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2011年08月28日

●昭和マクロビオティック

「子育ち文化研究所」主催の澤田季里さん。
お付き合いして、20年ほどになるでしょうか。
マクロの先達・桜澤理論から、時代と環境に合った次なる
マクロの在り方を模索し提唱されておられます。
その序文ともいえる試論を許可を得て、掲載させてもらいます。

http://www.e-kiri.net/

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 昭和マクロビオティック('11.8.17)          
               澤田季里

 桜沢如一氏の活躍された時代は、男性原理の時代でした。そして、自然界は化学物質に汚染されていなかったので、食材になる農産物、海産物、野山の野生の食材などには、生命力が漲っていました。

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 玄米一つとってみても、今の玄米はたとえ有機栽培で作られたものでも、大気汚染、工場からの排水汚染、ベトナム戦争で撒かれた米軍の枯葉剤の何百倍かの大量農薬による汚染のために、200分の1くらいになってしまったと、もう何年も前に言われてきました。

 食を正せばすべて解決する時代は既に終わってしまったことを、しっかり認識することが必要です。

 かつて、数年間、日本CI協会の研修生時代を過ごした三十数年前には、桜沢先生の食箋は有効でした。しかし、昭和から平成に時代は進み、マクロビオティックの情報が社会に市民権を得てきたところで、伝え方が変化してきました。

 その兆しは、『DAYS JAPANN』誌上で久司先生の記事が掲載されてから始まったのでした。数ページにわたって書かれた記事には、和食の献立に外国の旗がお子様ランチのように全食材に立てられていました。

 いつの間にか日本国土は、化学物質で汚染されていたのです。最近核物質の汚染で、世界中が日本の罪を裁こうとしていますが、核爆弾を所有している先進大国の行った大仕掛けの核爆弾実験や、チェルノブイリ、スリーマイル島の事故による核物質の汚染で、全世界は既に汚染されていたわけですから、今更日本だけが責めを負い、各国が隠し続けた汚染の拡大、そこから広がる風評、核汚染難民の出現に驚いておたおたしていてはいけないのではないでしょうか?

 地球上の人類の人口はすでに70億人を超えています。最近見たNHKの「一万年の叙事詩」で、紹介された人類の歴史を世界遺産をめぐっていきながら、字の無い時代から、字を発明して情報が多くの人に伝わる術として、使われていく過程で、徐々に国家が生まれ弱者強食の時代ができあがり、肌が白い髪の毛が金髪の人種がトップに躍り出て全世界を金儲けの時代へと作り変えてきた形跡が、遺跡を通して語られていました。

 日本も先進国の仲間入りをしてもう半世紀近くの時間が経過しましたが、戦後の日本を作り変えた一握の人々に今も翻弄されていることを自覚していくことが、末来を見据えるために大切なことと言えます。

ウイキペディア情報

宇野正美

太田竜

マクロビオティック

 桜沢先生の教えの中には、「宇宙の秩序」はじめ「無双原理・易」があります。中国の智慧をあの時代に合わせて伝えてこられた偉業は、決して社会の陽の当たる場には迎えられていません。

 しかし、核爆弾投下の長崎広島で、体外体内を汚染された被爆者の生きながらえた姿から、和食の食材が持つ排毒効果や、玄米の威力に再確認をしているところでは、ないでしょうか?

 今は昔となってしまった「昭和マクロビオティック」の伝え方は、ほとんどがボランティアで伝えられていました。今は「マクロビオティック屋」さんとでも言おうか、付加価値をつけてはお金儲けの手段にされているのが、大きな違いかもしれません。終戦まで牢獄に繋がれていた桜沢先生の意志は、どこにあったのか?問うて見るのも大事な作業ではないでしょうか?

 千年に一度の大災害により、戦後のあのひどい情況が日本の一部に出現して、まさに災害難民と化してしまった東北のみなさんの姿を見て、若者が自分たちの行く末に対して大きな変化を遂げているのも事実です。

 「時代に学べ」「時代を読め」と言われた桜沢先生の弟子達は、自分で考え、自分の言葉で表現するために膨大な情報と出会って生きる術を身につけるために、「1ヶ月百冊読め」の指令を必死で実践されたようです。桜沢先生の奥様のリマ先生から直接うかがう機会がありましたが、赤ちゃんが生まれて大変な時期でも、赤線を引いた部分の抜書きを里真先生がされていたと言われました。

 少食で睡眠時間をナポレオン並にして、産業革命以来日進月歩する科学情報にも目を通
しておられたようです。

 核爆発による超陰性のエネルギーを塩気を上手に取り入れている和食の智慧の宝庫である梅干、味噌、醤油の陽性発酵食品などで徐々に排毒していく方法を取り入れて言った事実はとても大事なことです。

 四半世紀前から急に学校教育の中に「ゆとり教育」なるものが実践されて、小中学校の義務教育の内容が一気に削られ、土曜日を休みにして思春期を迎えた小学校高学年から中学生が繁華街に出入りし、親達は得体の知れない情報の嵐の中で、翻弄され溺れていく我が子の姿を見ることになっていきました。

 頭が柔らかいときは、脳細胞には情報を入れる空き部屋が一杯ですから、情報をスポンジのように吸収できます。この時期をはずしては漢字やカナ文字の使いわけや、古文から現代文までの流れを学んで人々の生きてきた「来し方行く末」を知る機会を失う羽目になるのです。

 どこかで何かが蠢いています。自分を確立するには「文武両道」をしっかり身につけていく若い時期に、ゆとりなどと爺臭いことを言っていてはいけません。必死で学ぶことを身につけて欲しいと切に願っています。

