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2006年12月28日

●農は感恩報謝に・・・

池田さん.jpg
池田父子、店長(左)朝のミーテイングで挨拶


昨日の朝、仕入れから帰ると
剣淵の池田さんが来店されていた。
「絵本の里、剣淵」。
「有機農業の町、剣淵」。
その立役者が池田伊三男さんだった。
「生命を育てる大地の会」を立ち上げた
地道で長い足取りは、
「北に池田あり」と、全国に知らしめた。

池田 かぼちゃ.jpg池田 キャベツ.jpg
大地の会のキャベツと南瓜


その池田さんに有機農業を指導したのが、実は
まほろばの本店店長、
大橋君の亡きお父さん昭雄氏だった。
40年も前から、
農業の本来の在り方と実践法を説いて
道内はおろか、
内地(本州)まで、教え広めていた。

みかんや柿の箱に印刷された
『故郷の味覚』の
全国ブランドが今も遺っている。

そのお父さんの薫陶を受けて
今日あることを、
何時も感謝している池田さんは、
報恩感謝の人だった。

人の情義に薄くなった今の世に、
なおも故人の恩を偲んで忘れない、
そんな人柄に、人は付いて来た。

それは、何れの業においても
最も肝要な事のように思うのだ。

そして、接しても高ぶらず、おごらず、
謙虚に、師の息子である大橋君に
意見を聞くその姿は
美しいとさえ思った。


報恩と謙遜の心が、
日本農業の祖
二宮尊徳先生の
遺徳であり、教えの根幹だった。

それは他でもない。
天地自然へ
帰り行く
祈りの心でもあるからだ。

二宮尊徳.png二宮尊徳翁


今問われているのは、
有機云々の技術や知識より先に、
大事なもの、
明日を継ぐもの、それは
この感恩報謝の
心に違いない。


この十二月の雪の中。
キャベツとカボチャが届けられる。
街中の我々は、ごく当たり前のことのように
それを売り、そして買い求めている。

しかし、その陰なる苦労は、
まほろばの雪場の作業で
初めて、わずかながら、
理解出来たように思った。


雪中 小松菜.jpg
小松菜収穫、まほろば農園にて


雪の中をかいで
小松菜を採り上げ、
雪とむしろを取って、
埋めた白菜を拾い上げる。

剣淵の広い畑に
思いを馳せ、
このような全国の生産者に支えられている
我々の幸せを、思わないでは
いられなかった。


それは、
ただ、
「ありがたい」。


白菜 1.jpg
囲っている白菜、まほろば農園にて


コメント

昨今、話題になた「もったいない」という言葉が連想されますね。西洋の人から見ると日本人の宗教はめちゃくちゃと映るようですが、それは違いますね。日本人はある意味「神」などと言う観念の産物を作り出す必要がなかったのだと思います。自分を超えた大きな物を常に感じ畏怖してきた民族ですから。その直感を何にでも投影しているのだと思います。

こういう話を聞くと、自分が恥ずかしくなる。
ほんとうに、実際にものを生み出す力のある方には頭が下がる。

生産者の方に感謝と言って頂くと本当に申し訳ない気が致します。こちらこそ、

いつも、おいしい野菜や果物を有難うございます。
我々は只々本当にありがたいという気持ちでいっぱいです。感謝のみです。

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