« 「鳥辺山心中」から | メイン | 結城さん被災地へ »

2011年08月26日

●「父・齋藤茂吉と詩人・坂村真民」

のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて                   
          足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり 

私の心に刻まれたこの名歌の作は、アララギ派の歌人・斉藤茂吉であった。
若き頃、「万葉秀歌」で万葉集の道案内をしてくれたのも茂吉であった。
彼は、精神科医でもあり、長男に同じ医者の斎藤茂太、
次男にあの「どくとるマンボウ」シリーズの北杜夫がいる。

この血は、父に負う所だろうが、「猛烈母さん」の母・輝子さんの筋ではないか。
ことに、斉藤茂太さんは、精神科医としては著名で、
その発言は注目されている。
今日は、その一端のほどを・・・・・・・・

img_1487078_60455462_0[1].jpg


 「モタさん」の愛称で親しまれ、
   精神科医・エッセイストとして活躍した齋藤茂太氏。
   
   本日は、『致知』2004年4月号より、
   齋藤氏が語られた父・齋藤茂吉と詩人・坂村真民氏の
   お話をご紹介いたします。


────────────────────────────────────


       「父・齋藤茂吉と詩人・坂村真民」  
       
       
            齋藤茂太(精神科医)
        
 ────────────────────────────────────


もう四年前(二〇〇〇年)のことになります。
『致知』の企画で坂村真民先生と対談することになりました。

真民先生とお会いできるのは願ってもないことで、
私は胸躍らせて先生のご自宅にお伺いしました。

その時に感じたこと、学んだことを述べれば
どんなに紙幅を費やしても足りませんが、一つだけ記すと、
真民先生が対談の最後のほうで言われたことが、
いまでも胸に焼き付いているのです。

真民先生は毎晩唱えるお祈りの言葉がある、とおっしゃいました。
それは大無量寿経の嘆仏偈の中の言葉です。

「我行精進、忍終不悔」(わが行は精進して忍んで終に悔いじ)。
修行に完成はない。
修行して修行して、この道をあくまでも歩み続ける。
そのことに悔いなどあろうはずがない。
それこそが生きるということなのだ。

その決定心を毎晩刻み込んでいる真民先生の姿に
粛然とするものがありました。

詩人になるために詩を書くのではない、
自己を成熟させるために詩を書くのだ、とは
常々真民先生のおっしゃっていることです。
それは、先生の多くの詩で確かめることができます。

photo184931[1].jpg


「存在」


 ざこは

 ざこなり

 大海を泳ぎ

 われは

 われなり

 大地を歩く

 
真民先生の生き様や詩を通して、
私の胸に浮かんでくる一つの言葉があります。
それは「愚直」です。

良寛は自らを「大愚」と称しましたが、それに匹敵する、
いな、それに優る大きさで、自己成熟を願って
精進し続ける生き方が己の一本道と思い定め、
脇目もふらずひたすら歩み続ける、
こういう愚直さほど偉大で、光り輝くものはない、
と思わずにはいられません。

私は真民先生の姿を通して、
父茂吉の生き方に気づくことにもなりました。

 1560[1].jpg

 あかあかと一本の道とほりたり

    たまきはる我が命なりけり

 
これは数ある父の歌の中で私がいちばん好きな一首ですが、
これは父茂吉が医業や病院経営など煩雑な生業があろうと、
自分はあかあかと通る一本の道、歌の道に生きるのだと
思い定めた決定心の歌なのだ、と改めて思うのです。

そして父は思い定めた一本道を愚直に生き、
命を輝かせることができたのだ、と思わずにはいられません。

真民先生の己を極める愚直な生き様は
まぶしいほどに輝いています。
父茂吉もまた、愚直に歌の道を貫いて
重みのある輝きを備えることができました。

私の生き方はそれに比べるべくもありません。

それでも精神科医四代目として医業に懸けた小さな歩みは
私なりにささやかながら輝いていて、これでいいのだと、
老いの身に勇気を授かるような気がしているのです。


コメント

まいどです。
この斎藤先生の本ですが、祖父の家にあり偶然今読んでいる最中です。
言葉のちからは良い方へも悪い方へも行く。だから日々、いい言葉を口にする。
悩んだ時、自分が弱い時に読むと、また今から再スタート!という気持ちにさせてくれますね!

また昨日やんじー様から残暑見舞いを頂戴しました。宜しくお伝え下さい。

コメントする