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2008年09月15日

●たらちねの 母が手離れ・・・・

たらちねの 母が手離れ かくばかり
すべなきことを いまだせなくに

(「万葉集」 第十一巻、「柿本人麻呂歌集」)

柿本人麻呂.jpg

これも、不思議な偶然だった。
先の蕎麦屋「こはし」さんの件で、
紹介された米内社長に報告のため、すぐに電話すると
「今さっき、母が亡くなりました」というご返事に悄然とした。

虫の知らせだったのだろうか。
最近とみに、このような事が多くなったように思う。
何気なくしていることが、何かを知らせ、
何かを結び付けているような気がしてならない。
これは、何かに導かれているのだろうか。
余りその辺の消息は分らないのだが、
謂わば、その連続のように思うのだ、まほろばを振り返ると。

ところで、その悲報に会った時、
私が十代で母を亡くしたのと、
米内さんが七十代で母を亡くしたのは、
全くその悲しみは変らない、
ちっともその重さや軽さの違いはない、という感慨が、
胸から溢れでるように伝わった。

その母と居た時間の長さでなく、
母という絶対的な存在は、
子にとって、母はそのこと、そのもので、
比べようがないのだ。

母はそれほど、愛おしくて悲しい存在なのだ。

米内社長 母とダンス.jpg
(お母さんとダンスする米内社長。見ているだけで涙が出てくる)

そんな時、脳裏を過(よ)ぎったのが、万葉集(柿本人麻呂歌集)にあった和歌であった。
人麻呂と芭蕉は私の青春の師匠だった、いや、人生そのものだったかもしれない。
その人麻呂の歌でも、これは長く心に刻み付けられていた。
それは、相聞歌で恋愛の歌であった。
乙女子の初々しい初恋の切ない心情をうたったものだ。

母の手を離れてから、このように術のないことを、今までしたことがない。

どうしたらいいのお母さん、人を恋うるとはこの気持ち?
この切ないときめきをどう抑えたらいいの?お母さん教えて。
お母さんも、私の年頃も、こうだったの。
どうして告白したの。どうお伝えしたの・・・・・

この切ない恋心は、今は亡き母への想いと重なる。

母は逝ってしまった。
遺された自分はどうしたらいいの。
どうこれから処したらいいの。

それは子供でも、老人でも、母を亡くした事実は
世間的分別でも経験でも割り切れるものではない。
それは、戸惑う心は老幼全く変らないのだ。
母の前では、子は幾つになっても幼子。

母が居ずとも、今までと変らず、
生活は変らなく、移ろい行くだろう。
しかし、母が亡くなった心の空白はどうしようも埋めようがないのだ。
それは、オロオロするばかりだ。

それは、まさに、
「・・・・・かくばかり 術なき事を 未だせなくに・・・・」なのだ。
そのかきむしられるような、母への敬慕の情は、
止み難く、絶ち難い。

人は皆、母から生まれ、母と別れ行く。
誰もが、同じ経験を踏みながら、自分もまた
あの世に召されゆく。

この厳粛なる別離の鉄則は、
人生に荘厳な意味づけを与える。
人は粛々として母から生まれた喜びと
別れ逝く悲しみを交々(こもごも)としながら死す。

死はまた人生の
大いなる光なのだ。

この歌を文の初めに冠して
弔電を送らせてもらった。

米内芳さん5.jpg

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