「資格によって師に出会い、
  資格によって道理を尋ね、
  資格によって人生を拓いてきた」
  
 
 と思っています。
 
 七十八の資格のどれ一つとして無駄なものはなく、
 
 すべてが私の人生を豊かにしてくれました。
 本来ならあの事故で潰れてもおかしくなかったわが社が、
 いまこうして六百五十名の社員とともに
 増収増益を続けているのも、
 先に述べたデパートのオーナーの励ましと、
 「学ぼう、勉強しよう」という社風の賜物と思っています。

 「我、いまだ木鶏たりえず」

10月 15th, 2011

       
       
        納谷 幸喜 (大鵬/第48代横綱)&

                           白鵬 翔 (第69代横綱)
        
            『致知』2011年11月号
            特集「人生は心一つの置きどころ」より
       http://www.chichi.co.jp/monthly/201111_pickup.html#pick1

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【大鵬】 白鵬の連勝記録がストップした時、

     「我、いまだ木鶏たりえず」
     
     という言葉が新聞に掲載されていましたが、
     双葉山関はこの「木鶏」の話を
     陽明学者の安岡正篤さんからお聞きして、
     そういう無心の境地を目指されていました。
 
     実は、双葉山関が相撲協会の時津風理事長となられていた時代、
     直接ご本人から「木鶏」の話をお聞きしたことがあります。

【白鵬】 ご本人から。

【大鵬】 そう。「木鶏」というのは、『荘子』に出てくる話で、
     ある王が闘鶏づくりの名人に自分の闘鶏を託した。
     
     十日後、王は名人に「まだか」と問う。
     すると、「カラ威張りしてダメです」と答える。
     
     さらに十日後に尋ねると
     
     「相手を見ると興奮します」。
     
     再び十日後も
     
     「敵を見下すところがあります」。

      そして四十日後に
      
      
     「もういいでしょう。いかなる敵が来ても動じません。
      木彫りの鶏のようで徳力が充実しています」
       
       
     と答えた。そういう逸話だと教えていただきました。

【白鵬】 私は双葉山関の本を妻から読んで聞かせてもらいながら
     勉強していますが、七十連勝できなかった時、
      
      
     「ワレイマダモッケイタリエズ」
      
      
     と安岡さんに電報を打ったとありました。
     この「我、いまだ木鶏たりえず」という言葉が、
     すごく印象に残っています。

【大鵬】 木鶏のお話を理事長からお聞きした時、
     この方はこういう境地を目指しながら
     淡々と土俵を務めたのだと思って、
     あまりの気高さ、理想の高さに
     身震いがする思いがしました。

「脱原発!」女たちの会

10月 14th, 2011

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こちらから

10月 14th, 2011

新日の丸醸造さんが、雑誌に

10月 13th, 2011

先日、大阪へ出張の折、機中でJALの雑誌に、

大きく秋田横手の新日の丸醸造さんの蔵が紹介されていた。

全国的に見ても、貴重な文化財で、そこの酒蔵と繋がりあるのも有難い事である。

来月、その近所の石孫さんでまほろばオリジナル醤油の仕込みの

初仕事に立ち会う。不思議な秋田の縁である。

http://www.mahoroba-jp.net/about_mahoroba/tayori/topix/topix201005yokote1.htm

http://www.mahoroba-jp.net/about_mahoroba/tayori/topix/topix201006yokote2-1.htm

(「醸造醗酵の街『横手』その一、その二から)