2007年08月31日

●知音 その1

寺山先生 1 庵にて.jpg

BACHの無伴奏チェロ組曲の
古い愛聴盤LPを流して、
我が部屋に寺山心一翁先生をお招きした時、

「これ、誰?・・・・・・
・・・・・ジャンドロン?」

「そうです」

この一問一答で、全てが解り合えた。

全く何の説明も要らず、
寺山先生を知った瞬間だった。

ジャンドロン レコード.jpg

http://www.youtube.com/watch?v=ZR5pWFZpx2g
(ジャンドロンとメニューインのシューベルトのピアノ三重奏曲#1)

大好きなBACHの無伴奏を、衒いも誇張もなく、
実に自然の流水に身を任すように
弾き始め、弾き終わるジャンドロンの演奏は、
心がほぐれるように、浸み入るように、たゆとう。
凡そ演奏という理想を極めた人ではなかろうか。

整体の野口晴哉氏がパブロ・カザルスを治療の師と仰いだように、
カザルスの弟子モーリス・ジャンドロンは師のアクや強さをさらっと透り抜け、
しかも知性と情感の見事なバランスに
中庸の徳を偲ばせる言葉を越えた心の治癒がそこにあった。
それは、まさしく心身を緩ませるものだった。

現代では、あまり知られていない彼の演奏を
互いに好む共鳴場が最初の接点にあった。

一滴の色墨にさえ、
一弾の音味(ねあじ)にさえ、
その人を語って余りあるものがある。

これは、寺山先生が若い頃、
チェリストにして指揮者の故斎藤秀雄先生の薫陶を受けられたからではなかろううか。
小澤征爾氏やサイトウ・キネン・オーケストラの錚々たる一流メンバーを
指導した名伯楽は、心の奥底に音楽の魂を吹き込み、叩き込んだ。
その精神を継承した一人が、寺山先生だった。
既に異業の在野でありながら、
そのエスプリは脈々と引き継がれ、
さらに不治の病を得て克服し、
その音は、跳躍していった。

それが、新たな形で花開いたのだった。
超意識から新たなる医療の扉を開いた
その音は単なる楽音ではなくなった。
単なるチェロでもない。
それは神々の口移し、
天上の描写でもあるのだ。

http://mahoroba-jp.net/about_mahoroba/tayori/oriorino/oriorino4.htm
(「折々の書」・トトロ劇場の『縁生の不思議』から斉藤秀雄先生)

そこに触れた時、
千古の朋友にまみえた感が辺りを包んだ。
そんな邂逅に、地下の「無限心庵」は、
さらなる昔日を偲ばせた。

寺山先生が、地下洞「無限心庵」で、チェロの調律に入られた。
ヨーロッパの伝統楽器であるチェロは、
石組みの家や宮殿、ホールで弾かれたであろうから、
その音色や耳はその環境で発達していった。
石積の地下は、その音に感応するのか、
一つ一つの石に反響して、複雑な響き合いを醸していた。

何か、その雰囲気は、寺山先生が、
本場ヨーロッパで演奏しているような
瞑想しているような、錯覚を覚えた。

それほど、図といい、音といい、
ピタリとはまったものだった。

そして、いよいよ、2階でこれから
講演と演奏会が始まろうとしている。
先生は、このままずっと
弾いて居たかったと、
後に述懐されたのだった。

・・・・続く・・・・・

寺山先生 地下洞.jpg


2007年08月29日

●既知と未知

昨晩は皆既月蝕。
晴天に恵まれ、雲一つ無い中、
赤い月は、妖しく昇った。

皆既月食 3.jpg

この日は、又とないチャンスなので、
地下洞「無限心庵」のハート石を、
七五三塩とエリクサー水で清め、
西日と満月と朝陽に当てようとした。

丁度、陽が西山の背に隠れるきわ、
日陰が東の方へ伸びた。
古代、ストーンサークルの儀式のよう・・・・

皆既月食 2.jpg

夕刻から、赤い月が仄かに昇り始めたが、
デジカメでは、写すのは困難。

9時頃、満月に成りかけの
白い月光とハート石が
不思議な共鳴音を奏でた・・・・

皆既月食 1.jpg

現代人の時計に縛られる毎日。
彼の福岡正信翁は「時計を外せ」と説く。

日蝕・月蝕も、単なる太陽と地球と月の位置関係で割り切り、
そこに見えざる想像力を欠落させた。

古代人は、このえも言われぬ赤き月代に何を想ったか。

月の満ち欠け、潮の満ち引きに、
空を見、星々を見、山を見て
自然への畏敬の念と感受性を深めていった。

武満.jpg
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c0/Lunar_libration_with_phase2.gif/270px-Lunar_libration_with_phase2.gif
若き頃、武満徹氏の尺八と琵琶の
史上初の掛け合いの曲
「ECLIPS エクリプス (蝕)」を聴いたショック。
伝統音楽と偶然性の音楽(チャンス・オペレーション)の融合に
古典と前衛、聴いた音と聴かない音が、
新しい場で出会うときめき。

