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2010年04月23日

●「日韓友好」の架け人

日韓友好 2.jpg

韓国から後藤吉助さんが来日された。
札幌でその仲介役を買って出たブライダルサロンAiの近藤美奈子社長が同行。
今年、年男の84歳、私と二周り上のお父さんのような方。
「私を、親父と呼んでくれ。わが息子よ・・・」

というような泣きの場面が出て来る本当に感激の初対面だった。
「海苔の取引きは、値段はどうで、こうしてくれ・・・というような話がほとんどで、
あなたのように、値段も聞かない、ただ、どんな思いで始められたか、
それを書いて欲しい、なんて聞いた人は初めてだ」と語っておられた。

日韓 写真 3.jpg

韓国人で日本贔屓の呉善花さんの「日本への深い理解」や、日韓の歴史の共通性。
伽耶琴の音楽を流し、李朝の器でお茶を飲んで、キムチと海苔をつまみに
すっかり私の韓国好きが伝わったらしく、全く意気投合してしまった。

それと後藤さんのご両親は福島出身で、釧路に渡り、阿寒に入植。
(私の祖先も、福島、釧路出身だった)
20家族居た開拓団が最後には後藤さん一家族のみ残った。
あの原始林の荒野の中、どうやって飢えと寒さを忍んで来たのだろう。

そして、強制労働された朝鮮の人が逃げて来たのを、地下の室に匿い、
お母さんは、毅然とした態度で警察の尋問にも動ぜず、後日逃がしてやったという。
子供心に、弱き者の味方、虐げられし者を助ける精神が焼き付いたのだろう。

向こうの地で、みな反日感情が露わでも、
後藤さんに対しては理解を示し、多くの人々から慕われているという。
その人徳、人柄こそ、日韓を繋ぐかけ橋であり、宝である。

戴いた法被(ハッピ)の背には『心』と印刷されていた。
地下洞の正面に『心』と書いた書を見て、後藤さんは同じスピリットだと感激。
エリクサーの意味も時空の「架け橋」だということで、またまた感激だった。

日韓 7.jpg

会った一瞬にして、このように打ち解けた方も珍しい。
「何時か、韓国を訪ねましょう」との約束をした。
後藤さんも「『高麗李朝』の釜跡を案内しましょう」と熱い握手。

日韓が仲良くなって、この混迷の世界が開かれることを望みたい。
まずは、海苔の一枚からその運動を。

日韓友好 1.jpg

日韓 写真 4.jpg
(水産新聞に紹介された海苔)

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