2009年07月25日

●三角山放送局 生出演

△山マーク.jpg

6月19日に地元西区のFM、
「三角山放送局」の『フライデー・スピーカーズ』という番組の
生放送に出演、約1時間半、
社長でDJの杉澤さんと語り合った。

三角山放送 19日2.jpg
(杉澤洋輝社長、自らDJで)

この初体験は、杉澤さんの名ガイドに誘われ、
思わぬ事までしゃべって、後で聞いて赤面の至りだ。
何とか、ブログにアップするよう
島田編集長が苦労を重ねて、
今日ようやく聞けるようになった。

http://www.sankakuyama.co.jp/
(三角山放送局HP)

次の何れかをクリックして下されば、聞けるのでは・・・・。

【Real Player はこちらから】 
http://www.mahoroba-jp.net/media/sankakuyama(rm).ram
【Windows Media Player はこちらから】
http://www.mahoroba-jp.net/media/sankakuyama(wma)1.asx

三角山放送 19日1.jpg

ともあれ、杉澤さんとの約束を果たしたこと。
そして、地域貢献が出来るよう、
地元住民として頑張りたいとの
意欲が芽生えたことが、嬉しかった。
これも三角山さんから、
「小国寡民」実現の道を開いて戴いた気がした。
ありがとうございました。

△山マーク 宣伝.jpg
(三角山の友 『マガジン762』 より)

2009年07月24日

●チャレンジPPK!!

先日、THD(トータルヘルスデザイン)社の近藤会長が主催される、
「チャレンジPPK」の皆様が遠く関西からお見えになられた。
みなさん、生きる達人。
THD誌で、お目にかかる杉浦和尚もお越しになられ、
何とも言えない雰囲気を醸していらっしゃる。

http://president.thd-web.jp/
(「近藤洋一の21世紀の風」より)

PKK 2.jpg

『PPK』って、何の略?
「ピン・ピン・コロリ」だそうです。
つまり、ピンピンと生きて、コロリと死のう、っていうもの。
誰もが、人の手を煩わせずに、あの世に旅立ちたいと願望している。

平均寿命が延びた、ということは、
それだけ、介護老人の増加にも繋がる。
果たして、延命が正か否かの答えは後に待とう。
自分の親は何時までも生きて欲しい。
しかし、自分が面倒を見る現実ともなれば、
問題は、そう簡単ではないだろう。

整体の野口晴哉先生が、
「溌剌と生きる者にのみ、深い眠りがある。
生ききった者にだけ、安らかな死がある」
と、その辺の消息を語られていたのを思い出す。

この全生思想、
スパッと生きて、スパッと死ぬ。
その潔さが、健康の極みなのであろう。
こう見れば、生と死は一対だ。

PKK 1.jpg


「死之一大事」
生き方も大事だが、死に様は、
それ以上に大事だと、古人は語る。

まあ、明日を思い煩うことなく、
クヨクヨ、齷齪(あくせく)せずに、
今日一日を
思い切って生きてみよう。

昔、映画の台詞にあった
「明日は、
明日の風が吹く」


●チベット・中国珍道中

ゴルブト 塩湖 1.jpg
(ゴルブトの塩湖にて)

2週間ぶりのご無沙汰。
今回のチベット・中国旅行は、
毎日更新のライブ版で、ということで、
コンパクトPCのVAIOとHandy Videoよろしく出発した。

ところが、この25周年記念祭前後3日ほど、徹夜作業があり、
最悪のコンデションで飛行機に飛び乗った。
青海(チベット)省の塩の街、ゴルブドに降りるや、
3000m前後の標高に関わらず、頭病みと胸が苦しくなり、
大変な状況に追い込まれた。

