2011年05月31日

●「福島原発巨大事故 今何が必要か」 広瀬隆氏

昨日今日と札幌で行われた広瀬隆氏の講演。
先日、衆議院会館の議員の前で行われた録画。
鳩山氏も出席で、国会議員も動くか!?
国政を司る方々よ、真声に耳を傾けて、日本の正しい未来の舵取りを・・・。

●求む バザー品!!

「1/4の奇跡」上映会後、皆様の前で、
まほろば隣の「よろこびの家」、植村施設長のメッセージが代読されました。
その内容を、掲載致します。
彼の深い思いに感動し、彼らと共に活動できる事に感謝します。
来る9月3日(土)に、”よろこび祭2011”バザーが開かれます。
是非、家で眠っている物品を出し下さいませんか。
よろしくお願い申し上げます。

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私は札幌市西区の障害者支援施設「よろこびの家」の施設長・植村です。

本日は「1/4の奇跡」上映会に参加させていただいて、
皆さまにお会いできるのを楽しみにしていましたが、
急遽私事にて参加出来なくなり残念に思っております。

この度は、まほろばさんとの繋がりで映画上映会を通して、
「札幌木鶏会クラブ」三田さん、「元気ジョブ」織本さん、
そして皆さんとのご縁に感謝しております。

実は、事前に「1/4の奇跡」を鑑賞させていただいたおり感じた事を
本日の試写の後に、意見交換するとお聞きしていましたので、
私なりの感じたままを述べさせていただきます。

山元加津子は養護学校の先生ということで、ある意味では、
同じ福祉に関り障害のある方たちと向き合い共に生きている
仲間として私なりに解釈をしております。

映画のなかで特定の障害のある方の特殊な能力が素晴らしいとか・・・
時代背景によってはとても素晴らしい能力だったりと、
崇めたてまつらえるような存在だったこともあるなどの事例を取り上げ紹介することで、
現代社会に取り巻く障害へ関心、
そして理解への大きなきっかけにつなげたいという思いが
込められていた作品なのではと解釈させていただきました。

映画を見た後に改めて障害への理解とは・・・と考えて・・・
直結する意見ではないのですが・・・人が生きるに於いて、
「個々の持っている自信とか強さ」が「人と人とが共に生きること」への
関りに障害をもたらしているような気がしています。

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例えば、能力や力があるから自信があるから己を立派に生きることがベスト・・・
と生きるために「自分の事は自分で」、「人は人」と関りを持たないで、
良い生き様でも悪い生き様でも自分の責任で生きるのが気楽で良いのは
習慣の中で過ごしている様に感じられます。

但し、この世は常に誰しもが何事もなく、己だけを貫き生きているわけでもなく、
共存を意識して共に生きる、生かされているよろこびを共に感じられたら・・・・
今日の世の中もどんなに様変わりすることでしょう。

私たちすべてが、互いに思い合い過ごせたならば身近にトラブル、
世界で抱えている戦争、貧困など・・・
上げたら限がない程の問題が解決するような気がします。
その様な優しい社会がかたちに成った時には・・・
「福祉」「障害」などの言葉も死後になるかも知れませんネ。

そうなれば私も新しい仕事を探さねばならないので・・・
先ずは、まほろばさんの農園に職はないかとお願いしたいと思っています。

本日は皆様にお会い出来ず残念ではありますが・・・・・
今日は映画を通して共に生きる事の意識を改めて・・・
意識出来た事に感謝いたします。

これを機会に、まほろば本店の並びと判りやすい所です。
よろこびの家へお立ち寄りいただけると幸いです。

ギャラリーR-DECOも宜しくお願いします。
追伸:当施設では清掃業務・軽作業(DM封入作業・チラシ折などの内職作業)・
ポスティング作業を承っておりますのでご用命がありましたら、
よろこびの家まで、ご一報頂ければと思っております。

社会福祉法人「札幌あさひ会」 障害者支援施設『よろこびの家』 
                                  施設長 植村雅樹

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●あなたはあなたのままでいい!

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「1/4の奇跡」上映会報告
                   by まほろば編集長 島田浩


去る5月28日(土曜日)、カデル2・7で「1/4の奇跡」上映会が開催されました。
この映画は、石川県に住む養護学校の教員、かっこちゃんこと山元加津子さんの、
障害を持つ子どもたちとの心温まるエピソードをドキュメンタリーにしたものです。

当日、前売りは完売で、会場はほぼ満席。
列車故障で急遽来られなくなった方が出て空席ができ、
参加できることになったラッキーな(?)方も二組いらっしゃいました。

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さて、本題の映画の方ですが、とても短い紙面では語りつくせません。
全編を通して流れているのは「本当のこと」に対する感受性・・・。
私たち現代人はあまりにも忙しく、世間の雑事に追われているので、
どうしても本当のことが見えなくなっています。

