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2010年08月19日

●平和の中の戦場

050[1].jpg

一昨日からか、子供たちの登校の姿を見た。
早くも、夏の終わりを告げるひとこまだ。
今年は、何故かTVで多くの戦争特集が組まれていたようだ。
終戦記念日、その画像に新たなる感慨を抱いた。

それは、コンピューター処理した色付きの映像、
「カラーでよみがえる第二次世界大戦」だった。
何時も見せられる白黒映画、ことに戦争ものは、私達の与り知らぬ
遠い過去の出来事のように、それは他人事でもあった。

しかし、見事に彩られたそのフィルムからは、
至近距離で今さっき起こったばかりのように生々しい事件が、
我々の眼前に迫ってくるのは、何故か。
戦前でも戦中でもない、戦後の映像として、その問題を引きずって、
戦争を知らぬ我々に突きつけているのだ。

国と戦う愚かさ、人を殺す醜さ・・・・・しかし、今尚それが続いている。
その三角形の底辺に蠢く兵卒や無辜の市民は、最早物の数ではなかった。
命の尊厳を踏みにじれる無惨さは、互いの頂点に立つ為政者の無知・不仁に他ならない。
何十人の兵卒の背景には、何百何千の家族が帰りを待ち侘びているのだ。

特攻隊員 44.jpg

一瞬に散る藻屑のような軽いイノチは、何十年もにわたる遺族の涙の重さでもあった。
画面に映る兵士の顔は、どの国もどの人も等しく虚しさと絶望のそれだった。
そこには、勝っても、いささかの歓びの表情も無かった。
放映後は、誰もがやるせない虚しさに、沈黙しただろう。

戦争の経験のない世代がほとんどになる、語り部のない何十年後か。
再びと、このような愚かで醜い所業を繰り返さないことを、祈りたい。
しかし、戦争と言う名の戦闘は、刃を持たされぬだけで、
学校に職場に社会に、繰り広げられている。

修羅場は戦場でなく、我々の心の中に有ったのだ。

コメント

先日TBSで「帰国」という終戦ドラマがありましたが見られましたか?
英霊が今の日本を見てどう思うか?という棟田博「サイパンから来た列車」を元に作ったドラマです。

私も戦後の人間ですし、映像と現実を照らし合わして考える事しかできません。
内容は戦後六十余年たった現在の日本人の生き方、心はそれこそ極端に変わっているし、帰還した英霊は日本の復興は喜んだかもしれないが、経済と文明の中で己を見失っている今の日本人の姿を見て怒りと悲しみの中で絶望を感じていたという内容でした。

ドラマの中で
「幸せとは、今に満ち足りて、それ以上を求めないこと」
「便利とは、人間がさぼることである。人は、自ら汗をかくこと、身体を使うことを嫌うようになった。豊かと便利を勘違いしている」
「貧幸…貧しくても幸せな暮らしはできる」
「人は二度死ぬ。一度目は、肉体的に死んだとき。二度目は、完全に忘れ去られたとき」
など、印象深い言葉の数々。
自分はどうなのか? 観終わったあ後は自ら問い掛けずにはいられなくなりました。

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