2009年12月31日

●「イナウ」と共に今年よ、ありがとう!!

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アイヌの御幣「イナウ」の制作をお願いしていた結城幸司さんが
わざわざ、その入れ替え儀式のため、大晦日の今朝来店された。
カムイや先祖と人間を繋ぐ大切な祭具「イナウ」は、神聖な供物でもある。
新生な年を迎えるに、先ず新たなるイナウを迎えようとの願いが叶った。

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先日書き上げた「自然医学」の連載原稿が、たまたまアイヌ精神文化のテーマだった。
「終わりの滴(しずく)、始まりの滴」と題して、自分としても瞠目するべきことだった。
それは、「まほろば」という音韻が、実はアイヌ語を祖語として遡れること、
そして、ある偉大な思想哲学を蔵していたのだった。

私のアイヌ文化に対する思いが、一変というか、飛翔した感じだった。
この思いが、今年の締めくくり、来年への展開を、イナウを介して引き寄せたのだ。
結城氏の祝詞はアイヌ語と日本語の混じったもので、
それから感じたことは、ひたすらみんなの幸いを願うものばかりだった。

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アイヌ民族の優しさ、和やかさ、明るさに、このように感動するのは、
実は日本民族も、他民族も根底は同じなのだ、ということではないのだろうか。
今年一年、いやまほろばのこれまでを締めくくるには、
さり気ない小さな儀式だったかもしれないが、これは大きな節目である象徴だった。

天から、平和のメッセージを戴いたのだ。
来年から心新たに、食を通して平和の行進が出来ますことを。

この一年、まほろばをご愛顧戴きました事、
深く深く感謝申し上げます。
来年は、皆様にとりまして、和やかな歳となりますよう、
幸せな日暮しが出来ますよう、お祈り申し上げます。

ありがとうございました。


2009年12月30日

●09 酉の市

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この「酉の市」の5日間は、比較的穏やかな日和で、客足も軽やか。
後残す所一日、天気予報では、吹雪で荒れるとか。
店内はお正月一色。
鏡餅や供え餅、お節料理いろいろが処狭しと並ぶ。

まほろばでは、花も扱っているので門松や迎春花も並ぶ。
榊やゆずり葉あり。水木、若松、千両あり。
苔松、枝垂れ梅など、何とも日本的情緒でたちまちに和む。
こう言った気分が日常、なかなか味わえなくなって来た。

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一般市場では、おせち関係が随分と売れなくなって来て、
売れるのは安いものばかりで、食のユニクロ化が起きている。
スーパー、デパートが正月一日から営業しているので、
別段前もって買う必要がなくなって来ているのは確かだ。

お節は、主婦の日頃の労をねぎらう為の膳なので、
売れなくなるのは当然と言えば当然である。
一日から働きに出て、一家の寛いだ団欒を壊してしまったことは、
取りも直さず、日本文化の崩壊にも繋がっている。

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自然食品もその例外でなく、年々お節離れが起きているという。
ムソーさんも、今年の予定数が大幅に下回ったという。
この不況も手伝っているのかもしれない。
急遽、その余った鏡餅100個弱が送られ、半額で売らせてもらった。

ムソー・小林さんの奥様も大阪から来札され、お二人で店頭で販売。
他のお節も含め、大方売り切ったので、一安心。
安く買われた方は、俄かお年玉で、来年はラッキーな年になるでしょう。
とまれ、慌しい師走は後一日を残すばかりです。

2009年12月29日

●佛手玉

年末の忙しさの余り、ブログにまで手が届かなかった。
26日から始まった「酉の市」が、昨日一段落付いてホットしている処。
今朝5時の仕入れを最後に、今年は残す所あと2日。
滞りなく今年を無事に乗り越え、みなで清々しい新年を迎えたい。

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もう店先にはないが、「佛手柑」が入荷していた。
あたかも、お釈迦さまや観音さまの優美な御手のようで、その名が付いたのだろう。
中国、台湾、アジア圏では昔から、仏前にお供えして、食用には適さないとか。
幸い、今年は物の優れたのが入り、来年は良き歳になるのだろう。

