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2010年04月13日

●Q&A「お答え致します3」

                 宮下 洋子

ある方から≪全体食≫についての質問を受けました。
また、主人のブログを借りてお答えしたいと思います。

≪全体食≫と言うのは、マクロビオテイック
(穀菜食が健康と平和の原理という世界観)の
基本思想の一つで、皮を取ったりアクぬきしたり、
ヘタを取ったり、精白したり、精製したりせず、
命の全体を感謝して戴くと言う考え方です。

≪全体食≫の是非を論ずる前に、
マクロの視点から歴史をありのままに見つめてみると、
<食>と言うものに対する根源的な視点が観えて来ます。

≪人類にはもともと全体食だとか、部分食だとか言う観念はありませんでした≫
≪植物性が良いだとか、動物性が悪いだとか言う観念もありませんでした。≫

1、毒と毒でないもの
2、消化できるものと出来ないもの
3、おいしいものとおいしくないもの
4、体が元気になるものとならないもの

この4つの選択肢しかありませんでした。
この4つの選択肢の中で、食べられるものは何でも食べ、
命を懸けて叡智を磨き、命を繋ぎ、人類を継承発展させてきたのです。

アクの強いものはアク抜きし、
消化の悪いものは、皮をむいたり、煮たり、焼いたり、水に晒したり、
皮を取った方が消化吸収がよく、おいしいものは皮をとり、
生で食べた方がおいしいものは生でたべ、
精米したり、製粉したりした方が良いものは、搗いたり粉にしたりして
自然に調理法も出来上がってきたのです。

生で食べる時、誰もキュウリやトマトの皮を取る人はいないし、
ゴボウの皮を取らない人もありません。
河豚の毒を取らない人もいないし、
玉子の殻や、貝の殻を食べる人もありません。

人類が生命と子孫を守るために、
1万年をかけて築き上げてきた叡智が、
伝統的な食習慣として定着してきました。
それが、真の食文化だと思います。

しかし、食の原点である4つの選択肢は、
国家や、宗教(原始的宗教ではない)や芸術の誕生と、
あるいは、すべてが渾然と一体になることによって、
さらには、資本主義や社会主義の発達によって歪められ、
本来の素朴な生命観に根ざしたものから離れていきました。

今、伝統的な食文化と言われているものも、
人類1万年の歴史の中からみれば、
3パーセントにも及ばないほんの短い間に培われたものにすぎません。

ましてや、マクロビオテイックの全体食思想は、
歴史の浅いもので、本質的な生命観だけから発したものではなく、
人の作った全体食と言うもっともらしい観念が一人歩きして、
一面的な真理で人と現実を縛るまでになっているのです。

本来の生命観に根ざした食文化は、
決して固定的なものではなく、
皮を剥く剥かないにしても、どちらがおいしいか、
おいしくないかは人によって違いますし、
健康な人と病気の人、食べ合わせや、
年齢、性別、職業、季節、気候風土、
ライフスタイルによっても違います。

本当はフリースタイルでよいものに、
全体食と言う枠をはめてしまい、
状況の変化に対応できなくしてしまっているのです。

何時ごろから精米が始まったかは定かでありませんが、
中国では紀元前500年以上前の「孔子」の時代には、
すでに臼で搗いて精米していました。

唐の時代には、達磨大師から数えて6代目の禅の祖師、
慧能禅師が、自我の殻を破る修行として、
米を搗く仕事を1日中させられるというお話もあります。

精米技術は日本でも早くから中国経由で伝わっていたようです。
精米がなされていたからこそ、ぬかができ、
ぬか漬けや、たくあん漬けという伝統食もできました。

戦中戦後食糧難の時代でさえ、
何処の家でも、配給の玄米の外皮を少しでも落とそうと、
一升瓶に入れて細い棒で、根気強く搗いていたものです。

食糧がなくて、栄養失調なのに、
これ以上玄米を食べて栄養失調を加速することに、
本能がブレーキをかけたのだと思います。

学習や先入観がなければ、
やはり、健康な人や、栄養失調な人にとっては搗いた方がおいしいし、
健康にも良かったのだと思います。
(病気の時や、飽食で栄養失調になっている人は玄米を大変おいしく感じます)

