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2009年06月15日

●遺書「いろは革命歌」by福岡正信

いろは歌 全景.jpg

この度、故福岡正信先生の遺書・遺言とも言うべき「かるた」が完成されました。
病の床に在っても、幾度も幾度も推敲に推敲を重ね、
召される数日前に漸くとして成ったものです。

ここに携わる方々の労苦も計り知れないものがあります。
まほろばと関わりのある益田明美さん、矢島三枝子さん、
序文をお書きになった将積睦さん達、そして
福岡家の皆様のこれまでのご努力に感謝いたします。

樋浦先生.jpg
(1950年、酪農学園大学 中央に樋浦誠学長)

中でも、将積さんの序文を拝見して、福岡先生の恩師樋浦教授が、
北海道との関わりが深く、酪農学園大学の初代学長で在ったことを知り驚きました。
そこの卒業生三人の若い力が今、まほろばで次代を開こうとしているのも、
何か深い因縁を感じるものです。

その全文を掲載して、概略とはいえ、先生の全貌を観て、
是非ともこの「いろは歌」から、人生をどう生きるかの智恵を読み取って下されば、
福岡先生も天国にて、きっとニッコと笑ってくださることでしょう。
永く子孫に遺す家宝として、お求め戴ければ幸いです。


福岡正信 いろは歌 3.jpg
(福岡正信「いろは革命歌」 『IROHA REVOLUTIONARY VERSES』¥3,150)

『いろは革命歌』発刊によせて

 福岡正信の集大成『いろは革命歌』発刊に当たり、
福岡さんの軌跡を振り返ってみよう。

 福岡さんは、元号が明治から大正に変わった半年後の大正二年(1922年)2月
2日、愛媛県伊豫郡南山崎村(現在の伊予市)に生まれた。
お父さんの亀一さんは、福岡さんの十代から三十代にかけての通算十二年間、
村長を務める家柄であった。

 旧制松山中学(現在の松山東高校)を卒業。
農家を継ぐべく、岐阜県稲葉郡那加村(現在の各務ヶ原市那加門前町・各務ヶ原市民公園付近)に
あった岐阜高等農林学校農学科(現在の岐阜大学応用生物科学部生産環境科学課程)に進学し、
凛眞寮という寄宿舎に入って学生生活を送った。

 ここで二人の恩師、鈴木榮太郎教授(1894〜1966)と樋浦誠教授(1898〜1991)に出会った。
農村社会学の大家である鈴木先生は、福岡さんにとっては英語・独逸語と
修身の先生であり、寮歌や『岐阜高農舞踊』、『第二高農舞踊』などの作詞者でもあった。
そして、この鈴木先生からは社会を見る目や歌風に一番影響を受けたということである。

 専門の植物病理学では樋浦先生に師事した。
樋浦先生は、札幌農学校同期生(二期生)の内村鑑三(1861〜1930)や
新渡戸稲造(1862〜1933)らとともに日本のプロテスタント発祥の
三大拠点の一つである「札幌バンド」の中心的存在であった
宮部金吾(1860〜1951)の教え子であり、
福岡さんは言わば、著名な生物学者・宮部金吾の孫弟子ということになる。

福岡先生 いろは歌 2.jpg

 樋浦先生には公私共に可愛がってもらい、卒業後に岡山県立農事試験場や
横浜税関植物検査課への就職のお世話もしてもらった。
 樋浦先生は時間を惜しまずに研究に没頭する人で、
夏休みなどには北海道や東京方面の大学に研究のために
出かけて家庭には不在がちであった。

 1950年開学の酪農学園短大、1960年開学の
酪農学園大学の創設に関わり、初代学長となられた。

 樋浦先生の活動はそれだけにとどまらず、ちょうどその頃から北海道で始めた
「神を愛し、人を愛し、土を愛する」という「三愛運動」は現在も続いている。

 樋浦先生からは、後に「自然農法」につながる専門的な知識や研究に対する姿勢など、
多くを学び、精力的に課題に立ち向かう姿や「神、自然、人」などの言葉使いなども
恩師の生き様を髪髭とさせる。