出会いのイマジネーションを
逞しくさせてくれるものこそ、
自然であり、芸術ではなかろうか。

既知と未知の遭遇が、
人生そのもののような気がする。

2007年08月27日

●大絶賛!!!

小泉先生1.jpg

「これは、すごい!!
 これは、絶品だ!!」

こう言われた時、
今にも舞い上がるようだった。

「これは、『チーズの塩辛』だ!!
ギリシアなどにある溶けるチーズに似ているが、
これは、いける。」

北海道名誉フードアドバイザーに就任された
醗酵醸造学の権威、
東京農大の小泉武夫教授に、
このように「ti-tie」が絶賛された時、
今までの苦労が
一瞬にして報われた気がした。

「全面的に、後押ししましょう!」

同席していた
道立・食品加工研究センターの長島部長と
この場を繋いで頂いた叶V生の三輪社長と
満面の笑みで歓び合った。

長島さんには、アカデミックな研究所にあっても、
素人の発想を尊重してサポートして下さったので、
何とかして、報いたかった。
道の特産品として、「ti-tie」が、
飛び立つ瞬間であったかもしれない。

小泉先生2.jpg

この場に、共働学舎の宮嶋さんが、
同席しなかったのが、唯一残念だった。
帰ってから、山梨に居る彼に電話をした。
そして、歓びを分かち合った。
すぐ、また試作に入り、
10月にミュンヘンで開かれる
ナチュラル・チーズオリンピックにエントリーすることになった。

今まで、日本や世界の何処にも
無かった製法と種類。
この独創的なチーズの誕生!
その未来に幸あれ!!
と祈るばかりだ。

先生のお言葉を戴いて
「ti-tie de shiokara」の名も悪くないと思った。

玄人好みの異常な臭みは国産品にはない。
しかし、わずか1ヶ月の熟成で、グルタミン酸が、
2,3年熟成のゴーダーチーズ並みに達しているのだ。
アミノ酸の種類も実に豊か。

ホンオ・フェ.jpg(ホンオ・フェ)

シュール・ストレンミング(スウェーデン)
ホンオ・フェ(韓国のエイ料理)などの
世界一臭い食品に比せば、
まだおとなしいかもしれない。

まだ食したことはないが、
ニュージーランド産エピキュアーチーズの
凄みある匂いに近いものがあるのだろうか。

ともあれ、酵素の大量培養と商品化についても
アドヴァイスを頂き、
道の協力も仰げそうである。

小泉先生3.jpg


これは、その日(25日・土)佐藤水産さん主催の
「2007小泉文化塾」『民族と食の知恵』の講演会
直前5分の出来事だった。

待ち時間が過ぎ、
予約の説明会を半ば諦めかけていた後すぐ、
この一瞬のあうんの呼吸で、
問答は終えた。

それで、充分だった。
それは、予想を逆転するものだった。

この日の講演は、「食の世界遺産」を語るもので、たとえば
秋田・白神山地に只一軒の老夫婦が伝承していた
「あけびのなれずし」。
山葡萄とアケビの皮で作る越冬の保存食が、
絶滅寸前の灯火で消えかかる所を、
小泉先生は救って、これを広めようとされている。

また、植村直己さんが北極点に到達出来たのは、
イヌイットの醗酵保存食「キビヤック」の所為であった。
内臓を取ったアザラシの皮と
夥しい蚊を食べた海燕を詰めて
土中に埋めて3年寝かせた、
その凄まじい異臭の液はビタミン・ミネラルの宝庫であった。

キビヤック.jpg(キビヤック)


このように世界各地には、
長い歴史の中で発明され、伝承された
数々の保存発酵食品がある。

本当に意図せず発見された
「ti-tie de shiokara」の異臭の後の舌の上には、
ヨーロッパでも感応テストの項目にある
「umami うまみ」、つまり
日本人好みのグルタミン酸やイノシン酸が
色濃く存在していた。

