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2011年08月03日

●幼き日々の情操の森

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今朝の道新を見て、懐かしさがこみ上げて来た。
それは、名も無き「我が幼き日々の森」が載っていたからだ。
名を『ユカンボシ川源流』というらしい。
この年になって、初めて知った名だった。

私にとって、心の奥に潜む幼年期を育くんでくれた森でもあった。
何度、通ったことだろう。
昆虫採集に明け暮れた日の、虫たちの格好の巣窟がここだった。
この昼なお暗い木々の蔭に、この清流がサラサラと流れていた。

そのユカンボシ川は、『鹿の住んでいるところ』の意味という。
しかも川沿いには、1200年前の住居跡が30もあったらしい。
生家の近くを流れている漁川(いざりがわ)には昔、
鮭の群れが上って来たと、祖父が語っていたことを思い出す。

故郷・恵庭は、アイヌ部落が点在していて、有名なカリンバ遺跡などがある。
日本一古い織物や漆が出土して、驚いた。
子供の頃、そんな謂れなどつゆ知らず、友とその森で土器や石器を掘っていた。
今も、心に焼き付いている標本にした秋の落ち葉。

小学1,2年生の頃、最も自然の彩りの深さを
感じ取っていたのではなかろうか。
後にも先にも、あれほど心に沁みる色合いはなかったように思う。
その頃の担任の草薙宏昌先生は、その森の中の家に住んでいた。

宮沢賢治の「カラマツの林の小さな茅葺の小屋にいて・・・・」の
そんな感じの佇まいだった。
そこに行っては、紙粘土で人形作りを教わったり、
紙芝居を作ったり、いろいろ学んだ。

私にとっては、「ユカンボシの森」はまさに『トトロの杜』でもあった。
今は、どうなっているのだろうか。
既に半世紀も経っている鬱蒼とした森は、
今もなお太古の鼓動を打ち続けているのだろう。

誰にも、何にも侵されていない神秘の領域が
思い出の続きに残っていることに、悠久な時の営みを感じる。
何もない新しい詰まらない街だ、と思っていた故里が、
こんなに掛け替えの無い息吹をひそめていたことを誇りとしたい。

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