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2009年03月04日

●RED CLIFF 赤壁から 3

私の若い時の文章修行は、多く中国古典に拠った。
分けても、「レッドクリフ」に出る諸葛亮の「出師表」には心奪われた。
文辞と言い、構成と言い、格調と言い、他に隔絶していた。
その流れるようにして、しかも読み手の心を抉(えぐ)るかのような
魂の吐露には夢中になった。

これは生き方に真実が無ければ、
溢れ出ない語句であり、抒情なのだ。
締める所、緩める所、その緩急自在にして事実を押さえながら、
情緒纏綿として叫ぶが如く、音韻連綿として泣くが如く、
万世の人をして訴えずにおかない激流は枯れることが無い。

しばし、その文を意味が解せなくとも、読んでみよう。

諸葛孔明 1.jpg


・・・・・・・・・・・・・・・

「(臣亮言す)
先帝創業未だ半ばならずして中道に崩殂せり。
今天下三分し益州は疲弊す。
此れ誠に危急存亡の秋なり。

然れども侍衛の臣、内に懈らず、
忠志の士、身を外に忘るるは、
蓋し先帝の殊遇を追ひ、之を陛下に報いんと欲すればなり。

誠に宜しく聖聴を開張し以て先帝の遺徳を光らかにし、
志士の気を恢弘すべし。
宜しく妄りに自ら菲薄し、喩へを引き義を失ひ、
以て忠諫の路を塞ぐべからず。

宮中府中は倶に一体と為り、
陟罰臧否するに宜しく異同あるべからず。
若し姦を作し科を犯し、及び忠善を為す者有らば、
宜しく有司に付して其の刑賞を論じ、
以て陛下の平明の理を昭らかにすべし。
・・・・・・・・・・
賢臣に親しみ小人を遠ざくる、此れ先漢の興隆せし所以なり。
小人に親しみ賢臣を遠ざくる、此れ後漢の傾頽せし所以なり。
先帝在りし時、臣と此の事を論ずる毎に、
未だ嘗て桓・霊に歎息痛恨せずんばあらざりしなり。
願はくは陛下之に親しみ之を信ぜよ。
則ち漢室の隆んなること、日を計りて待つべきなり。

臣は本より布衣、躬ら南陽に耕す。
苟くも乱世に性命を全うし、聞達を諸侯に求めず。
先帝臣の卑鄙なるを以てせず、猥りに自ら枉屈し、
臣を草廬の中に三たび顧み、
臣に諮るに当世の事を以てす。

是に由りて感激し、遂に先帝を許すに駆馳を以てす。
後傾覆に値ひ、任を敗軍の際に受け、命を危難の間に奉ず。
爾来二十有一年なり。

先帝臣の謹慎なるを知る。
故に崩ずるに臨みて、臣に寄するに大事を以てす。
命を受けて以来夙夜憂歎し、
託付の効あらず以て先帝の明を傷つけんことを恐る。

故に五月濾を渡りて深く不毛に入る。
今南方已に定まり兵甲已に足る。
当に三軍を奨率して北のかた中原を定むべし。
庶はくは駑鈍を竭くして姦凶を攘ひ除き、
漢室を興復して旧都に還さん。
此れ臣の先帝に報いて陛下に忠なる所以の職分なり。
・・・・・・・・・・・・・・・

陛下も亦宜しく自ら謀りて、以て善道を諮諏して雅言を察納し、
深く先帝の遺詔を追ふべし。

臣恩を受けて感激に勝へず。
今当に遠く離るべし。
表に臨みて涕零ち、言ふ所を知らず。」と。

遂に行きて沔陽に屯す。

諸葛孔明 2.jpg
岳飛.jpg
(孔明が書いた木簡を、後代岳飛が涙ながらに書き写したとされている)

これは前編、趙雲が救済した劉備の子、劉禅に孔明が、
読み解いた心の血書檄文なのだ。
レッドクリフ後編には、出ないであろうが、
孔明とはかくの如き烈々たる忠義の人物なのだ。

赤壁 3.jpg

最後に、あの映画で、最も心に残ったのは、
ストーリーというより意外にもキャスティングであった。
それは、関羽その人であった。

若き時より、身近に感じていた関羽は何時までも想像上の人物でしかなかった。
しかし、今回この映画の男優を見て、もし生きて現われるなら、
「かくの如き人か・・・・、さもありなん」と、
往時を彷彿とさせた。

赤壁 2.jpg

関羽には、ピタリと嵌った役柄、
聞けば、モンゴル出身で、かつて「ジンギスカン」の主役を演じたとか。
冷静沈着なる胆力、その凛然とした風格は、持って生まれた大地の気を
吸って育まれたのだろう、と察した。

赤壁 4.jpg
(神戸関帝廟、関羽を祀っている)


曹操にしろ、孔明にしろ、周瑜にしろ、
やはり現代生活を営んでいる気が風貌に現われて、
時代物は、その点が中々難しいのだろう。

しかし、時代考証の細密さ、壮大でダイナミックなシーンには、
最先端の技術ならではの醍醐味を堪能できた。
古代の再現が、こうも易々と出来る面白い時代が来たのか、
と現代に生きていることにも益ありと思わされた。

4月公開の後編「赤壁 決戦天下」を期待したい。

コメント

意味が解せない・・どころか、読めない漢字がいっぱいだよぅ〜〜(涙)

↑同感!

僕も同感!!!

それは、最後まで眺めるだけでいいんですよ。
できれば、解らなくても声に出して・・・・。

それで、忘れてても音韻が印象に残って、心に刻まれているんです。

古典には、そんな力があります。

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