2007年07月30日

●石屋と政治

軟石 3.jpg

昨日、日曜は朝から晩の10時過ぎまで、
軟石の運搬をして草臥れた。

庭師の竹内さんのご縁で、石山の佐々木さんを知り、
10年来眠らせていた苔むした軟石を100本ほど戴いた。

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現代の機械鋸の画一的な切断面と違い、
様々な切り口が味わい深く、二度とこのような
石は出ないとの事で、思い切って買い取ったのだ。

それを積み上げると次のようになる。
まさに、自然がもたらせた芸術品なのだ。

同じ材質でありながら、
色と形の異なるたゆとう揺らぎの交錯は、
人為を離れた天与の美でもある。

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この石材で、将来、まほろばの
チーズや味噌などの発酵食品の蔵や、
店の増築建材に使いたい、と思っている。

四季を通して一定の調湿・保温効果があり、
また微生物の住まう温床として最適なのだ。

既に、地下の「無限心庵」や玄関の腰壁に使ったが、
これはまた特別で、
一本一本表情があって、
実に趣が豊かなのだ。

軟石 4.jpg


この札幌軟石は、
主に、南区の石山で産出する。
支笏湖の火山噴火による火砕流が、高速で流下してできた「溶結凝灰岩」。

石材として軽く、加工しやすいため、明治中期から大正にかけて、
建築資材としてさかんに使われた。
道庁や裁判所、銀行など、また小樽運河沿いの建造物や蔵などがそれである。

開拓使は軟石の採石に力を入れたは、防火に強いためであった。
明治時代は火事の発生が多く、街が灰燼に帰すような大火も少なくなかった。

開拓使は馬車で軟石を運ぶために、道路を切り開いたのが、今の石山通だった。
また、石材運搬用の馬車鉄道が、路面電車の基盤となった。
最盛期には年間5万個以上の軟石が札幌市内に運ばれたという。

しかし、この時期にほとんどの質の良い石は取り尽された。
今は二軒の採掘場を残すのみで、廃れた。

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石の持つ何億年の歴史と
樹の持つ何百年の記憶が重なり、
昔の建造物に、懐かしさと安らぎを覚えるのは、
人に遠いDNAの記憶を喚起させるためだろうか。

何時か、何百年も住み継がれる石と樹の家を
設計し、建てたいものだ。

佐々木さんや竹内さんの軽々とした石さばきを見ていて、
磐座(いわくら)の巨石やピラミッドなど、
本当に人力で動かせたのだろう、と想像してみた。

軟石 1.jpg
(大きいオーブ<たまゆら>が浮かんでいる)


そういえば、石屋といえば、思い起こされるのが
「フリーメーソン」だ。

「闇の政府」や世界支配に関わる謎の組織は、
今至るところで、情報が流され、公表されているが。

昨日は、折りしも参議院議員選挙。
一年前、札幌での船井本社の船井幸雄会長の講演会で、
「来年の参議院選挙は、民主党が勝つ。
それは、・・・・・・・・」
と、会長がお話になられたが、その当時その気配など全くなく、
「まさか・・・・」
と思えた。

ところが、今年に入って、
自民党の形勢がどんどん悪化し、
ご存知の通り、
遂に、民主党の大勝利となった。

驚いたのは、そのものの結果より、
予告通りの結果だったことだ。

それは、初めから分かっていた筋書きで、
様々な失態や事件は計画されていたというのだ。

そして、船井会長のおっしゃるように、
何処までも、日本はアメリカ支配下にあるという。

その図式は、
ロックフェラー系VSロスチャイルド系。
ロックフェラー系安倍政権はイラン戦に参加することを基本として改憲をすすめ、
現状石油利権を守るロスチャイルド系はイラン戦を否定する民主党となる。

現在、米国はロスチャイルド系に交替して表向き実権を握っているので、
その傘下としての小沢・民主党が政権を握る番だ、というのだ。

事実がどうであるかは分からないし、
また、どちらにもしても、
まほろばとは全く違う世界の次元に感じる。

まほろばは、政治・宗教に関しては、
これまで、中立の立場で、
意見したことなく、偏ることを避けて来た。
今後もそうである。

まほろばが、自然回帰を目指して
日々、黙々と働くことが、
自分達の政治・宗教活動に他ならないと思っている。

平和運動も公害問題も、
表に出て、声高に訴えることはないが、
内にあって、地道に実践して行きたいと願う。

それが遠いようで、
最も早い近道だと信じている。

2007年07月27日

●米国からti-tieのパテントが・・・

USA ti-tie 特許.jpg

先程、アメリカからti-tie(チッチ)に対して国際特許のレターズパテントが届いた。
国内で下りたのが平成17年。
出願したのが平成13年4月だから、足掛け7年もかかった訳だ。