それを形成するメカニズムは
未だ謎だが、
食通を虜にする
神の不可思議のわざが
顕われたような気がした。

これも、
気持ちを一度ならず二三度手放した
諦めの熟成が
効を奏したのかもしれない。

これからも、幾度も
手放す勇気が要るような気がする。


2007年08月24日

●無目標

盆休み開け、寝耳に水の
あの石屋製菓さんの事件。
一朝にしてどんでん返しの顛末に、
世の栄枯盛衰・
諸行無常を見た。

元銀行員で菓子業界に詳しいM氏が来店され、
何故、菓子業で、次々と
大きな工場や建物が建てられるか、教えて下さった。
「それは、原価率が極めて低く、粗利が高いためです。
凡そ、2割の原価、8割の利益。
それと、直接販売と一切の値引きなしで、
兎に角、儲かるから、節税対策で、
箱物が建てられる」
と言われて、ビックリ。

同じ食品業界でも、
利益の数字が逆転している
私共とは縁遠い世界で、
その違いに愕然とする。

今夏の暑い日差しに照らされて
農作業を黙々と、すれどもすれども
汗に比して、利はなかなか出ず。
・・・・の夏は、おろおろ歩く・・・ばかりだ。

えごま 染谷.jpg

でも、それぞれの道に、
それぞれの利がある。

私達の前には物質の利は転がっていないが、
無形の利が山のように聳えている気がする。

M氏の後、東京から日専連の関係雑誌の取材を受けた。
しばらく、自分が話をしていて、
まほろばが他と違う点に、
改めて気付いた。

その一つが、商売として始めなかったこと。
その二つが、大きくなろうとしなかったこと。
その三つが、目標を持たなかったこと。
その他、まだまだあるが、この三つをかいつまんで。

エゴマ.jpg


その一、
私達夫婦は長い事、自然食に慣れ親しんでいたので、
札幌で生活を始めた時、その食べ物探しに苦労した。
そこで、やっとの事で手に入れた物を、
近所の人にも、配って上げたら、
大層喜ばれて、
「悪いから、お金取って。
これから余分に買って来て、私達にも売って」

実は、これが、まほろばのスタートだった。
原始的な物々交換の流れから、
分かち合うことが、原点だった。

右も左も分からないド素人が、
しかも奇想天外、アパートの一室で
店開きをしたのだった。
(誰が来るのか!?)
しかし、不思議とはやって、
表に店を出さざるを得なくなった。

その二、
商売も企業も、拡大、拡大になると、戦争のようになる。
道外や国外ともなると、そこで商いしている人々もいる。
あまり、人の分まで侵さず、
自分の足元だけ、足るを知る。

ほどほどの所で、小さく構える。
大きいことを望まない。
市内や西区で、小さく完結するのがいい。
それを、理想としている。

「小国寡民」の老子はいいね。
老子は、女性と子供の味方。
弱き者の味方。
まほろばは、圧倒的に女性軍に囲まれている。

「少年よ大志を抱け」と言われ続けて来たが、
案外、小志もいいもんだよ。
まほろばは小さいけど、弱いけど、
皆が幸せなのが一番。

のんびり行くと、
みんなも穏やかになって、優しくなる。
それがいいんだなー。

その三、
企業は常に右肩上がりに上がらねばならぬ使命がある。
故松下翁は、儲けぬ会社は罪悪とまで、言われた。
今年の売り上げ目標!0000円!!
オオオーー・・!
と、腕を振り上げて、
奇声を上げる。

これを、23年間、一度もしたことがない。
会計事務所から決算の時は、
「来年度はこれこれこういう売り上げが出なければ、いけませんよ!」
「はーーい、分かりました。
よーーーし、来年度はがんばるぞーーーー」
とは、その場限り。
翌日には、ケロリと忘れている。

私の大弱点は、飽き易い、忘れ易い。
子供の頃から、ほとんど計画は三日坊主。
よく、今までやってきたと思う。
それは、家内とスタッフのお蔭以外の何物でもない。

目標をもつと、
捕らわれて疲れるから、初めから持たない。
安保先生じゃないけど、構えると顆粒球が増える。

ノホホンとその日暮しで結構。
気楽に、仕事を楽しむ。
でも、その割には働き過ぎているけど・・・・
その日その日を最善に生きるだけで、
明日の道は開けると信じている。

だから、明日を煩わない。
気楽に行こう!!
目標なし!!
目的なし!!

