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2011年02月14日

●手紙〜親愛なる子供たちへ〜

若い時は、その若さが分からない。
しかし、過ぎ去ってからその若さのかけがえのなさを知る。
老いは、老いの影に気付かない限り、理解できるものではない。
だから、若者は、思い切ってその青春を謳歌するがよい。

何れ、出来なくなる日が来るのだから。
60の坂を越し、耳も目も幾分かすみ、歯も髪もほころび始めて、
老いの何たるかを、気付き始めた。
今まで、観念でしかなかった老いるということが、こういうことだったのか・・・・と。

そんな時、この歌を知った。
今までにない詞は、身につまされ、きっと多くの共感を生んでいるのだろう。
人は子供に還るという。
それは、精神のみならず肉体もそうで、不自由という赤子に還る。

そこに、親に引き継がれ、子に引き継がれる人生の連鎖を改めて知った。
お世話になり、お世話をし、そしてお世話になる。
その循環のうちに身はすり替わり、心は引き継がれる。
老いても、なお赤子のように、素にして愛されるべくありたい。

年老いた親の自分の子供へ向けたメッセージが歌われている。
元の歌詞はポルトガル語で書かれており、作者不詳(詠み人知らず)。
樋口了一さんの友人角智織さんの元に偶然届いたチェーンメールに詩が記載されていた。
この詩に感銘を受けた角さんが詩を翻訳、
樋口さんに見せたところ彼も感銘を受けたため、曲の制作・発売に至った、という。

高齢化社会になった今、「介護」は他人事ではなく、
一人ひとりが抱える切実な問題となった。
全国の養老院や介護施設を回って、歌い続ける樋口さんのメッセージに、
老親たちは涙なくしては聴けなかった。

手紙.jpg

年老いた私が ある日 今までの私と違っていたとしても
どうかそのままの私のことを理解して欲しい
私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
あなたに色んなことを教えたように 見守って欲しい

あなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返しても
その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい
あなたにせがまれて 繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末は
いつも同じでも私の心を平和にしてくれた

悲しい事ではないんだ
消え去ってゆくように見える私の心へと励ましのまなざしを向けて欲しい

楽しいひと時に 私が思わず下着を 濡(ぬ)らしてしまったり
お風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しい
あなたを追い回し 何度も着替えをさせたり
様々な理由をつけていやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを

悲しい事ではないんだ
旅立ちの前の準備をしている私に 祝福の祈りを捧げて欲しい

いずれ歯も弱り 飲み込むことさえ 出来なくなるかも知れない
足も衰えて 立ち上がる事すら 出来なくなったなら
あなたが か弱い足で 立ち上がろうと 私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの 手を握らせて欲しい

私の姿を見て 悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい   
あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど
私を理解して支えてくれる心だけを持っていて欲しい

きっと それだけで それだけで 私には勇気がわいてくるのです
あなたの人生の始まりに 私がしっかりと付き添ったように
私の人生の終わりに 少しだけ付き添って欲しい

あなたが生まれてくれたことで 私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変わらぬ愛を持って 笑顔で答えたい

私の子供たちへ 
愛する子供たちへ

コメント

まいどです。
あなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返してもその結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい。

この言葉で反省しました。
祖父、祖母の話に耳を傾けたいと思います。

感動し涙でました。
親から子に伝わる普遍的な心。人の死への旅立ちの心の準備、ふっとみせる淋しさ。
私は、60を過ぎた親子ほど年離れた旦那ですが、思わず何十年後の姿を勝ってに投影しました。まだまだ旦那さん気持ちは若いですけどね。
素晴らしいバレンタインのメッセージだったわ。

ヤンジイいわく、50 60 は、まだまだはなたれ小僧。自分は、まだまだといってました。。

最近、同じ事を何回も言っている自分がいます。
「それ、聞いたわよ」って。
でも、許されるんですね。
ありがたいものです。・・・・・・・

先日の「うさと展」ごくろうさまでした。
もう次の夏展5月が楽しみですね。
山口さんは、若いですよ。
何よりも気持ちがピュアだから、若いんでしょうね。
それとあなたと一緒なので益々若くなる。
あと、50年は大丈夫でしょう!!
その頃には、歳の差なんて、無くなりますね。

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