これから、フランスが来て
また、別に酵素の国際特許が下りる。
エリクサー開発からもう10年にもなるのだろうか。
長かった。

しかし、まだ花が咲いた訳ではない。
実にスタートはこれからだ。

勝毎新聞 ti-tie.jpg

フランスのモランさんの工房で作ってもらう計画であったが、
個人向けに輸出許可が中々出ず、とうとう断念した。
今年から、宮嶋さんに依頼して、今試作中だ。

牛の生乳ながら、
ヤギのシェーブルタイプに似たテクスチュアだ。

しかも、色々なタイプが出来て、
可能性は無限にある。

約一ヶ月の超熟成タイプなどは、
アミノ酸分析で、ゴーダ並みの
グルタミン酸が27%もあって、
驚異的な数字だ。

北海道発の
新しい乳製品のカテゴリーとして
世界に問う日も近い。

遂に、秋頃から
販売が開始される。

2007年07月25日

●年度末 決算

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(加藤会計事務所・加藤恵一郎所長と工藤範子さん)

先日、年度末の決算報告で、加藤会計事務所の所長が来店された。
前期決算は、20期目であった。
何時の間にか、こんなに経ってしまったのだ。

当初、まだ所長が事務所に入りたてで、最初の仕事がまほろばではなかっただろうか。
当社にコンピューター会計が導入された頃、
その一枚一枚の入力票作りを二人がかりで、
二日にわたる作業を若き恵一郎さんが黙々とこなされていた。

「何でこんな面倒なこと、しなければならないの?」
と当時、思っていたが、
それは、経理の巨人・TKC創設者 故飯塚毅氏の慧眼が、
コンピューター管理の未来を見据えての事だった。

詳しいことは、以前「折々の書」で書いたので、
読んで戴きたい。

飯塚毅.jpg

学生時代に参禅して、見性大悟した経験は、
その後、あの疑獄事件を越え、
世界における財務管理の最先端の潮流を
日本に持ち込む底力となった。

平成18年度、TKCの電子申告件数は78万483件となり、
国税庁のオンライン利用促進のため、目標110万件の
ほぼ70%にも達した。

飯塚氏は、税理士の社会的使命を果たすための
大いなる基盤を創設したといえる。

http://mahoroba-jp.net/about_mahoroba/tayori/oriorino/oriorino4.htm
(「折々の書」の『不屈不撓』を参照)

先代の加藤所長を継いだ恵一郎さんは、
今やTKC全国会のCMに出ずっぱりの有名人になった。
きっと、テレビでご覧になった方も多かろうと思う。
もう北海道の顔ですね。

TKC 1.jpg
TKC 2.jpg
(TKC全国会・TVコマーシャルから)

毎月、監査に見えられる工藤範子さんとは約10年。
丁度、西野にお住まいで、時々お買い物にもお見えになる。
もう、まほろばの生き字引のよう。
聡明で、誠実で、情実に流されず、理路整然とした指導に、
何時も感心と、感謝をしている。

一点のごまかしも、いい加減な処のない監査。
結局は、長い目で見れば、一番安心・安全であることが、
TKCを通じて理解出来る。

まほろばは、これまで爆発的な伸びは一度もなかった。
ただ、毎年毎年、少しずつ少しずつ
薄紙を剥がすのでなく
重ねるように、積み上げて来た。

これからも、TKCの指導で、
きっと同じような歩みを続けるのであろう。
牛歩のように。

http://www.tkcnf.or.jp/

2007年07月24日

●古代むなぎ

古代むなぎ 3.jpg
(1尾入り、蒲焼のタレ、山椒つき ¥1.390)


いよいよ土用。
土用といえば、うなぎですね。

うなぎの生態は、学術的にも未だよく分からない
神秘のベールに包まれていて、
しかも、最近ヨーロッパで激減している話を聞きますが・・・・・

今夏、土用の丑の日は
7月30日(月)です。
(土用入りは、7/20〜明け8/7です)

うなぎを昔は「むなぎ」と呼んでいました。
一説に、家屋の「棟木(むなぎ)」のように丸くて細長いから、とか。
浄瑠璃「三十三間堂 棟木の由来」の『木遣り』の段、
あの「エ〜イヤ、エ〜イヤ」の掛け声は
胸が千切れるような、切なくも哀しい響きですね。