老子.gif(太上老君 牛と老子)

何とも、企業の鑑の反対で、
大社長から、大ブーイングが起こりそうだなー

その記者さんが、驚いて、
「こんな話聞くの初めてだ!」

ほとんど、教訓の反対だもなーー

私は、今まで落ち零れの人生で来て、
いい加減な生き方で、
今みんなに、こうして拾い上げられている。

こんな幸せな人生。
本当に、明日死んでも良いと思っている・・・・

えごま畑.jpg


しかし、目標がないって言ったら、
嘘になるかもしれない。

宇宙と一体になっていたい、
という大野望があるから、
やっぱり、一番欲深いのかもしれない・・・・・・・・

2007年08月20日

●安保先生と真幌場

安保先生と.jpg
昨日、札幌の「idea works」さんの主催で、
安保徹先生の講演会とウオン・ウインツアンさんのピアノライブが行われた。

首藤尚丈さんとは青森高校の同級生だった安保さんは
今でも、盃を交わして友好を温める。
今回は私を紹介して、
「春日八郎の『別れの一本杉』を安保に歌わせたい」
という一念で(?!)首藤さんはやって来られた。

会終了後、会場で対面するや、すかさず安保先生。

「『まほろば』はだね、
「ま」は真で本当に、
「ほろ」はほろう、払うの意,
ほこらや幌などの中が空洞で、空、空間の意味、
「ば」は場で、
まこと何もない場所で、
地上で一番良い所という意味になるんだ」

「わー、すごい!!
真空場だ!
真空妙有で、無から有を生み出すところなんだ。
納得!
私が目指した所を、初めから
無意識で名付けていたんだ」

そして、まだ立ち講義が続く。

「札幌はだね、
「札」はサー、としているという広い意味。また
ササツと、とか早乙女とかの「さ」で早いなどの時間を表す。
「幌」は同じ空間。
つまり、時間・空間のすばらしい意味なんだ。
発音した音が、そのまま意味になっている。
昔アイヌの人が北海道の中で、ここを中心に選んで付けたんだね」