それに加えるに、何に当たったのか、
連日連夜、下痢にも悩まされた。
そんなこんなで、出発前の勢いは何処へやらで、
PCを開く気力など、全く失せてしまった。

高山病は北京で治まったものの、
そんな状況が、帰るまで続き、
結局は、日本で思い出しながら紀行文を
前回と同じように書くことになった。

今回の分も一纏めにする予定ゆえに、
現地報告は後日にということに。
いろいろなドラマがあって、
乞うご期待を・・・・・。

2009年07月10日

●金鋒教授、来道

中国科学院と言えば、ロシア科学アカデミー、フランス科学アカデミーと同じように、
中国を代表する頭脳の最高学府である。
金鋒教授は、東大を主席で卒業された優秀な科学者。
中国でもトップの学者である。

金教授 店前.jpg

今、乳酸菌革命で脚光を浴びている。
「菌やウイルスを殺していけない。
生物はウイルスによって進化し、
バクテリアによって守られている」
として生命共生の世界を訴えておられる。

ところが、教授はモンゴル出身で、
何と竃リ曽路物産の鹿野社長は、既に昔から
彼をブレインとして迎えて、クエン酸の研究などして貰っていたのだ。
その縁の不思議さに驚いた。

時々、来日されておられる。
そこで、鹿野社長にお会いしたい旨をお願いしたら、
何と北海道に連れて来て下さったのだ。
6月の3〜5日のことだった。

そして3日間、同行して、その学識の豊かさ、
見識の深さには改めて感銘した。

金教授 大学前.jpg

乳酸菌の活用についてはさることながら、
エリクサーを最先端技術によって、
普及化するアイデアには、興味が尽きなかった。

エリクサーセラミックやエリクサー本体のエネルギーを、
日常の身近に帯びることが出来ないか、
という私にとって夢のようなことが実現されるかもしれない。

金教授 北大講義.jpg
(北大・農学部での講義)

初日は、道立食品加工研究センターの長嶋応用科学部長に
話しを持ち掛け、北大生物学科の浅野教授の農学部で、
専門家や学生を相手に、乳酸菌革命の最新情報を伝えて下さった。
皆興味津々として食い入るように聞き入った。
乳酸菌でも桿菌における可能性の大きさに驚いた様子であった。

金教授 握手.jpg

その後、まほろばにお越し戴いて店内を見て、
色々と話が尽きず、地下洞にも興味を示され、
日光が無くても棲息出来る植物を栽培すればよいとアドバイスしてくださった。

金教授 地下洞.jpg


金教授 豆乳に乳酸菌.jpg
(有機の豆乳に乳酸菌を入れて、醗酵させる。簡単にとうふが出来るという)

金教授 小樽温泉.jpg

小樽の夕日の見えるホテルで一泊。
翌日まほろば農園にて乳酸菌の農業応用について語ってくださり、
乳酸菌資材の使用検討をする事にした。

金教授 畑 母ちゃんと.jpg

金教授はECエコサートの国際検査員で、有機農業にも明るい。
これから、さらに精度の高い有機認証団体を日本で立ち上げたいと言う。

金教授 農園スタッフ.jpg

その後、酪農学園大学に行き、モンゴルに度々、
菌を採取に行かれる石井教授の学生に、特別講義を戴いた。

金教授 酪農学園大.jpg

学長とも会い、モンゴルより留学生が何人も来て、
人事交流など、友好関係が既に築かれている事に、
心が開かれた思いであった。

金教授 チッチ.jpg
(チッチを試食。モンゴルチーズに似ているという)

そして、宮嶋さんの車に同乗して一路、新得の共働学舎へ。
夕刻、サホロリゾートに到着して、
翌日の共働学舎の視察を楽しみに眠りに着いた。

金教授 牛乳山.jpg

次の朝、いよいよ園内に案内され、その壮大な風景に、
教授はいたく感動、モンゴルの草原を思い出したという。
チーズと乳酸菌の関係は切っても切れない関係。
新しいタイプの乳酸菌を使用してのチーズの創作にまで話が飛び、
大変楽しい一時を過ごした。

