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2007年08月08日

●流行歌

お酒はぬるめの燗がいい
肴はあぶった イカでいい
女は無口なひとがいい
灯(あか)りはぼんやり 灯(とも)りゃいい
しみじみ飲めば しみじみと・・・・

阿久悠.jpg
(「『企み』の仕事術」 阿久 悠【著】KKロングセラーズ)

あの「舟唄」の歌詞を
改めてみると
実に巧いな・・・と感心する。

飲む表現にも、
しみじみと・・・、
ほろほろと・・・、
ポツポツと・・・、とある。

ほろほろといえば、古歌
「ほろほろと 鳴く山鳥の 声きけば
 父かとぞ懐(おも)う 母かとぞ思う」
を思い起こす。

行基菩薩.gif

虫のさえずり、鳥の声声、波と潮騒、
風の色、雲の流れを見るにつけ
亡き父・母を思い出して、
胸が潰えるのだ。

当世、大流行の「千の風になって」の一節
『朝は鳥になってあなたを目覚めさせる』は、
既に、奈良時代 行基菩薩が詠っていた。

この「ほろほろ・・・・」の四字を聞くだけで、
私は、何故か心が哀しく、切なくなる。

この日本人なら誰もがもつ
哀感を、
短い言葉の中に織り込んで行った
阿久悠さん。

あのいかつい風貌から
このような抒情歌が生まれる。

そして、さらに不思議、
「・・・・近頃少し 地球の男に あきたところよ・・・・」
と、「UFO」に綴る。

この落差といおうか、
このすっ飛び方が、
非常に愉快なのだ。

一方は情緒纏綿として
一方はメタリックに切り口が鋭い。

この「おもちゃ箱」をひっくり返したという
雑多な脳内図書館が面白くてたまらない。

芭蕉翁.jpg

芭蕉は
「わび」「さび」「ほそみ」「しをり」「かるみ」
と境地が深くなるにつれ、
「古池や・・・」のように
題材や表現が卑近なものとなった。

その時代に、流行る言葉や風俗を
巧みに取り入れて、
しかも品格を失わずに
深みを増した。

それを「作のうちに作有て、虚の中に実をふくめり」とか、
「塵中に風雅あり」と言って、
時代流行に即応することの大切さも説いた。

変らざる真理の不易と、
変るべき流行は、
陰陽相まって、一つなのだ。

それを捉えて、
見事に歌謡曲に描いた
阿久悠氏の死を惜しむ。

商売道も、また同じで、
変らざる物、変る物
交々として売りまた買う。

筋のある物、
軟弱な物、
干からびたもの、
ピッチピチなもの、
残るもの、
消え行くもの。

その隣り合わせが面白く、
その前後が、
人生そのもの、
世の中そのものなのだ。

早書きのの奥に、遅書きの鍛錬を隠し、
甚重の格式に、飄逸の平明さが顕われねばならない。

何れにせよ、
その時代を生き切った表現は、
古典となり、
古典を真似るだけのものは、
次の時代には消える。

古くして新しく、
新しくして古い。

分かったようで分からない、
この言いように、
実は、
生き生きと生きる
人生のヒントが
あるのかもしれない。

全ての
古典歌謡は
その時代の
流行歌であった。

コメント

その時代を生き切った表現は、
古典となり、
古典を真似るだけのものは、
次の時代には消える。
確かにそうだと思います。

しかしそれプラス、次の時代は前の時代より必ず見えざる神の、全人類が一つに調和していく方向を示唆されながら・・・。次へと動いていくのではないかと、もっと大きな流れの歴史を見ると、そう思えてきますが・・・。そう思うのは私だけでしょうか。

阿久 悠さんは本当に素晴らしい作詞家さんだったと私も思います。

昨日、古いお客様の息子さんが、来店。
今はやりの糖鎖食品「燕の巣」を販売されている。
その加工品を持参された。
その中にキャンデーがあった。
そこに「香遊生活」の竜馬君も来店。
地元で蜂蜜を飼っているとのこと。
ハーブ蜂蜜である。
それではと、「ひふみ糖」を混ぜて、
まほろばオリジナルのキャンデイーを作って販売することに即決。
縁ですね。名前も決まりました。
味と効能と名は、後のお楽しみ。
飴という不易、燕という流行。
今回のテーマにピッタリでした。

飴の販売楽しみです。
母は年をとってから飴をなめすぎて?かな
虫歯になってしまい、いまだに歯医者に通っています。体に優しいまほろばオリジナルのキャンディーなら安心して食べてもらうことができます。嬉しいな!

発売が始まったらぜひブログで教えて下さいね。

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