「へー、そういう意味なんだ。
なるほど!
何故、札幌に、今住んでいるかが解った。
素晴らしい所に住まわせてもらっているんだ!
感謝!感謝!!」

挨拶もそこそこに、
私の聞きたい話の核心をつく切り出しに、
先生の直観力の鋭さを思った。

青森弁の心地よい響きに
安心感を覚え、
何故か信頼感を寄せるのは、
その飾らない人柄の良さと
温かい人情味に、
皆さん惹き付けられるためだろう。

「免疫革命」で
交感神経と副交感神経、
顆粒球とリンパ球。
このキーワードは日本中を席捲した。

病気の原因は、現代では
長時間労働とストレスだという。

三十数億年の人類発生以来の
DNAの中には、
これらの情報はなかったもので、
顆粒球が多く出て、
それで発症するらしい。

私などは
普通の労働時間の
倍近く働いているので、
何時病気になってもおかしくない。

病気は、生活の異常を報せる
シグナルだという。
今日で五十云歳になった私は、
次のステージに移らねばならないかもしれない。

安保先生は自信を持って、
「病気は治るもの!!」
と断言される。

だから、「予防医学」という言葉さえ嫌いという。
病気にならないように、ならないように
準備する心、構える体自体に顆粒球が働く。

病気はなったら、なったらで、
自然に受け入れて、
その時対処すればよい。

最後に思ったことは、
これは理屈であって、理屈でない
理解が必要なことだ。

それは、一言で言えば、
「抜ける」
「落ちる」
ということではなかろうか。

当夜、先生は参加者の中の一医師を身るなり、
「あんたは、まだ分かってないなー、
もう少しかかるなー」
と、明け透けにおっしゃる。

それは、頭に一杯詰まった知識や経験を
ストーンと「落ちる」「抜ける」ことに
時間がかかるということなのだろう。

免疫力とは、
難しいことではないらしい。
それは、
馬鹿になる、アホになること。
それが、
安保(あほ)なんだそうです。

アッケラカーンと
何時も、口を開けて
空を眺めていたいものだ。

その夜、晩くまで
先生と皆で飲み、そして歌い、踊り、
生まれて初めての
可笑しさと愉しさと笑いを
一杯味わった。

これで、十年分の
免疫力がUPしたのではなかろうか。

最後に、
まほろばでも
講演してくださることを
約束して、
お別れした。

2007年08月14日

●外形にまた意あり

古ワイン瓶.jpg

先日、酒屋が持ってきた一本のワイン。
その何とも言えない古めかしい瓶の佇まいに、参ってしまった。
何年かぶりに入荷した「シャトーヌフ・デュ・パプ」のAOC。

複数ヴィンテージから取れる果実味豊かな若いワインと
まろやかな熟成ワインをブレンドして、
味わいの幅が複雑で広い。

ワインの瓶熟成が始まった当時のスタイルをそのまま復刻。
14世紀から伝わるこの形は「法王の小瓶」と呼ばれていた。

ゆがみねじれた瓶型、
埃がかかったままのくすんだ表面や
剥がれ落ちそうなラベル、
豪快で明瞭な刻印、
B・A社に唯一使用が認められている。

古くして、何とも斬新なアイデイア。
中国の写しという模倣の陶磁器にも価値があるように、
その風格と手作り感と歴史の時を感じさせる演出。

何事も、中身が第一であることには、変わりないが、
中身の真は、また外形を伴って、さらに訴えかけて来る。

オリジナル商品を作って、
パッケージの重要性を知らされる。

しかし、
デザインのひらめきとセンスが、
内を引き立てるものは、
その商品の力が導き出すものに違いない。

息の長い物は、
やはり内面も外面も
イイ。


ヂュ・パフ.jpg

2007年08月10日

●松村禎三氏の死から

国立劇場.jpg

18、9歳の頃だったか。
皇居横の国立劇場で、薬師寺の声明公演会があり、聴かせて戴いた。
その帰り、橋本凝胤長老に挨拶のため、楽屋を訪ねた。

声明会.jpg

その時、「題名のない音楽会」で有名な
作曲家の黛敏郎さんも、同席されていた。
長老が黛さんに、私の事を紹介してくださり、
「この子も、音楽をしたいから、面倒見てやってほしい」
と言って下さった。

黛敏郎さん.jpg

黛さんと薬師寺の関係は、
氏が「涅槃交響曲」を作曲する時に始まる。

全国のお寺の梵鐘の音を収集して、
NHK電子音楽スタジオで音響スペクトル解析し各楽器のパートに配分、
また声明も採譜されて、男声合唱として合体させ、
荘厳な極楽浄土の様と東洋的瞑想風景を
西洋のシンフォニーの形で表出されたのだ。

「カンパノロジー・エフェクト」と自ら呼んだこのアイデアは、
現在フランスの現代音楽シーンを約20年も先取りするものだった。
今もって、世界の現代音楽の古典として燦然と輝いている。

涅槃交響曲.jpg


その後、黛さんに連絡して、お宅にお邪魔して話を伺った。
奥様は女優の桂木洋子さん、ご子息は演出家のりんたろう君でまだ小学生だった。

作曲の部屋に案内されたが、フランス製アップライトのピアノがあり、
(武満さんに贈ったピアノと同じだったかな?)
大きな譜面台に、その時作曲中の書きかけの楽譜があった。
あの日、若い私はときめく胸の高鳴りをどう抑えたのだろうか。

その後、赤坂だったか、記憶がハッキリしないのだが、
専用のスタジオに案内して下さった。
そこは、ミュージック・コンクレートや電子音楽を作る音響機械が網羅されていた。

黛さんは、フランス帰りの気鋭の作曲家として、
今日のコンピューター音楽の魁でもあった。

松村禎三さん.jpg

そのスタジオに、作曲家の松村禎三さんも、
電子音楽の作曲に没頭していた。

私も高校時代、札幌のSTVのスタジオを借りて
徹夜して音楽を作ったことを思い出していた。
松村さんは、大阪万博のための依頼曲らしい。
それを聞かせて戴いた。

松村さんが、私を見て、黛さんに
「あなた、弟子をとったの?」
と聞いた。
(そんな事あるはずはない。)

その後、どのようにして帰ったのか、記憶がないのだが、
松村さんと黛さんと一緒に居合わせたシーンが、突然甦った。

それは、先日朝刊を見て、松村さんの死を知ったからだ。

その楽曲は、一つのテーマを執拗に追い求めてゆく
師の伊福部昭さん譲りの粘性のあるもので、
その集中性は魂のカタルシスを伴うものだった。

それは多分に彼が、
俳句を吟じる一面の資質によるものではなかろうか。

松村禎三さん 2.jpg

そんなこんなも、青春の1ページを飾るもので、
その当時、前衛音楽の志を払拭するのに、
哀しいまでの辛い思い出があって、
それが、今となっては滋養になったのかもしれない。

その頃、師と仰ぐ多くの出会いがあったが、
今、そのほとんどが鬼籍に入ってしまわれた。
そして、私が、その歳になってしまっていることに、
今頃気付きはじめた。

人生は、短い。
「人は、中々変われないなー」、
と歎ずるも、
「こんなもんで、いいんでないかい」、
と諦めている自分も居る。

それが、
自分に「老い」を受け入れる
自然の音声(おんじょう)でもあった。