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そういえば、今年視察した青海省の西寧空港で見かけた「佛手参」。
先の「佛手柑」を小さくしたような野生人参で、滋養強壮では高麗に似ている。
高山病に効くと言われる「紅景天」と同じチベット高原で採取される稀少植物だ。
実はこれ、まほろばオリジナルサプリメント「ユットク」に使われている。

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この時の旅先、広大な塩湖のあるゴルブドで見つけた白玉。
実は、ここの玉は崑崙山産出のもので、中国最高峰の質を誇る。
それで政府は、北京オリンピックの金銀銅のメタルにここの玉を使ったという。
何か突然降って湧いたように、この玉をエリクサーに入れるべき、と閃いたのだ。

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そこですぐさま、1000個発注して作って送ってもらうことにした。
形は、「佛手玉」、仏の掌に抱かれた「結」をイメージしたものだ。
無限心(ハート)の象徴「結」を、縁起の良い崑崙白玉で彫った物が
エリクサー一台一台に搭載されて、一家の幸運を招来する。

今、在庫するエリクサーからは、漏れなくこの「佛手玉」が入っている。
来る歳は、佛手に抱かれて、平安なる日々であらんことを。

2009年12月23日

●中島デコ女史、御来店

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15年前になるだろうか、川崎の片山さんの「さらば、和蔵会」が出雲でも開かれた。
全国の錚々たる酒造関係者が一堂に介し、氏の交友の広さに感心したものだ。
その時、初めてお会いしたのがエバレット・ブラウンさんで写真家である事を知った。
奥様のデコさんとの共書が、美しい写真入りで何冊も出されている。

http://www.brownsfield-jp.com/

そのデコさんが、宮本さんの「知恵の木」主催の講演・料理教室でいらっしゃるという。
スケジュール終了後、まほろばにお越しになった。
16歳でマクロに出会い、ほぼ40年近く一筋の道を歩かれている。
千葉で自給自足の理想的なライフスタイルで夢を実現されている。

http://ameblo.jp/noahnoahgreen5130/
(「知恵の木」通信)

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(左が宮本さん、デコさん、宮本さんの奥様、広島からの受講生)

片山さんは無論、寺田さんや、有岡さん、タカコ・ナカムラさん、大谷さん等々、
初対面ながら、同じ知り合いで繋がっている事に驚いてしまう。
わずかな時間で、お話がゆっくり出来ず残念だが、次の機会に。
地下洞の説明で終始したが驚かれて、次回エバレットさんを連れて来たいとか。

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ハート石とチベット・タンカの前で、禅座すると様になる姿態は元モデル(?)さんだったからかな。

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2009年12月21日

●荒川豊蔵翁の文

ある日、寝転んで「日本のやきもの」を読んでいた。
その「美濃」篇で、彼の荒川豊蔵翁の文章に出くわした。
久方ぶりに、いい文章だな・・・と起き上がったしまった。
どうして陶工は、こうも名文家が居るものか、と唸った。

益子焼の濱田庄司氏の文の彫琢に迫れる作家はもう見当たらないだろう。
両氏とも土を練り、轆轤をひき、窯を焚くこと自体、すでに練成していて、
机上の空想を頭で練っているのとは、自ずから醸す味わいが違う。
同じ言葉を使っても、そこはかとなく滲む行間と言おうか、間と言おうか、
まるで、志野の器を眺めるが如く、飽きない。

私の若い頃、荒川氏は文化勲章授与、人間国宝として活躍されていた。
古窯跡で志野焼陶片を発掘し、安土桃山時代の志野焼が
美濃で製作された事を実証した逸話は有名だ。
まぁ、くどくどと駄文を並べるより、氏の何気ない文章に、
深い奥行きや息遣いを感じるのは私だけだろうか。

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「志野・織部の故里」
             荒川 豊蔵

