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2009年03月03日

●RED CLIFF 赤壁から 2

赤壁 1.jpg

そして、何と言っても「三国志」の白眉、「赤壁の戦い」で、
あの蘇軾の「前赤壁賦」の名文が甦る。
文章や書の手本としても古今に珍重せられている。

蘇軾 赤壁賦 書.jpg
(蘇軾書「前赤壁賦」。政治家であり、優れた文章家、書家でもあった)

徐(おもむろ)に文が流れ出る、出だしから終末の人生観に達する
その構成は、一連の襖絵のようであり、
長き絵巻であり、一大交響曲のようである。

蘇軾 1.jpg

前赤壁賦        
                        蘇東坡


壬戌の秋、七月既望、蘇子客と舟を泛べて、赤壁の下に遊ぶ。
清風徐に来りて、水波興らず。
酒を挙げて客に蜀して、明月の詩を誦し、窈窕の章を歌う。
少焉して月東山の上に出でて、斗牛の間に徘徊す。
白露江に横はり、水光天に接す。
一葦の如く所を縦にし、萬頃の茫然たるを凌ぐ。
浩浩乎として虚に馮り風に御して、其の止まる所を知らず、
飄飄乎として世を遺れ独立し、羽化して登仙するが如し。・・・・・・・

芭蕉 赤壁.jpg

其の声鳴鳴然として、怨むが如く慕うが如く、泣が如く訴えるが如く、
余音嫋嫋として、絶えざること縷の如し。・・・・・・・・・

のリズムと音調は丁度、芭蕉の「奥の細道」の
「・・・松島は笑うがごとく、象潟は怨むが如し、
寂しさに悲しみを加えて、地勢魂を悩ますに似たり・・・・・・」
を思い出す。
古今の文人はこれを手本として、肉薄しようと試みたのだ。

蘇軾 赤壁賦 絵.jpg

最後の結末を、こう括る。

・・・・・・・蘇子曰く、客も亦夫の水と月とを知るか。
逝く者は斯の如くなるも、而も未だ嘗て往かざるなり。
盈虚する者は如彼の如くなるも、而も卒に消長すること莫きなり。

蓋し将其の変ずる者よりして之を観れば、
則ち天地も曾て以て一瞬なる能はず、
其の変ぜざる者よりして之を観れば、
則ち物と我と皆尽くること無きなり。

而るに又何をか羨まらんや。
且つ夫れ天地の間、物には各々主有り。
苟くも吾の有る所に非らずんば、一毫と雖も、取ること莫し。

惟江上の清風と山間の明月とのみは、耳之を得て声を為し、
目之に遇うて色を成す。
之を取れども禁ずる無く、之を用いるも竭きず。
是れ造物者の無尽蔵なり。而して吾と子との共に適する所なりと。

客喜んで笑い、盞を洗いて更に酌む。肴核既に尽きて、杯盤狼藉たり。
相い與に舟中に枕籍して、東方の既に白くりを知らず。

蘇軾 赤壁賦 絵2.jpg

蘇軾は、中秋の名月の夜、友人を誘って小舟を繰り出した。
その客人は、なんともいえず物悲しい音色で、
洞簫(どうしょう)を吹いてこう語った。
「三国時代、この場所で川岸が紅蓮に焼けるほどの戦いをし、
歴史を動かしたあの一世の英雄曹操でさえ、いまは影も形もない。
ましてや、私やあなたの人生は、かげろうのようにはかないものです」
それを聞いた蘇軾は次のように言った。
「長江の水は流れ去っているが尽きることはない。
月はいつも満ち欠けしているが消えたわけではない。
変化し続けているように見えるものも、見方を変えれば不変だともいえる。
何も手元に止めることができず、この世は空しく限りあるものばかりだと思う。
だが、目を転じれば、風の音や月の色、
自然が与えてくれる美しさや喜びは無尽蔵で、
造物主は尽きず、我々もまた尽きないのだ」

 月と日.jpg

この世は、在るとも無しとも捉われることはない。
その無常に悲しみ、その有常に歓ぶこともない。
無常も一面なれば、有常も反面。
この無常の中に不変を見、
この相対の端に絶対を見、
この有限の外に無限を見ることが出来るのだ。

何も憂い悲しむ事もない。
全てを超えて、今を遊び、今生を愉しむ
その楽観の境に、蘇軾と客人は意気投合して
朝まで舟を浮かべ、杯を傾けたのだ。

蘇軾 赤壁賦 筝曲.jpg

そんな時、若い時に聞いた故・中能島欣一師作
筝曲「赤壁の賦」の名曲が思い出された。
この人生観は、今もなお日本人の心をも捉えて離さないのだ。

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