2010年01月30日

●船瀬さんと環境問題

ホットカーペット 1.jpg

昨日と一昨日にわたり「Ornerオルネ」の嘉納代表が来店されました。
電磁波に関する商品紹介で、そのカット装置やカーペット等など。
まほろばでも、20年ほど前から、その有害性を訴えて電磁波グッズを扱って来ました。
しかし、その不徹底だったことを知らされた有意義な一日でもありました。

その詳しい事は追々発表するとして、互いの共通した知り合いがあの船瀬さん。
「自然医学」の対談などで、何度かご一緒させてもらいました。
この度「ホットカーペットでガンになる」というタイトルで本を出されました。
その電磁波がいかに怖いか、どう対処すべきかが細かく書かれています。

嘉納代表をお迎えして、4月に講演会と販促会が開かれます。
その前に、船瀬俊介氏の幾つかの講演の動画を見て戴きたいと思います。
改めて、私達は環境や健康問題に目を開かねばならない時に来ているようです。

2010年01月25日

●「仙鶴」あるいは「関節炎」

茶匙 7 kettei.jpg

昨年、懇意にしている銘木店で、稀少の竹材を戴いた。
その面白い節の曲がりようを見て、茶杓を作ってみようと思った。
茶の湯の嗜みもなく、無論茶杓に至っては、その決まりも知りようがない。
しかし、無知の怖いもの知らずで、ちょっと悪戯をしてみた。

茶匙 5 先.jpg

短い節の縮みようが如何にも粋で、真中の裂けた皮が自然によじれて浮いている。
先は表皮を使うべきだが凹みがなく、止むを得ず裏を使った。
それで反って景色が出来、尻の収めも蝋燭で焼いた。

茶匙 4 後.jpg

見れば、ゴツゴツしてこれぞ「へうげもの」に違いない。
そこで思い至ったのが、深山幽谷で痩せ細った仙人の骨だった。
名付けるなら定めし「仙鶴」の号しかなかろう。
しかし、いかにも痛々しそうなので、別銘「関節炎」とした。

茶匙 1.jpg

そうこうするうちに、川喜田半泥子氏の作品集が送られて来た。
その茶碗や書画の中に混ざって、茶杓の作品があるではないか。
銘を「うねうね」とし、常識にとらわれない氏の遊び心が溢れている。

「東の魯山人、西の半泥子」と言われた氏はあくまでも趣味人であり、
「半(なか)ば泥(なず)みて半ば泥まず」の禅語が面目躍如として作品に表れる。
俗に入りて俗に染まらず、芸に遊びて芸に溺れず、
その半ばする生き様に、むしろ氏の潔さを感じる。

ついで来週には、まほろばオリジナル上級抹茶が発売される。
菱和園の小尾哲史さんの特別の計らいで、これが実に甘く旨い。
有機栽培でしかも高からず、このような深い茶は初めての事。
この「仙鶴」で茶を運ぶと、ことの他味わい深い。


2010年01月21日

●'Journey to the Stars'

THDさんのブログ集から朝瀬蘭さんの記事をシェアさせて頂きます。
とても素晴らしい動画なので、皆さんご覧になってください。
如何に私達は、小さな存在なのか。
そして大きな存在なのか。
大宇宙から観た地球は、まるで
人間からみた微生物の世界なのでしょうね。

top[1].gif

仏教では、重々無尽蔵の華厳世界があることを説いています。
日常の小さなことにクヨクヨしている事が、つまらなくなりますね。
夜の星空の広さを観て、思いを宇宙の外に馳せましょう。

2010年01月19日

●第一回「阿部の一理(かずまろ)独演会」

abe 1.jpg

昨晩、「第一回『まほろばお笑い寄席』」が開かれました。
ちょっと、違ったかな。
「第一回『阿倍之一理(かずまろ)独演会』」だった。
やっぱり、違った。
「第一回『阿部一理先生講演会』」でした。