かっこちゃんも、最初はそうでした。
いつまでたっても目を合わせてくれない大助君の本当の心が見えず、
無理に勉強を押し付けていたことにある時気づいたのでした。

大助君には、本当のことが見えていたのです。
人の心のこと、自然の美しさ、いまだ人類が手放すことのできない戦争という矛盾・・・。

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かっこちゃんの学びの過程は、まるで自分のことのように、
やさしく、やわらかく、見ている人の心に響いてきます。
障害を持っているはずの人たちから、この自然界の、
宇宙の本質を教えられていることに気づいていくのです。

ともすれば、私たちは障害を抱え、社会に適応できない人のことを、
差別視したり、邪魔者扱いしたりしてしまいます。
しかし、宇宙的な視点でみたならば、もしかしたら私たち健常者と呼ばれる人の方が、
宇宙の仕組みから外れた、異常者なのかもしれません。

原子力の力を過信し、自然界に甚大な被害を出しながらも、
いまだその夢から覚めやらない。
正義を振りかざし戦争を肯定する人は、人と人が殺しあう異常な現場を知らない。

「どんな理由があろうと、人が人を殺していいはずがない」という大助君。
こんな私たちに、障害を持っている子どもたちの、素直な目線が訴えてきます。

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難病のため若くして亡くなった雪絵ちゃんとのエピソードにも深く心を動かされました。
多発性硬化症(MS)という病気で日に日に体が動かなくなってくる彼女は、
その死の間際まで、「私はMSに生まれてよかった。私の人生は完璧で大成功だった」
と自らの人生を心から肯定するのです。

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五体満足な自分は、こんなに自分を好きでいられているだろうか・・・。
社会に合わせようとがんばって、本当に自分を大切にしていないのではないか・・・。
そんな疑問に、「あなたは、あなたのままでいいんだよ」
と、かっこちゃんの声がやさしく響き渡るかのように、
映画全体を通してメッセージが深く魂に伝わってきます。

時々会場からすすり泣く声も聞こえてくる場面もあり、
皆さん何か深く感じ取っていらっしゃったのではないでしょうか。

見終わったあと、じんわりと心に余韻の残る、とても良い映画でした。
機会がありましたら、ぜひ皆様もご覧いただければと思います。

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●チームやんじー、エリクサー水配ってます

アグネスから連絡ありました。
30日に、エリクサー水を配った、と。
凄い状態の中で、配っているんですね。
お一人お一人の誠意に、感激しました。
ありがとうございます。

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次のやんじーブログをご覧下さい。

http://mouth-mountain.greenwebs.net/archives/1625


●天然た・た・み海苔!!

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(京都トータルヘルスデザインさんの大阪『弥盛亭』で
働いていたスタッフ安田千雅さんがモデル)

1月末から3月一杯のほぼ2ヶ月の間の稀少な岩海苔。
厳寒の海浜、波しぶきの岩場を伝って採取する生海苔。
それをすだれに乾かし、寒風に晒す。
そうして、海苔の中の海苔、最高の手打ちのりが完成される。

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年間、500〜800枚しか出来ない、という。
そんな畳一枚ほどもある大判海苔が入荷した。
身が厚く、味は濃厚! まさに絶品!!
北海の醍醐味をとくとご賞味あれ、今をおいて他時になし。

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(天然手打ちのり「海苔一番」特製大判(45cm×90cm) ¥2980)

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(松前での岩海苔小判を干す様子)

●野生の勘!?

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                        by まほろば編集長 島田浩

今回のチラシ、原稿が出来上がったものの、なんだか気になって印刷できない。
じっくり原稿を眺めるが、これといっておかしいところもない。
こんな感覚のときは、いつも後になってからからミスが見つかったりするもので、
再三痛い目にあっている。

とりあえず当座の50枚ほど印刷して、残りの950枚は翌日に回すことに決めた。
翌朝、きっと何かあるに違いないと、再び原稿を眺めるが、見つからない。
それでも、まだ印刷する気持ちになれない。

こうなったら意地だ。
ちょっとでも気になることがあれば修正しようと、写真を差し替えたり、
書体を変えたり、あれこれいじってみる。
そんなことをしていたら、急に横で社長が叫んだ。

「そうだ、アレを入れ忘れていた!!」
今回新入荷の商品で、どうしても入れたいものがあったことを思い出したようだ。
どうやらそのことを「夢で見たほど?!」だったようだ。

(ちなみに、その商品とは、自然医学の森下先生も長年調査をされている
中国奥地の長寿境「巴馬(ぱーま)」で常食されているという、「麻の実」である)
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これだったんですね!! 
ようやく納得!で、
印刷に取り掛かることができた。

ねばった甲斐がありました。(苦笑)
いつもではありませんが、時々こんなことがあります。
皆様も野生の勘(?)を試してみてはいかがでしょうか?

