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2009年10月13日

●ささやかな街の片隅で・・・・・・

恵庭岳.jpg

昨日は、「自然医学」の連載記事の取材に郷里・恵庭に帰った。
また12日は亡き父の月命日なので墓参りも兼ねていた。
実家でお寺さんの読経後、母二人と墓地に向う。
懇ろに墓掃除をし、佛花や供え物をし、手作りの食膳を手向けてお参り。
そして、腰を下ろし、ゆっくりその食を無言で戴きながら、父を偲んだ。

その時、初めて母が月命日の日には、
この墓参りを欠かさなかった、ということを知った。
春秋それは、出来るだろう。
しかし、冬はどうするのか、それを考えると想像するのさえ叶わなかった。
聞くと、道路から遠く離れたこの墓まで雪をはね、樏(カンジキ)を履いて
やっとの思いで辿り着くのだそうだ。

そして自分の背丈もある雪の山を砕いて、
墓が顕われるまでスコップで掘り続ける。
それで、少し墓石が傷ついた事を悔やんでいた。
そんな母である。

昨年父の七回忌が済んで、今年八周年を越えたと言うのに、
未だ毎朝、丁寧な蔭膳を仏前に供えているのだ。
そして、今朝届いた新聞記事を読み聞かせ、
特に好きだった俳句の欄を拡げて見せるのだった。

今でも、常に父と一緒なのだ。
何処へ行くにも「行って来ますね、お父さん」
何処から帰っても「只今帰りました、遅くなってごめんなさい」
と言うのだ。
だから、外泊はめったなことでしない。

さすがの私も、8年も経ち、近くに住まっているのに、
冬場雪の中の墓参りは知らないでいた。
すっぽりと穴の開いたカマクラのような中で、
父と語らい合うのだろう。
その時は、外の寒さも忘れて・・・・・。

母にとって、何もない澄み切った墓苑での一時が、一番心が和むと言う。
正に、生きて眼の前に父は座っているのだ。
母には、そこは天上の花苑であった。

そういえば、50年経っても、目覚しい発展も望まれないふるさとは、
今日も何処までもその空は晴々と広がり、恵庭岳・樽前山を映して
幼い日々と同じ空気、同じ風、同じ光を投げかけてくれる。
何も無いけれど、なんて良い街に生まれたのだろう、と思った。

ささやかな街の片隅の、ささやかなドラマ。
母の精一杯の父への愛情が交わされる舞台の
この土に、私も何時か帰って眠るのだろう。

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