まほろばでは、特注うなぎを
棟木に因んで『古代むなぎ』と名付け、
オリジナルとして売り出したのが3年前。

このうなぎこそ、
静岡・大井川町の「共水」さんの
片岡征哉社長に作って戴いたものです。

古代むなぎ 3.gif
むなぎ5.jpg
(まほろばたよりから:全国紙「みなと新聞」にも掲載されました)

南アルプス大井川の伏流水、
徹底した自然に近い環境と無添加の餌。

通常の倍の飼育時間をかけて愛情深く育てられ、
天然うなぎを越えたとさえ言われます。

関東中心にわずか30軒ほどの
一流店にのみ卸している
【幻のうなぎ】です。

この貴重な鰻をお店で買えるのは全国でも
『まほろば』だけです。

しかも、まほろばのために、何度も試作を重ね
特別製造して戴いた
『無添加だれ』も絶品で安全。

今の処、これ以上のグレイドを望みようがない
うなぎの中のうなぎです。

うなぎ.jpg

NHKテレビ「たべもの新世紀」でも紹介されましたが、
明日、7月25日(水)1時過ぎに、みのもんたさんの
「おもいっきりテレビ」で、共水さんのうなぎが紹介されます。
また、買いに殺到して瞬く間に、品切れになりそうですね。

2007年07月22日

●人は城、情けは味方

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年二回、慰安会を開く。
新年会と創業祭が終わった後のそれ。

今年の新年会は、染谷さんのお別れ会にもなり、しんみりしてしまった。
半年経った今回は、新入社員の佐々木君、城越さん、
そして和の鉄人・橋本君が晴れて社員になり、
数名の新パートさんとの初めての会で、明るく希望に満ちたものだった。

話は代わって、武田晴信役の市川亀治郎氏と板垣信方役の千葉真一氏の迫真の演技に
毎週、惹きつけられるNHK・TVドラマ『風林火山』。
信玄は「人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 仇は敵なり」
と言い遺したと言う。
しかして、遂に築城せずに生涯を閉じた。

潰えざる無形の城こそ、人であり、情けであると言うのだろう。
有形の建物や組織や資産があっても、人を繋ぎ止められず、
何時かは消え行き、何処かへ離れ去る。

人材こそ器であり、財であり、宝である。
それを繋ぎ継ぐものこそ、
古今に変らざる人情機微だと、
反骨の武将は説いた。

武田信玄.jpg


柔よく剛を制す。
石垣を接ぐものは、堅牢の石に非ずして、
柔らかき土であり、砂である。
人を繋ぐのは、
見えざる人の心であり、涙である、と。

国を興すも、業を成すも、
人無くしては成らない。

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今日の会場となった酒房「藍」さんの
米山女史は、器や花、料理に日本文化の精粋を凝らす。
見事な一点物の食器を、豪快に大胆に使って悔いを後に残さない。

それら芸術を、見抜く眼力もまた情緒なのだ。
最後に、皆を納得させる共通の意識は、情を通した眼(まなこ)である。
感情が納得する所で、
最後の納まり処に、納まる。

それを、近代的に言えば、
「純粋直感」と呼ばれるもの。

利に繋がらず、情に依って繋がる絆と判断こそ、
正確で、不動で、宇宙的なのだ。

Andrew-carnegie.png


彼の鉄鋼王・アンドリュー・カーネギーは、
1919年、83年に及ぶ生涯に幕を閉じた。
墓碑銘に刻ませた最期の言葉は、
『ここに、自分より賢い人々を、
周囲に集める術を知っていた1人の人間が横たわる』
だった。

この巨星の謙遜と人を大切にする
余徳にあやかりたいものだ。

2007年07月17日

●UHBテレビ「オオムラサキ」放映

オオムラサキ 2.jpg
(羽化したてのオオムラサキ)

先日の北海道新聞に掲載された「オオムラサキ」の記事がきっかけで、
UHBテレビによる蝶の取材がありました。

「スーパーニュース」27ch(5:50〜7:00)
「道内ローカル版」で、19日(木)6:18頃から放映されます。

今回は二日にわたっての取材で、
特に、羽化の場面を撮るのに、
24時間カメラを回しっ放しで撮影。
幸い今日の昼、羽化したシャッターチャンスに、
カメラマンの方の労も報われました。
御苦労様でした。  