金教授 カーブ宮嶋さんと.jpg

金教授は、すっかり北海道が気に入り、
第二の住いを建てられるかもしれないと皆で談笑。
又の再会を期して、千歳の空を後にした。

金教授 チーズに乳酸菌.jpg

(共働学舎のチーズにNS乳酸菌を付着させておられる)

この間、共に三日間同乗して、尽きせぬ話と、
取り組む課題を沢山戴いた。

明日からチベット、北京と旅して、金教授と再会する予定。
乳酸菌事業計画や新商品製作、
エリクサーの新しい活性方法など、探るべく渡航する。
これによって、また新たなる展開あることを期したい。

2009年07月09日

●卸問屋さんへのお礼

サンヨネ 三浦社長.jpg
http://www.sanyone.co.jp/

創業祭開催中の4日(土)の昼、集中して四名の賓客。
大混雑の中、分け入って事務所に。
いささか驚かれて、「すごい混み様ですねー」と興奮気味に挨拶を交わす。
愛知は豊橋。明治25年創業のスーパー「サンヨネ」さんの三浦和雄社長。
片や、東京随一の餅屋さん「穂寿庵」の高橋卓孜社長。

共に、東川の米農家・松家さん視察の帰り。
農園で研修していた南君が、今米造りを学んでいる篤農家さん。
あらゆる古代米を栽培して、全国に名を知られ、引く手数多。
サンヨネさんも販売、高橋さんも加工される。

三浦社長の身の軽さは、アルゼンチンも遠しとせず、
足の速さは、モンゴルも隣家の如く、
良いと聞けば、そのまま飛行機に飛び乗る。
北海道に至っては、私より知り尽くし、渡り及ぶ。

常に、消費者側の目線に立って、
自分の眼と足で確かめたオリジナル商品は数知れず、しかも値は安く。
「安かろう!良かろう!」の最先端を、今日も駆け抜けられる。

高橋もち店.jpg
http://www.hojuan.com/穂寿庵

江戸の餅屋、その名も「穂寿庵」さん。
子供の頃、駄菓子屋に駆け込んで「江戸揚げくださ〜い」と言って
量り売りで、買ってもらったものだ。
正に、その本場江戸揚げの本家なのだ。
高橋社長はその二代目にして、東京でただ一軒のみ生き残った。
先代のお父さんの朝な夕なに仕込みは厳しく、暖簾は重かった。

日々、創意を凝らし、何処にもない品揃えと味わいの深さ。
発芽十八雑穀餅など珍しく、またモンゴル塩と有機醤油を使う。
杵突くも、わずか1分半。
それは米の風味を損なわないための工夫と発見。
かき餅も、極上の素材を使った餅を、裁断する端切れを揚げる。

されば、極上の餅のごとく、揚げも又旨し。
しかし、一般物は、外品のくず米と粉、そして油。
そして何度も使い回す。
良質の米油を一度で使い切り、廃棄する。

誰もが、後に残らない油切れの良さに、驚嘆する。
「何時、販売するの?」と聞かれるも、
まほろばは夏場は油菓子は一切置かず、激しい酸化を避ける。
秋まで待つも、さらに油など一工夫凝らしてオリジナルを出したい所。
それまで、乞うご期待!!

ナカムラ・味輝さん.jpg

ほどなくして、Whole Food Schoolのタカコナカムラ代表と
味輝の荒木和樹社長が来店。
ナカムラさんの講座が、ファクトリーで開かれたのだ。

スクールと共に「カンブツ・カフェ」を開く彼女の視点は、
ホールフーズ、全体食という概念だ。

循環する車の輪の如く、
一切の現象、全ての物事は、
連なって行く、繋がっているという真理の具現なのだ。
それを食においてどう捉え、どう実行するか、
マクロビを超えるダイナミックな新しい食養観を期待したい。

http://www.wholefoodschool.com/
http://www.e-panyasan.com/

味輝酵母の荒木和樹社長は新進の二代目。
若き頃、父親に反発して就職したが、30歳を過ぎて家業を継いだ。
会長は、今もなお山奥の酵母小屋に独り籠もって、研究に余念がないという。
息子が戻ってきたことを歓ぶ反面、落ち込んだという。
それは、帰るやたちどころに、勘所を押さえ自家薬籠中の物としたためだ。
血の為せる業だろうが、父は自分は何だったのか、とさえ思った。

