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2011年01月24日

●玄牝/げんぴん

玄ぴん おもて.jpg

この「玄牝(げんぴん)」という映画が2/19(〜3/4)に、
「シアターキノ」で封切られる。
愛知県岡崎の吉村医院の自然分娩のドキュメントと
吉村正先生の実践哲学の内容を、映像をもって訴えるものだ。
まだ見ていないが、在札の岡野女史の講演会でその様子は偲ばれる。

「玄牝」と言えば、私が40年前から慣れ親しんだ老子の語彙であった。
「道徳経」第六章を出典とする。
「谷神不死。是謂玄牝。玄牝之門、是謂天地根。緜緜若存、用之不勤」。
「谷神(こくしん)は死せず。これを玄牝(げんぴん)と謂(い)う。
玄牝の門、これを天地の根(こん)と謂う。
緜緜(めんめん)として存(そん)する若(ごと)く、これを用いて勤(つ)きず」。

解釈は、
「万物を生み出す谷間の神は、とめどなく生み出して死ぬ事は無い。
これを私は「玄牝(げんぴん) – 神秘なる母性」と呼ぶ。
この玄牝は天地万物を生み出す門である。
その存在はぼんやりとはっきりとしないようでありながら、その働きは尽きる事は無い」。

道教の神秘主義的には、第三の目「上丹田」の霊妙なる働きを表現しているが、
もっと世俗的にいえば、「下丹田」に位置する女性器の生命を生み出す神秘を語っている。
老子は、当時のひどく下賎な言葉を使って、あの名文「道徳経」を綾なしている。
正に、谷の神が住まう、谷神すなわち玄妙な牝(メス)「玄牝」こそ、宇宙の門としている。

性的官能力から神人交感力まで、聖凡は一体であり、霊体は一如であると語る。
瞑想における天人一体のエクスタシーと、世間のそれは似たものがあるのだろう。
道教は、房中術から脱体術まで、凡俗即神仙といった世界観があって、
今なお、中国の民間宗教として2000年を生き続けている。

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老子こそ、神格化されているが、それはとんだしたたか者だったに違いない。
それでこそ、魅力的であり、また遠い存在でもある。
小泉先生と森下会長との鼎談で「絶倫食」のテーマの時、
この「玄牝」の話が出て、子供も生むが、宇宙も生む大変な処だという結論になった。

迷いと悟りは紙一重だと言うが、本当にそうかも知れない。
先日のマジシャンの原君のお母さんの水音さんの本に、
自然分娩で出産した時、意識が飛んで、宇宙と一体となり、
恍惚となって、大歓喜に酔い痴れたことが書かれてあった。

女性は、スゴイ!!
生まれながらにして、覚者なのだ。
老子は「柔弱の徳」を讃え、女性と子供をこよなく尊重し愛した。
まほろばの「無限ハート」の結論は『母性』であった。

正に、老子の予言。
「玄牝」の時代が到来したのだ。
母性、女性性の時代が幕開けたのだ。
その祝祭である、この映画を是非、観て戴きたい。

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