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2006年12月22日

●今日は冬至

柚子.jpg

柚子湯に入って
冬至を思う、
という慣わしは
北国にはない。

湯治(とうじ)や融通(ゆうずう)の音にかけたり、
邪気を払い、風邪をひかない薬効を重ねたり、
古人の季節への
敏感な反応や感受性の豊かさに、
今更ながら驚く。

しかし、北国の冬至は
暗い冬の夜を
一層暗いものにして、
寂しさが、更に増して
深くなる。

それと伴に
人生の黄昏(たそがれ)を
そこはかとなく想う。

暮れ行く夜の帳(とばり)に
朝の、昼の
陽光の煌(かが)きや
その短い
命の間を振り返る。

「ああ、ここまで来てしまった」
と、ため息混じりに
人生の
それは短い
一日を想うのだ。

仕事にしても、
朝が遅かったり、
昼にもたついたりすると、
夜が長く、何時までも
息がつけない。

朝一番の段取りが
いかに大切かを思う。
手際よく、仕事をこなして、
さっぱりと
夜は何もかも忘れて
晩酌の一杯をも
堪能したいもの。

しかし、
生来の下戸と
要領の悪さで、
寝るまで仕事を引きずっている。

朝日の当たる
若き日の苦労は、
夕日の沈む
老いし日の安楽を誘う。

今も馬車馬の如く、
仕事に追われている我は、
若き日の安逸のせいなのだろう。


『少年老い易く、学成り難し』
とは、けだし名訓にして、
老いてこそ、はじめて
身に染む。


「世の若き人に勧む。
一寸を惜しんで、
学に、業に、
身を粉にして励むは、
決して汝を
裏切ることなし」と。


光あるうちに、
進め。

コメント

とうじ(冬至)たの〜??(←オヤジギャグ)
お疲れですかー??

光はいつでもありますよ〜、だいじょうぶだ〜。

ニルバーナ
落日が嘆いた
朝、私が地上に現われた時
万象は双手を挙げて私を迎えた
昼、私が彼らの上に輝いた時
万象はわが愛の光をことごとく喜び、受容れ
私をこそ生命の本源であると称えた
だのに こうして今
私が愛の熱を失のうて この地上を去ろうとする時
彼らは ただ一人も私を追おうとするものはない
感謝をもて顧みる者すらない
私は応えのない虚し口づけを彼らの上になして永遠に去るしかない
ああ この寂寥を誰が知っているか
その時 夕空に瞬きはじめた金星が言った
私は誰一人へも 何ものを与え得ない
ただむなしく自分を輝くだけである
それも月の出る間の ほんの暫くでしかない
だが、与えるものなきものの それ故に求むるものなきものの
この静かなる安らぎこそ
友よ 永遠の安らぎではないか

訓示垂れたつもりが、垂れられたな〜〜〜
参ったーー。一本取られました!!(笑い)

これは、
夢野さんの詩ですか。
すごいなーーーーー

タゴールかな。
不軽菩薩のようですね。

老いて枯れて行くと
次第に、
与うるも、求むるも
薄らいでゆくような気がします。

宮下さんはいつもご自分に厳しすぎる方ですね。
でも調子に乗って教祖にでもなりそうなところを
いつもそうして戒めていらっしゃるんだなと
だから、宮下さんの厳しさは、宮下さんだけのもので
それでよいのでしょうね…
コメントの詩も素敵ですね。まだまだ与えるものよりもらうものが多い自分にも
こんな気持ちがわかる日が来ますように…

(笑)スミエさんサイコー!
タログなみにおもろいです〜
弥栄亭に来るスミエさんが見てみたい!

タッキー様。
社長があんまり、たそがれているのでつい・・。
なんだか、イモリ亭行きが大変な騒ぎになりそうなので、作戦考え中です。
名乗らず、ニヤニヤして帰ってくるか?とか。
「入ってくる所で渡して!と頼まれました〜」と、知らん振りしておみやげを渡すとか。
道産子を悟られないように関西弁で話すとか。

世の若き人に勧む。
一寸を惜しんで、
「学に、業に、
身を粉にして励むは、
決して汝を
裏切ることなし」と。


光あるうちに、
進め」

これらの言葉全く同感です。
50歳を過ぎるとよけいにその想いがひしひしと強く感じるようになりました。

スミエさんて関西弁ウマそーです! ああそんなこと言わずに騒ぎにしてほしい〜 弥栄亭は最近流行ってきてるので、予約を入れてご来店くださいませ〜 私も29日なら忘年会に行くのに〜

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