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2007年08月29日

●既知と未知

昨晩は皆既月蝕。
晴天に恵まれ、雲一つ無い中、
赤い月は、妖しく昇った。

皆既月食 3.jpg

この日は、又とないチャンスなので、
地下洞「無限心庵」のハート石を、
七五三塩とエリクサー水で清め、
西日と満月と朝陽に当てようとした。

丁度、陽が西山の背に隠れるきわ、
日陰が東の方へ伸びた。
古代、ストーンサークルの儀式のよう・・・・

皆既月食 2.jpg

夕刻から、赤い月が仄かに昇り始めたが、
デジカメでは、写すのは困難。

9時頃、満月に成りかけの
白い月光とハート石が
不思議な共鳴音を奏でた・・・・

皆既月食 1.jpg

現代人の時計に縛られる毎日。
彼の福岡正信翁は「時計を外せ」と説く。

日蝕・月蝕も、単なる太陽と地球と月の位置関係で割り切り、
そこに見えざる想像力を欠落させた。

古代人は、このえも言われぬ赤き月代に何を想ったか。

月の満ち欠け、潮の満ち引きに、
空を見、星々を見、山を見て
自然への畏敬の念と感受性を深めていった。

武満.jpg
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c0/Lunar_libration_with_phase2.gif/270px-Lunar_libration_with_phase2.gif
若き頃、武満徹氏の尺八と琵琶の
史上初の掛け合いの曲
「ECLIPS エクリプス (蝕)」を聴いたショック。
伝統音楽と偶然性の音楽(チャンス・オペレーション)の融合に
古典と前衛、聴いた音と聴かない音が、
新しい場で出会うときめき。

出会いのイマジネーションを
逞しくさせてくれるものこそ、
自然であり、芸術ではなかろうか。

既知と未知の遭遇が、
人生そのもののような気がする。

コメント

札幌では素晴らしい宇宙ショーだったのでしょうね。
その一端をUPして頂き感謝です。日付は2005年となっていましたが、時間を短くして天体ショーを体験させて頂いた気がしました。ありがとうございました。

なんと、なんと感激的なブログ
もう?0年前になるだろ
武満の衝撃的な音楽が呪縛霊のように私の人生に入り込んできたのは・・・・
モーツァルトやベートーベンを心で聞き、
バッハを左脳で聞き
我が母の音楽教育は順調に進んでいたのに・・・・
武満の音楽に魂を奪われてしまった私はモノオモウ乙女ではなく
モノオモウ変人に・・・・・

封印しても封印しても
我が闇の中で眠る獅子を照らしにやってくる音
そして、
私の松果体のバランスを崩す
皆既月食を見ながら気がついた。

この感覚は武満の音にはまった時と同じだと

シュタイナーは『星と人間』の中で

太陽は人間を
一個の人格・固体として
しっかり地上に据える

月は人間を
地上における進化の中で
魔法にかける

と書いているがまさにまさにである。
有機生命体に大きな影響を与えている月
満月から新月
新月から満月
と短時間に変化する皆既月食は武満の音楽の世界なのかもしれない。

同じく狂った人がいたのですね。
私は15,6歳で彼と出会い、すっかり人生が狂いましたね。
そういう意味では、被害者です。(笑い)

その音楽によって、普通の友とは、全く異なる孤独の道を歩むようになり、
とことん苦しみましたね。
その呪縛から離れるのに、どれほど精力を費やしたか。

その反動で、超古典をやり出しました。
その方向性も様々でしたけど、
結局は、古典も前衛も両極は、同じ性質を持っているということです。
まさに陰陽論です。

青春に両極を渡り歩いて、今があります。
そういう意味では、彼はまさしく人生の師でした。
大江健三郎も武満を、「自分のパトロン(師)である」と、敬仰していましたね、

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