創業は長く、守成は短い。
松下幸之助翁は、二股電球一個の発明だけだった。
それが、大企業の基を創ったのだ。
幾億倍もの能力ある今のパソコンでは、
それが叶わない事を若者は知らねばならない。

ー 橋本君.jpg
(むそう商事の橋本将太さん。お手伝いありがとうございました)

今回の創業祭には、多くの生産者とお客様のお蔭と共に、
商品と店を繋ぐ、卸問屋さんの大いなるご助力ご協力なくしてはなかったのです。
目立たぬ影の存在として、大きな利益をお客様や店にもたらせて戴いています。
この場を借りて、日頃のご厚情に、深くお礼申し上げます。

この度は、500社以上の会社協賛の下、
大盛況裡の内に滞りなく創業祭を終えることが出来ました。
独力大廈を支え難く、今後益々のご支援を請わなくてはなりません。
これは偏に、独り一社の繁栄にあらずして、
自然食普及という大名目の許、皆一致団結して、
事に当たるが大要と信じる所です。
益々、時の急務と思うや切なるものがあります。


今回は三日間を通して、
ムソーさんの北海道担当の小林さん、
むそう商事の橋本さん、http://www.muso-intl.co.jp/ 
フジワラ食品の渡辺さん、http://www.fujiwara-chemical.co.jp/food/index.html
リマナチュラル化粧品の石井さんと、http://limanatural.co.jp/
応援に駆けつけて下さった事、
心よりお礼申し上げます。
ありがとうございました。

2009年07月07日

●「まほろばたより」3000号達成!!!

3000号 2.jpg
(3000号記念で道新さんが取材に。「たより」のことは触れられてなかったが、感謝)

徹夜編集作業が二日続いた2日(木)深夜、
島田編集長が「専務の『お答えします』<後日UP>が2999号、
社長の『エリクサー水、醗酵と長寿』は、3000号になりますよ!!」
突然、予期せぬ報せにビックリ!!
「えぇ!スゴイなー。全然気付かなかったね。
しかもエリクサー・ブックレット・シリーズの25号目にもなる!」

この号、森下自然医学会会長との対談と、
共働学舎の宮嶋さんと寺田本家の寺田さんの取材を盛り込んだもの。
大型「ハイパーエリクサー」完成記念に出すべく、
「醗酵と長寿」をテーマにしたものだ。
その記念碑的たよりが、3000号だったのだ。

3000号.jpg

これには、正直驚くと共に、人間業でない、
神様にやらされているんだなー、と素朴に思ってしまった。
何でも、私は子供の頃から、飽き性で続けることが出来なかった。
しかし、この仕事やたよりの発行を、
どうにか25年間、曲がりなりにも続けられることが出来た。
これは、私にとってほとんど奇跡に近い。
だから、私がやっている、という気がしないのだ。

3000号と言えば、25年間、毎週2,3枚のたよりを
コンスタントに出して来た勘定になる。
今回の25周年創業祭には25枚の記録的枚数だった。
とにかく、続けるコツは、定形を決めず、気楽に出すことだった。

開業当初は一対一の相対商売で、ことごとく口で説明出来た。
ところが、だんだんお客様が増えてくると、それが出来なくなった。
それで、これは新聞を出さねば・・・・と思い、
手書きで謄写版のようなもので印刷を始めた。
それからしばらくして、印刷機械を購入してドンドン刷って行った。

誰からか、「とにかくお客には、紙鉄砲を打ち続けるんだ!」
との一言のアドバイスが、私を動かした。
紙による波状攻撃である。
チラシを撒いて、1/10,000の顧客になる確率より、
兎に角、店の生き方、生産者の顔、商品の紹介・・・・・・等々を、
コピーでもいいから、一枚でもいいから、お客様に渡して、
心の絆を繋ぎ止める事が大切であることを肝に銘じた。
それが口コミ戦術であり、お客からお客へ拡がってゆく、
最短にして最大の効果だと、今でも思っている。