 優れた芸術家、小説家、彫刻家、絵描き、書道家などのみなさんは、自己の中にある可能性を大事にするために、集中力を身につけていく作業の手を抜かなかったので、辿り着いたものと思います。岡本太郎の生涯を紐解いても、好景気の大阪万博のシンボル「太陽の塔」を作成するまでの苦悩が伝わってきます。

 日本人の一番大切にするアイデンテティーを「縄文時代」に置き太陽信仰をデフォルメされたのではないのでしょうか?16世紀に日本に来たザビエル神父が何をするために来日されたのか?何故300年にわたって徳川家康は鎖国戦略を世界に向けて発信したのか?学校で学ぶ世界史や日本史ではない学び方が必要な時代になっていると言えます。

 こころの問題がクローズアップされてきた現代の精神分析や、医療の変化は、1939年生まれの自分が幼かった時代には、医師だった父親の医療は「ドイツ医療」であって今の様な「アメリカ医療」ではなかったことが思い出されます。各民族の持っている自然医療を「民間医療」として見下げている今とは異なっていたのでした。

 現代医薬によって漢方薬は退けられ、鍼灸、整体、マッサージなどの施療は主流からはずされていきました。長い間に変化がおきていますから、市民生活の中では、いつの間にか背番号制になって管理され、情報開示は厄介な問題になってしまったようです。

 全て便利は不便です。グローバリゼーションとやらで、物事すべて大仕掛けになっていく情報化時代の落とし穴にはまらないように、自己をしっかり確立していくことを第一にして、インターネット時代を生き抜く術を身につけていくことが大事になっています。

 「地球が病んでる」いや人類が病んでいるのかもしれません。欧米化されてきた日本社会が、日本民族のアイデンテティーを独自に確立していくためには、東洋の誇る陰陽五行説にのっとって成り立っていた社会秩序のあり方のいいところを取り入れていくことが、大事なことではなでしょうか?

 決して男尊女卑の時代を公認するためではなく、男女の違いを確認しながら、産みだされるいのちの個々の特徴を認め合いながら、いのちの大事さを学んでいくことが優先されていいと思います。

 昭和マクロビオティックの社会では、家族や社会の秩序はまだ崩されていませんでした。家庭はしっかり女性の手で守られ、家刀自(いえとじ)と呼ばれて親族の日常生活全般を仕切っていた長老格の女性が居ました。東北の豪農や庄屋の大奥様がそのいい例です。士農工商の階級があったのであながち不満が無かったとは言えませんが。

 戦後「自由、平等、博愛」をスローガンに女性解放と言われて家庭から主婦達が、工業化社会の働き手として家庭から出てしまってからは、よき風習はすべて「古い風習は悪である」との情報操作で消されてしまったようです。丁度我が家でも母との激論のテーマは「働く婦人を支えるために保育者として働くこと」でした。

 母親は「自分の子どもは三歳になるまでは、他人の手に渡してはならない」と言う意見でした。母乳哺育をしながら、働く婦人でもあった母は、看護婦として父の医療活動を支えながら、育児をし、家庭の中を仕切っていたのでした。明治生まれの両親が大変動する社会の変貌振りに振り回されがらも、我が子に対する方針は曲げなかったことは、今も感謝したい事実です。

 どんなに科学が進んでも、いのちの進化は億年単位で見ていかないと判断を誤ってしまいます。あくまで人類は哺乳類なので、母乳で育てていく必要があります。そして、肌感覚で抱きしめながら、3歳までの三つ子の魂(自我)を確立していくことが大事になります。

三木成夫

 こころの安定は、この時期にどのように扱われて育ったかにかかっていると言えるようです。世の中は決して平等でもない社会です。社会の荒波にもまれた時に、こころの安定を支えてくれるのはやはり母親との絆であり、親族の絆であり、地域社会の絆が網の目のように「目に見えないいのちのネット」を形成しているからでしょう。

 新しいマクロビオティックの開発は徐々に進んでいます。こころの問題に早くから情報発信しておられた上野圭一著「わたしが治る12の力」学陽書房に提言しています。アンドルー・ワイル博士との交流から「癒し」について語っています。

上野圭一

 川越市の医師、帯津良一氏も「こころ70〜80%、食事は20%くらい」と書いていす。

帯津良一

 奇跡のように死の谷から蘇ってくるたくさんのいのちは、信頼の置ける親族のお手当てが一番良い療法であることも実感できます。

 特に高レベルの情報発信をしておられるのが、北海道札幌の「まほろば」店主、宮下周平氏のブログです。地方都市である北海道で、地方独自の農法や発酵食品の開発にこころを注いでいます。いのち全般の問題を解決できるような独立都市を作り上げていくものとまほろばだよりを読ませていただいて感じています。

宮下周平・洋子

 様々な人々の発信する情報を取捨選択して日常生活に生かしていくためには、個々の持っている「判断力」によって情報を試し、自分の身体とこころの休まる状態を感じ取っていくことが、望まれます。

 快食、快眠、快便、快汗を維持していくために、自分自身を知ることが要求されてきます。歳を重ねて70代ともなると、さまざまな老化現象に驚いてしまいますが、アンチではなく、ウイズ・エイジング、こころを開いて現状を受け入れていく姿勢が求められています。

 人生の最終コース第四コーナーを回ったと感じるか、まだ第三コーナーに居るか、個々の持つ遺伝子レベルによって個体差はあるでしょう。

 生まれるときに頂いた大切ないのちの魂のために、今後は多くを望まないシンプルな生活スタイルにしていこうかと考えて居るこの頃です。

 

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