みんな笑い過ぎたかな。
50席、満席で終始笑いの渦、また渦。
何十回も聴いているが、新しい方と又笑ってしまう。
食を笑いに代えて、誰もが気安く気軽に気持ち良く、
「食が血となり、血が肉となる」理論を理解するには、最適のお話会だった。

昭和50年前後、「日本CI協会」の事務局長兼編集長を任され、全国を飛び回られた。
桜澤リマ、大森英櫻両先生について、当時大いにマクロ運動に挺身されていらした。
その後、離れて、35年振りのCI復帰で、古巣に帰って来た感じでしょう。
私とは、30年前からのお付き合いで、自然食も0-リングも家内も先生の紹介だった。

まほろばが今日あるのは、先生の存在無くしてありえなかった。
ともに道産子ということもあって、深い縁に繋がれているのでしょう。
これを機に、定期的に講演会を開いて、大いに自然食普及に努めたいと思います。
後日、第二回目の「食と水の最新最強生命情報」の日時をお伝えします。

abe 2.jpg

今回紹介された「古くて新しい『伝承療法』」の新刊書。
この中の幾例が、私の尊敬する整体の野口晴哉先生の卓見と聞いて、
荒唐無稽と決して侮れない、人間への深い洞察力を思う。
最先端の医学情報と伝統的民間療法、その融合の時代に来ている。
是非、次回ご参加のほどを。

abe 3.jpg

2010年01月18日

●「花麻香」デヴューinアメリカ

トータルヘルスデザインさんで「花麻香」を通販告知した処、即日完売。
売り過ぎて早速、追加制作依頼。
素材と手作りと音と香りのコンパクトセットに、
何か惹き付けられるものがあるのでしょうね。

遠くはアメリカのカンザス州のエリカさんから
「花麻香」のお便りが届きました。

hana asaka  erika.jpg

「花麻香」届きました。
ありがとうございました。
確か、滋賀県の長早苗さんとは、トニーのコンサートの件で、
一度電話で話させていただいた記憶があります。

長さんをご紹介いただき、どうもありがとうございました。
その長さんが染められているとのこと、遠いながら縁を感じます。
いつか、お会いできれば、と思います。

先日、はじめて自分で仕立てた着物を着た折に、
花麻香を根付けとして身に付けました。

とてもよい香りで、いやされるとともに、
シンプルながら気品があり、着物にぴったりでした。
トニーに写真を撮ってもらいました。

本当にどうもありがとうございました。
今は、トニーのウールの着物を作成中です。

しんやえりか


2010年01月16日

●FIRST THANKS DAY

感謝デー1月チラシ.gif

2010年の初の「ありがとうの日」が昨日から始まりました。
吹雪の中、大勢お越し戴いて、ありがとうございました。
みなさま、さぞや雪かきで疲労困憊されただろうと察します。
その上に、駆けつけて下さいまして、感謝申し上げます。

tanosikihi.jpg

今回は、1月にかかわらず、割引商品が山のようにあって、春からウキウキした気分です。
ムソーさんからは、正月用品の半額提供があって、目と口を楽しませてくれています。
目玉の「まほろば手塩新巻鮭」はゆかりちゃんと藤原さんが、格闘した塩引きです。
年末大好評で再注文が多かった天然本鮪の同じ腹トロが再び入荷、みな大喜び!

ドンド焼き 1.jpg

さて、先日から北海道神宮のどんど焼きに、店の〆飾りをと向ったが、
長蛇の車の行列に割り込む隅間がありません。
何日もその調子で、とうとう地場の西野神社の15日の朝の儀式に参加。

何百年間と火と水の浄化で、今までの厄を祓い清め、これからの幸きわいを願う
気持ちはみな同じで、キッパリとサッパリと、今までの自分と決別して、
新たなる自己との遭遇をしたい今年一年ですね。