精米技術が発達したのも必然ですが、
一方、余りにも精米技術が向上した為、
動物性食品が少なく、糖質栄養素主体の日本食では脚気等も出るようになり、
その反動で玄米食が叫ばれるようになりました。

また、玄米や繊維の多い全体食は、糖分や、アルコールや、
植物性脂肪を摂り過ぎてしまったり、飽食と運動不足で、
過剰とアンバランスに悩む現代人の体質にとって
デトックスの役割を引き受けてくれました。

しかし、これも絶対化し過ぎてしまいました。
デトックスは≪毒をもって毒を制する≫療法で、
長く続ければ栄養失調になってしまいます。

白米が悪いのでもなければ、玄米が悪いのでもありません。
糖分や、植物性脂肪が悪いのでもありません。
特定の物を特化して摂り過ぎたり、
何かを絶対化するからいけないのです。

また、食べ過ぎたものをデトックスするのではなく、
根本的な解決は、飽食せず、偏って食べ過ぎないことであり、
よく体も動かして、デトックスしなくても良い体を作り上げることです。

従って本当の予防医学とは、玄米以前、
全体食以前でなければならないのではないでしょうか?

古代ローマの貴族たちは、美食、飽食の限りを尽くし、
食べられなくなると吐いて、また食べるのを繰り返したりしていたそうです。
ローマはそれ故に滅びたと言う人もいます。

食べ過ぎてデトックスするというのは、
なんだかローマの貴族に似ている感じがしますし、
飢餓に苦しむ開発途上国の子供たちに申し訳ない
バチあたりなことのようにも思えます。

ここに、≪第3の食≫があります。
一般的には、穀物は精製し、主食や糖質の量(カロリー)を落とし
(B1やインシュリンの必要量が減る)、
動物性食品も取り入れ(B1の供給源です)、
ネギ族(腸内微生物がB1を合成するのを助けます)の野菜や、
熱処理しない発酵食品(B1が多い)を常食し、
新鮮な野菜や果物も生で食べ、腸内がきれいであれば、
B1不足に陥る事はありません。  

(カフェインの多い嗜好飲料や、
アルコール類の飲みすぎは、B1を消耗してしまいます)

特にヌカ漬けやたくあん漬けはBIの宝庫です。
また、糖質栄養素の摂取量を落とし(人によって量は違います)、
種々の動物性食品や果物を適量食べることによって、
ビタミンやミネラル、良質なたんぱく質や、
脂肪分の消化、吸収率は飛躍的に向上してくれます。

(まほろばでは、これらの事を、
0−1テストによって20年以上前から知り、
健康相談等で実践して来ました)

最新のアンチエイジング(抗老化)の研究でも、
糖質栄養素を減らせば、
@、ビタミンCが再吸収されて節約作用がある。
A、血糖値が下がり、塩分や血圧のコントロールもスムーズになる。
B、生体全体のエネルギー代謝が活性化し、
C、抗酸化システムが還元的に働く、
D、長寿遺伝子が活性化する

こと等が分ってきました。

糖質栄養素を減らして、何でもバランスよく食べる食事、
それがこれからの時代の食事になって行くと思います。

≪第3の食≫は、
縄文以前(動物食主体)と弥生以後(でんぷん食主体)の融合、
東洋(でんぷん食主体)と西洋(動物食主体)の融合です。

また、
現代の先端科学(分子栄養学・アンチエイジング医学・
脂質栄養学・糖鎖科学・遺伝学・エピジェネティクス・生命科学)
伝統の融合
でもあると言えると思います。

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参考資料(まほろばホームページ掲載)
≪まほろばの食養思想について≫
≪人の天食とは?≫

 米つき.jpg
(六祖慧能禅師が修行した米搗き場)

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宮下洋子 hiroko-m@tea.ocn.ne.jp 
まほろばHP http://www.mahoroba-jp.net/

コメント


いつもありがとうざいます。

文中で気になる箇所があったので教えていただけないでしょうか?

>学習や先入観がなければ、
やはり、健康な人や、栄養失調な人にとっては搗いた方がおいしいし、
健康にも良かったのだと思います。
(病気の時や、飽食で栄養失調になっている人は玄米を大変おいしく感じます)<

飽食で栄養失調になる。
と、ありますが
栄養過多の間違いではないでしょうか?

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