チラシで、何処そこのスーパーは1円安いと見れば、
そこに簡単に移ってしまう。
人は、店でなく値段で動いている。
だから「老舗に安売りなし」と言われて来た。
まほろばも出来るだけ安く提供したいと努力する。
しかし、どうしても安く出来ない、という一線がある。

そこは、信頼、安心の店を、どう築いてゆくか。
それは、日々の仕入れの厳しさと
情報をいかに多く、早く、正確に、
店の主義主張をどう徹底して伝えるかにあって、
「まほろばだより」は、その大いなる効を奏した。

3000号 3.jpg

今現在、島田浩編集長(と言っても2人しかスタッフはいない)と
工藤元子さんが、毎日一生懸命頑張っている。
島田君は、工業大学出だが、桑沢デザイン研究所に入り、
基礎・応用を学び、写真技術も一流だ。
それで、天性の素晴らしいセンスで、プロ顔負けの編集をする。

工藤さんは、元北海タイムス新聞社の構成デザインをやっていたプロ。
「まほろば重曹娘」でもあり、あのポップな漫画は彼女のお得意。
即戦力があって、二人はツーカーの仲で、仕事がスムーズだ。
看板からPOP、商品デザイン、HP制作、たより・・・・・などと
仕事数は限りない。

紙一枚、筆一本が店を固め、客を固める。
そういうことは、事実ありうるのだ、と信じている。
さらに、人を動かし、世を動かすことも出来よう。
そんな25年の地固めをして来て、
ようやく花を咲かせ、実を結ぶのは、
きっと25年後くらいになるのだろう。

まだまだ、先だな・・・・・
いやいや、もう少し少し・・・・・


2009年07月06日

●25周年創業祭!!

25周年 店前.jpg
(25周年記念祭、本店玄関前にて、ムソー商事・橋本さん、いざご案内!)

とうとう終りました!
凄まじい3日間でした。
総来店客数、2500名。
初日から、押すな押すなのレジ待ちの長蛇の列。
数えると50名が、店内を一巡して待っておられる。
こんな光景は25年で初めて。
その中を、次から次へと新しいお客様が列をかいくぐってのお買い物。
店内はごった返して、収集がつかない様子。

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とうとう、処理し切れず、
新しいレジを臨時にしつらえての対応。
こんな場面が終日続きました。
事前に、売り出しチラシを見て、必死になって商品を探す。
お客様同士がぶつかり合い、一触即発状態。
しかし、そんな中でもお互い譲り合いで、和みながら・・・・・・。
一日三回に分けて、来店される方も居られた。

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全体に2000品目以上の割引や格安目玉商品が、
所狭しと並んでいるので、カゴ2〜3個がすぐ一杯になる。
警備員二人も車の誘導でおおわらわ。
厚別もリニューアルオープンをかねての大売り出し、
本店と同じような賑わいで無事三日間を終えた。
みなよくやってくれました!

25周年 行列 3.jpg

こんなに多くのお客様にお越し戴けて、
従業員一同感激で一杯。
超過激な忙しさにかかわらず、
皆疲れは残らず、体は爽快感で満ちているという。
こんな素晴らしいスタッフに恵まれ、まほろばは幸せ。
本当にお疲れさま、ありがとう!

そしてあばら屋のような小さな小さなまほろばから、
これほどまでに親身になってお育て下さいましたお客様に
恵まれてまほろばは大の幸せ。
本当にありがとうございます。

25周年 レジ前.jpg

これからも家族のように、
お客様に歓ばれますよう、
従業員が歓べるよう、
まほろばをもっともっと
素敵な輝くような店にして行きたいと思います。

どうぞ、何時までも、何処までも、
まほろばと人生を共にしましょう!!