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2007年07月16日

●ごめんなさいね おかあさん

おかあさん ぼくが うまれて.jpg
(向野 幾世(康文君の先生)著 : 「おかあさん、ぼくが生まれて ごめんなさい」 : 産経新聞社)

昨日の朝、致知出版からのメールに、
以前、記事にした「山田康文」君の、TVドラマが今晩放映されるから、
是非見て欲しい、と認められてあった。

恥ずかしいが、彼の事は知らなかった。
HPで康文君の詩を読んだ時、
どうしても、見るべきだと感じた。

ご覧になられた方も多かろうと思う。
先ず、その詩を・・・・

山田康文君の詩

 ごめんなさいね おかあさん
 ごめんなさいね おかあさん
 ぼくが生まれて ごめんなさい
 ぼくを背負う かあさんの
 細いうなじに ぼくはいう
 ぼくさえ 生まれなかったら
 かあさんの しらがもなかったろうね
 大きくなった このぼくを
 背負って歩く 悲しさも
 「かたわな子だね」とふりかえる
 つめたい視線に 泣くことも
 ぼくさえ 生まれなかったら

 

難産で脳性マヒになった我が子を必死の思いで育てて行くおかあさん。
そして、言葉には出せぬが、それを全身で受け止めて母を思いやる子。

ドラマの最後、胸をかきむしられるような思いになったのは、
私一人ではないはずだ。

一字一字、壮絶なる思いで刻んで行くその詩。
「ごめんなさいね、おかあさん」の一行だけで、
一カ月もかかり、そして、一年かけて綴り終えた。


お母さんの祈り

 私の息子よ ゆるしてね
 わたしのむすこよ ゆるしてね
 このかあさんを ゆるしておくれ
 お前が 脳性マヒと知ったとき
 ああごめんなさいと 泣きました
 いっぱいいっぱい 泣きました
 いつまでたっても 歩けない
 お前を背負って歩くとき
 肩にくいこむ重さより
 「歩きたかろうね」と 母心
 ”重くはない”と聞いている
 あなたの心が せつなくて
 わたしの息子よ ありがとう
 ありがとう 息子よ
 あなたのすがたを見守って
 お母さんは 生きていく
 悲しいまでの がんばりと
 人をいたわるほほえみの
 その笑顔で 生きている
 脳性マヒの わが息子
 そこに あなたがいるかぎり

ドラマの中で、好きになっても
叶わぬ淡い恋心を抱く一場面があった。
その相手の女の子がぐれて
「もう死にたい」と言った時、
車椅子から倒れた康文君が、
一言一言かみしめるように、うなった。

「僕は一人では生きられない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・でも、
僕は生きたい・・・・・・・・・・」

 
  康文君

 ありがとう おかあさん
 ありがとう おかあさん
 おかあさんが いるかぎり
 ぼくは生きていくのです
 脳性マヒを 生きていく
 やさしさこそが 大切で
 悲しさこそが 美しい
 そんな 人の生き方を
 教えてくれた おかあさん
 おかあさん
 あなたがそこに いるかぎり

「・・・・・やさしさこそが 大切で
 悲しさこそが 美しい・・・・」
と、言い残し、
それは、15歳の儚くも
愛しい人生を終えた。

如来の大慈大悲。
慈しみと悲しみ、
優しさと厳しさは、
二つながら、寄り添う。

脳性マヒを生き抜く厳しさ。
不自由という悲しみ。
そこを克服するには、
人のいたわりや優しさが要る。
社会の暖かい眼差しや思いやりが要る。


「やさしさこそが 大切で
 悲しさこそが 美しい・・・・」

悲しみの闇がなければ、
慈しみの光は射さない。

たれかが、
「悲しみの涙の数が多いほど、
人には優しくできるから・・・・・」
と歌った。

日本の精神文化の中核をなすものは
「もののあわれ」という情緒に他ならない。

この大慈大悲の如来の心を
人の心に植え付けるために、
康文君は、あえて、
その生を選んだ菩薩であり、天使だった。

百済観音.jpg

・・・・・・うつつともなき 虚空(なかぞら)に
        悲しき人の 眼ぞ観ゆる・・・・・・・・・・

コメント

その人の器が大きくなるほど世界中の痛みが悲しみが地球の悲鳴がすべて聞こえるそう。

それを受けてなおお祭りのような明るさで生きていける、強い人がいるのですよね。

やはり近所の方でお嬢さんが重度の自閉症のお母様がいらっしゃいましたが
(引っ越されました)、とても大きな優しい方でした。
授かった子供をチャント受け入れて本人もその苦労の代わりに、大いなるものを
手に入れて光り輝いているような気がしました。

15歳にして逝ってしまった・・・
本になって残したものの大きさを思うとき、天国で魂として安らいでいるのを
祝福したいような気持ちになります。

正しさよりも、
やさしさを・・・。

そんな感じでしょうか?

多くの諍いは、正しさの主張から始まっているような気がします。

人の悲しみに共感する、やさしい気持ちがあれば、もっと素敵な世の中になりますね。

このブログをみて、涙があふれてきます。
私の心の泉から、わけもなくあふれてくるのです。

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