歳の初めの、まほろばの感謝デーがそのキッカケになれれば、
幸いこの上なく嬉しいことです。
残す所、あと一日、是非お越し下さいませ。
お待ち申し上げております。

ドンド焼き 2.jpg

2010年01月15日

●日本のシュヴァルツコップ

くりとう 1 第九.jpg

ベートーベンの第九といえば、フルトベングラー指揮の名盤が思い起こされる。
戦火の元でのバイロイト祝祭管&合唱団の命がけのライブ録音。
これに勝る演奏は、遂に現われないだろうと言われている。
そのソリストの一人が不世出の名ソプラノ、若き日のエリザベート・シュヴァルツコップだった。
伝説の彼女は、技量・容貌とも女性歌手の永遠の憧れであり、目標であり続けた。

くりとう 2 第九  フルト.jpg

そのシュヴァルツコップが、45年ほど前、札幌市民会館で独唱会を開いたのだ。
当時高校生だった私は、楽屋に行ってサインをしてもらったそれは夢のステージだった。
ブラームスやヴォルフ、R・シュトラウスと、その歌の記憶は生涯に残る宝物だった。
鮮烈の余り、それ以来、歌曲に興味や聴く機会が失われていた。

くりとう 3 第九 シュワryツ フルト.jpg
(Elisabeth Schwarzkopf 1915年12月9日 - 2006年8月3日)

それと言うのも、日本歌曲に何故か違和感を感じていた。
オペラやリートの歌い振りでは、日本語を表現することに無理があるように思えていた。
期待してCDを聴いても、ほとんどは一回きりで、その後は聴くに耐えなかった。
あのように大声で朗々と唄う事自体、日本の詩語や情緒とはそぐわない、
やはり、地唄や座敷唄が最も相応しいと考えていた。

くりとう 4 cd.jpg

ところが、先日ラジオから流れて来た日本歌曲に、何とも心が惹き付けられた。
その歌手は栗本尊子さん。当年90歳の美しいおばあちゃまであった(失礼)。
カイルベルト指揮のN響で第九を伊藤京子さんと歌ったとあるから昔聴いていたのだろう。
それはクラシックの歌唱法には違いないのだけれど、何度も聴きたくなる何かが籠もっていた。

戦前生まれの方の日本語の発声の違い、音色の美しさから来るものなのかとも思った。
しかしそうではなく、やはり一語一音に特別な温かい心が溢れている、としか言いようがなかった。
そこは90年の人生の歩みの、酸いも甘いも噛み締めた滲み出る生への讃歌なのだろう。

声楽家の畑中良輔氏が「栗本尊子の声は、日本音楽界の奇蹟です」と賞賛したように、
私も、その表現力の尊さ、潔さ、美しさには、音楽の領域を越えて感動してしまった。
何度も何度も聴いても、また聴きたい衝動にかられるCDは滅多にあるものではない。
それは、まさにシュヴァルツコップを髣髴とさせる大輪の花の香と輝きだった。

3年前に出された「愛と祈り〜歌いつがれる日本のうた」に、馴染みのある
「赤とんぼ、さくらさくら、中国地方の子守唄、荒城の月、からたちの花、この道」など、
作曲家・山田耕筰氏や中田喜直さんの名曲がちりばめられて、
懐かしくも清らかな、しみじみとした心持にさせてくれた。

日本の叙情の真髄を伝えて下さる
栗本尊子さんは、本当に日本音楽の宝だと思った。

くりとう 5 sute-ji.jpg

その中でも、鎌田忠良作詞、中田喜直作曲の「霧と話した」に感銘を受けた。

「霧と話した」

わたしの頬はぬれやすい
わたしの頬がさむいとき
あの日あなたがかいたのは
なんの文字だかしらないが
そこはいまでもいたむまま

そこはいまでもいたむまま
霧でぬれたちいさな頬
そこはすこしつめたいが
ふたりはいつも霧のなか
霧と一緒に恋をした

霧と一緒に恋をした
みえないあなたにだかれてた
だけどそれがかわいたとき
あなたはあなたなんかじゃない
わたしはやっぱり泣きました


一度、聴かれますように。
(伴奏の塚田佳男さんが素晴らしい。こんな心に添うピアノも聴いたことがなかった。
歌うように奏でる一音一音に思いが宿っていて、さぞ栗本さんも興に載られたに違いない。それもそう、塚田さんご自身が歌手でもあったというのだ)