 横浜税関に在職中の1937年(昭和12年)5月15日の朝、
福岡さんは「神を観た」と感じた。

 福岡さんは急性肺炎を患い、職場近くの財団法人神奈川県警友会警友病院
(現在のけいゆう病院)に入院中に、死の恐怖に直面した。
退院後も落ち着かず、夜な夜な俳個していたある朝方、ゴイサギの鳴き声を聞いた瞬間、
「人知・人為一切が無用である」と悟り、心の中の霧が晴れた。

 元来真面目で正義感が強いけれども不器用で、
人格面や農学ではレベルの高い教育を受けてきた福岡正信という一人の人間が
「神を観た」がために、世界中の問題を背負い込むことになり、
人間と神との間を彷徨し、これがその後の七十年間の活動の動機になった。

 福岡さんはこの体験を必然的に自身の専門分野である農学で表現しようと試み、
その成果は1947年の自費出版に始まり、
1975年の『自然農法・わら一本の革命』(柏樹杜)に結実した。

 その及ぶ範囲は、農法やイネの育種のみならず、
当然のことながら農学の範晴には収まるはずもなかった。

福岡先生 いろは歌 1.jpg

 1978年に英訳本が出版されたのを皮切りに、二十以上の言語に翻訳され、
福岡さんの思想は世界中へと広まっていった。

 1979年夏、初めて渡米した福岡さんが国連砂漠化対処条約事務局長の
モーリス・ストロング(Maurice Strong、1929〜)さんと会ったことが、
近年、粘土団子による砂漠緑化に力を入れ始めたきっかけとなった。
現在は世界各国に福岡さんの自然農法や砂漠緑化の意志を継ぐ人々が増えつつある。

 福岡さんは今日に至るまで日々新たな思いで研究、活動、出版を重ねてきた。
今回は数年間にわたって延べ数千もの歌を書き続け、漸く完成し、
『いろは革命歌』と名づけて「最後の」出版をする運びとなった。
出版の目処がついた直後の2008年8月16日、安心したかのように、完成を見ずに旅立った。

 福岡さんの言葉は、時には過激であることは否めない。
しかし、戦前からいち早く警鐘を鳴らし続け、
世界中に影響を与えてきた福岡さんが背負っている荷物の重さ故の叫びを理解し、
一人でも多くの者があとに続くことが、故福岡正信の切なる願いである。

 最後にお願いですが、福岡正信さんは、「無」という思想の下に、
自分の著作、育種したイネの種子、活動の記録などを全く管理していませんでした。
しかしながら福岡さんの正確な記録を歴史に残すことは、
大切なことであり、急務を要すると考えています。

 そのために、福岡さんに関する情報、資料をお寄せください。
概して古いものほどありがたいです。

 また、現在、「福岡正信記念館」設立という願いがあります。
このためにも皆さん方のご協力をお願いいたします。

                                   2008年8月

       京都大学農学研究科研修員     将積(しょうじゃく)睦
        http://osaka.cool.ne.jp/shojaku/


わら一本の革命 英語版.jpg

「The One-Straw Revolution」(わら一本の革命 英語版).
An Introduction to Natural Farming (New York Review Books Classics) (ペーパーバック)
Masanobu Fukuoka (あとがき, 著), Frances Moore Lappe (序論),
Wendell Berry (序文), Larry Korn (翻訳)
外貨参考価格: $15.95
価格: ¥ 1,462

いろは歌 みんなで.jpg
(皆で粘土の団子をまけば十年で地球は花園)

コメント

いろは革命って、 一冊の本ですか?それとも歌ですか?それでも雑誌の名前ですか?非常に興味があります。教えてください。

かるたと小本構成になっております。
まほろばで扱っております。

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