2011年05月30日

●3・11からの再生

「北の国から」でお馴染みの富良野在住の
倉本聰さんによる寄稿文が、道新に掲載されました。
我が意を得たりという内容なので、全国のみなさまに読んで戴きたいと思います。

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便利手放す覚悟のとき
                      倉本 聰

再生には大きな覚悟が要る。
痛みを伴う覚悟である。
日本は第2次大戦の敗戦で文字通り瓦礫の焦土から再生した。
この再生には大きな思想の転換、既存概念の徹底的な変革が求められた。

軍国主義・全体主義が崩壊し、代わりに民主主義が流入した。
民主主義は本来、権利と義務という両輪で成り立つものなのだが、
それまでの義務ばかり押しつけられていた日本人は
権利主張を認められることがうれしくて、一方の「義務」を軽視した。

同時に資本主義が圧倒的に流れこみ、
これまで質素が美徳とされたのに消費=浪費こそ経済発展の鍵という、
仰天するような思想の転換が起きた。

「科学」がさまざまな物を開発し、「経済」がもうかるからそれを後押しした。
再生産不能の商品は作ってはならないという珍説が横行し、
大量生産・大量消費・大量廃棄という「もったいない」を否定する社会が誕生し、
多くの古来の伝統文化、手作業による技術が衰退し、
手に職を持つ職人たちの職を失って日本から消えた。

そうやってこの国は国民総生産(GNP)世界2位まで踊り上がった。
科学と経済が手を組むことでその豊饒さに有頂天になり、
夜もこうこうとまぶしく光る日本列島を作ってしまった。
そこに突然津波が襲い、原発事故まで引き起こして60余年のツケが来た。

敗戦直後の皇室内閣、東久彌宮首相が発言した国民総懺悔という言葉がある。
一億総懺悔と改められて戦後初めての流行語となった。
今回の災害に際しての、国や東電の責任を問う声、
あるいはエネルギー政策の変換の声など、
国家大局としての議論は多々あろうが、それ以前に僕は、
僕自身を含めてわれわれ日本人がおごり溺れていた戦後60年の暮らしに対して
一億総懺悔すべき時であると思う。

われわれは科学を信じ過ぎ、経済と欲望の虜になっていた。

考えてもみて欲しい。
マグニチュード9という地震のエネルギーは、
広鳥の原爆、32000発分のエネルギーである。
それを想定外と科学者は言うが、
では地球史上にくりかえされた大陸の大移動、
地殻と地殻がぶつかってヒマラヤやロッキーまで創出してしまう
あの変動のエネルギーは、一体マグニチュードいくつになるのか。

その確率を論ずるのも結構だがそれ以前に、
われわれはこの繊細にして微妙な奇跡の惑星、
地球というもののわずかな地表にしがみつき住まわせてもらっている
卑小な一生物であることを忘れてしまっているのではあるまいか。

今、この災害からの再生にあたり、われわれは岐路に立たされている。
とるべき道は、二つある。

一つは、これまでのような豊饒さ便利さをもはや捨て切れないとあきらめる道である。
それにはこれまでのようなエネルギーを必要とするから、いかに自然エネルギーを
今後開発しようとしても、当分の問は原発というものに頼らざるを得ないこととなる。
その場合今回のような、あるいは今回以上の想定外の事態の発生を、
われわれは覚悟してかからねばならない。

あなたはその覚悟を持つことが出来るか。
いまひとつの道は、これまでのぜいたく、便利を少しでもあきらめ、
質素な昔に帰る道である。

バブル期以前の暮らしまででも良い。
それでも原発はかなり不要になる。
ただし。
その場合にもかなりの覚悟がいる。

夜の街は暗くなる。
終夜営業のコンビニはなくなる。
テレビの深夜放送もなくなる。
自販機は街から姿を消す。

電化製品から待機霞力かなくなり、機能するまでにやや時間がかかる。
リモコンもなくなってわれわれは一々電化製品まで歩いてスイッチを押しに
行かなければならないようになるかもしれない。

あなたはそういう覚悟が持てるか。
便利とは人問がサボルということである。
人間が本来持っているはずの体の中にあるエネルギー。
そのエネルギーの消費を抑えるということである。
そのエネルギーの能力に応じて、急ぐことを避け、
身の丈に合わせた人間生活を身分相応になし遂げることが、
本来のつつましい暮らしではなかったか。

30年前に書いた「北の国から」というテレビドラマで、
都会の暮らしからいきなり富良野の、
電気も水道もない廃屋に住まわされることになった少年が、
仰天して父親にぷつけるせりふがある。

「電気がないッ!?電気がなかったら暮らせませんッ」
「そんなことないですよ」
「夜になったらどうするのッ」
「夜になったら眠るんです」

1日の3分の1は闇である。
闇は眠るための時問である。
夜の街が暗いのは危険であるというなら、夜は表に出なけれは良い。
それこそあたりまえのことであり、あたりまえの暮らしに戻れは良い。
もっともそれにも覚悟が要る。
(寄稿)

くらもと・そう
1935年生まれ。
東京都出身。59年、東大卒業後、
ニッポン放送入社。63年退社。
シナリオ作家として主にテレビドラマを書く。
77年、富良野市に移住。「北の国から」などで
2000年に紫綬褒章受章、
10年に春の叙勲旭日小綬賞受章。