オオムラサキ 1.jpg


また、先日STVラジオの「地産地消」のコーナーで、
まほろば自然農園が紹介されました。
農場主の宮下洋子が対応しました。

農園 専務  2.jpg

担当のパーソナリテイ牧泰昌さんは、
さすが、長年道内を隈なく歩いて
生産者を取材されている実績があるだけに、
話のうまい筋立てに感心しました。

スタッフの皆様、ありがとうございました。
その様子を垣間見られるHPをご案内します。

http://www.stv.ne.jp/radio/yuyake/yokochou/index.html?idno=20070704151916

農園 スタッフ 1.jpg

なお、明日18日(水)は、従業員慰安会のため、
両店舗とも勝手ながら、お休みさせて戴きます。
よろしくお願い申し上げます。

2007年07月16日

●ごめんなさいね おかあさん

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(向野 幾世(康文君の先生)著 : 「おかあさん、ぼくが生まれて ごめんなさい」 : 産経新聞社)

昨日の朝、致知出版からのメールに、
以前、記事にした「山田康文」君の、TVドラマが今晩放映されるから、
是非見て欲しい、と認められてあった。

恥ずかしいが、彼の事は知らなかった。
HPで康文君の詩を読んだ時、
どうしても、見るべきだと感じた。

ご覧になられた方も多かろうと思う。
先ず、その詩を・・・・

山田康文君の詩

 ごめんなさいね おかあさん
 ごめんなさいね おかあさん
 ぼくが生まれて ごめんなさい
 ぼくを背負う かあさんの
 細いうなじに ぼくはいう
 ぼくさえ 生まれなかったら
 かあさんの しらがもなかったろうね
 大きくなった このぼくを
 背負って歩く 悲しさも
 「かたわな子だね」とふりかえる
 つめたい視線に 泣くことも
 ぼくさえ 生まれなかったら

 

難産で脳性マヒになった我が子を必死の思いで育てて行くおかあさん。
そして、言葉には出せぬが、それを全身で受け止めて母を思いやる子。

ドラマの最後、胸をかきむしられるような思いになったのは、
私一人ではないはずだ。

一字一字、壮絶なる思いで刻んで行くその詩。
「ごめんなさいね、おかあさん」の一行だけで、
一カ月もかかり、そして、一年かけて綴り終えた。


お母さんの祈り

 私の息子よ ゆるしてね
 わたしのむすこよ ゆるしてね
 このかあさんを ゆるしておくれ
 お前が 脳性マヒと知ったとき
 ああごめんなさいと 泣きました
 いっぱいいっぱい 泣きました
 いつまでたっても 歩けない
 お前を背負って歩くとき
 肩にくいこむ重さより
 「歩きたかろうね」と 母心
 ”重くはない”と聞いている
 あなたの心が せつなくて
 わたしの息子よ ありがとう
 ありがとう 息子よ
 あなたのすがたを見守って
 お母さんは 生きていく
 悲しいまでの がんばりと
 人をいたわるほほえみの
 その笑顔で 生きている
 脳性マヒの わが息子
 そこに あなたがいるかぎり

ドラマの中で、好きになっても
叶わぬ淡い恋心を抱く一場面があった。
その相手の女の子がぐれて
「もう死にたい」と言った時、
車椅子から倒れた康文君が、
一言一言かみしめるように、うなった。

「僕は一人では生きられない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・でも、
僕は生きたい・・・・・・・・・・」

 
  康文君

 ありがとう おかあさん
 ありがとう おかあさん
 おかあさんが いるかぎり
 ぼくは生きていくのです
 脳性マヒを 生きていく
 やさしさこそが 大切で
 悲しさこそが 美しい
 そんな 人の生き方を
 教えてくれた おかあさん
 おかあさん
 あなたがそこに いるかぎり

「・・・・・やさしさこそが 大切で
 悲しさこそが 美しい・・・・」
と、言い残し、
それは、15歳の儚くも
愛しい人生を終えた。

如来の大慈大悲。
慈しみと悲しみ、
優しさと厳しさは、
二つながら、寄り添う。

脳性マヒを生き抜く厳しさ。
不自由という悲しみ。
そこを克服するには、
人のいたわりや優しさが要る。
社会の暖かい眼差しや思いやりが要る。


「やさしさこそが 大切で
 悲しさこそが 美しい・・・・」

悲しみの闇がなければ、
慈しみの光は射さない。

たれかが、
「悲しみの涙の数が多いほど、
人には優しくできるから・・・・・」
と歌った。

日本の精神文化の中核をなすものは
「もののあわれ」という情緒に他ならない。

この大慈大悲の如来の心を
人の心に植え付けるために、
康文君は、あえて、
その生を選んだ菩薩であり、天使だった。

百済観音.jpg

・・・・・・うつつともなき 虚空(なかぞら)に
        悲しき人の 眼ぞ観ゆる・・・・・・・・・・