私は多治見で生まれ、多治見で育った。
若いうちの何年間かはこの故郷を離れて遍歴の日を過ごしたが、
制作の本拠である大萱にこもってからも、
故郷の家は家族とともに住む生活の本拠であった。
"美濃をたずねて“の書き出しを多治見から始めたのは別に意味はない。
ただぶらりと家を出て、眼にふれたあたりから案内をしてみたいと思ったまでである。
やきもの世界で桃山、といえばまず志野が浮かぶ。
志野といえば美濃が浮かぶ。志野はあまりにも有名になったようだ。
多治見から高田・小名田を経て久々利の大萱・大平へ、さらに五斗蒔峠を通って久尻へ。
通いなれ、歩きなれた道をたどりながら、気ままな感じや今日の姿を記してみたいと思う。

多治見は四方を低い山々で囲まれている盆地である。
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2009年12月19日

●国の抗(あらが)い、食の和(なご)み

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早々と2010年「自然医学」新春号が届きました。
来年のお付き合いも又始まります。
お客様から、「まほろばとの食養観が違うのではないか」というご指摘を受けていました。
そこで、家内が詳しくその点について言及しましたので、是非お読み下さい。
根底では、みな繋がっているのでご安心下さい。

http://www.mahoroba-jp.net/about_mahoroba/tayori/kokoga/syokuyosiso200912.htm
(「まほろば」の食養思想について)

0−1テスト講習会は予告すると、すぐ満席になるほど皆さんご熱心です。
それは、いかに健康や食に対して意識と関心が高いか、ということで、
回を重ねる毎に、理解が深まってくるようで、目が離せません。
1月は満杯、もう次回の申し込みのお電話が入っています。

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1月号には、森下会長と福岡明明徳会会長の対談が掲載されています。
お二人の出逢いの場が生々しく出ております。
丁度、森下博士が「腸管造血説」を発表された頃で、その講義を聴かれた福岡博士、
周りが騒然とする中、堂々と自説を述べられる姿勢に感動されたそうです。

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環境問題評論家の船瀬俊介氏と共に、多岐に亘ってお話しましたが、
今回はお二人に焦点を合わせての編集です。
ちなみに、船瀬氏の「知ってはいけない!?」「新・知ってはいけない!?」の
著書がまほろばに入荷しています。興味深い話題が満載されています。

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今月の「北の空から」は『国の抗(あらが)い、食の和(なご)み』と題して、
太平洋戦争の特攻隊員の遺稿を元に、
まほろばの生き方、在り方を述べてみました。
色々なご意見があるでしょうが、何時の時代でも何処の国でも、
普遍的な真理と心情を元に生きて行きたいと思います。

2009年12月15日

●元山もしくは伽羅柿

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フト足が止った、その柿。
何だろう?
「横手」か「西條」?
「イヤ、ガンザンというらしい」と仲買。

「旨くないよ」
「そうかい」
いかにも旨くなさそうだが、一口ガブリ!
さらりとした甘味で、後に引かず、しかも余韻が残り、力もある。
「いや、中々旨いよ」と言って、格安にしてくれた箱を全て買い上げた。

「名物の 柿喰いに行くか 羨まし」

久留米田主丸町雲遊寺の井波師が越後分院を辞めて帰国する時に、
東本願寺管長大谷光演師が惜別の情をこめて贈ったという。
かつて名物の柿を献上された記憶が、この句となったとか。
それほどの名品だったのが、この元山柿だった。

黒蜜のようにゴマがぎっしり入った甘柿は皇室への献上柿ともなった。
その寺には今も樹齢400年といわれる柿「元山」の老木がある。
昭和30年代までは、市場に出せば、仲買人が何も言わず最高値をつけた。
しかし、岐阜から入った富有柿の台頭により、次第に姿を消して行ったという。

在来種「元山」のルーツは田主丸。
時代の中で忘れられた味を、北の地で味わえるとは。
柿一つとっても、まだまだ知らない世界がある。
ましてや、他の事においてをや・・・学ぶことが山のようにある。

特価で5個¥250。
もし、ご興味あれば。
何せ、香木の極めつけの伽羅を別名にする位のもの。
なかなか、名前からして風情がある。

また珍しいシナモンの樹が入荷。
熱帯性の常緑樹で、別名「セイロン・ニッケイ」。
白い実をつけ、木からはほんのりシナモンの香りが。
香辛料のシナモンは樹皮をはがして乾燥させたもの。
1鉢¥2,800

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