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2007年08月14日

●外形にまた意あり

古ワイン瓶.jpg

先日、酒屋が持ってきた一本のワイン。
その何とも言えない古めかしい瓶の佇まいに、参ってしまった。
何年かぶりに入荷した「シャトーヌフ・デュ・パプ」のAOC。

複数ヴィンテージから取れる果実味豊かな若いワインと
まろやかな熟成ワインをブレンドして、
味わいの幅が複雑で広い。

ワインの瓶熟成が始まった当時のスタイルをそのまま復刻。
14世紀から伝わるこの形は「法王の小瓶」と呼ばれていた。

ゆがみねじれた瓶型、
埃がかかったままのくすんだ表面や
剥がれ落ちそうなラベル、
豪快で明瞭な刻印、
B・A社に唯一使用が認められている。

古くして、何とも斬新なアイデイア。
中国の写しという模倣の陶磁器にも価値があるように、
その風格と手作り感と歴史の時を感じさせる演出。

何事も、中身が第一であることには、変わりないが、
中身の真は、また外形を伴って、さらに訴えかけて来る。

オリジナル商品を作って、
パッケージの重要性を知らされる。

しかし、
デザインのひらめきとセンスが、
内を引き立てるものは、
その商品の力が導き出すものに違いない。

息の長い物は、
やはり内面も外面も
イイ。


ヂュ・パフ.jpg

コメント

私は飲めないので、感想を言える立場ではないかもしれませんが・・・。
このボトル本当に素敵です。見ただけで、味わい深くておいしそうに見えます。
飲めない人でも一度飲んで見たいなと思わせてくれます。

「折々の書」の中で、(後編)
混迷と絶望の中で無明の闇を深めているのは、人間の作り出した規律や知識によって縛られた呻きのようにさえ思える。(同感です)

実は、我々は五感という肉体に即した感覚器官で世界を認識しても、本当の実相を見ていないのかもしれない、という事実。
この世は、転変として変わる苦しみの世界と認識しているかもしれない。
天国は死後にあって、或いは、死ねばそれまでだと思っているのかもしれない。

しかし、案外、天国は死後にも、何処にもなく、実はここにあるのかもしれない。

(私は、自分が幸せで感謝している思いを出していれば天国になりうるのではなかろうかと思います。) 

地が動くのも、天が動くのも、いずれも当たらず、実は自分が動いているのかもしれない。
自分が動いているが故に、天も動き、地も動くのかもしれない。

(自分がいるからこの世があるのだと思います。)

さらに、終には、何にも動いていないのかもしれない………………。

昔、薬師寺の長老が天道説だと宮下さんから聞いて、驚いたことを思い出しました。

幸せ感を自分から発信してこの世の素晴らしさを誠実に再現されているのが「まほろば」さんだと認識しています。

これからも人を幸せにする発信源でどうぞあり続けて下さいね。

 

 



 



バロックそのもの
この歪みは揺らぎ。
二元性の終幕を迎えようとしているこの時に
何と、グットなタイミングなんでしょう。
この、歪みを美しいと感じる感覚こそが、
新しきなるもの
古きなるもの

膳なるもの
悪しきなるもの
その二元性を統合したところにある揺らぎのような気がする。

・・・であるような・・・でないような
私は、この感覚がとても好きだ。
ニルバーナってこんなかな???


追伸
『外形にまた意あり』
(外宇宙と内在宇宙は互いに共鳴し合う)
という錬金術の極意を証明したようなワイン。
現代版錬金術師(?)の率いる
まほろばに、このワインが届いたのは意味深いね。

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