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2009年02月06日

●えぇっ、南君!!

和服 南君.jpg
(右の粋な着こなしの男性こそ南君)

1月31日、北海道新聞の生活欄を見て、
「おっぉっ!」
「えぇ!南君?まさか?」
「でも、似てるよな?」
「名前は書いてないし・・・・人違いでしょ」

と、こんな具合に事務所は、盛り上がったらしい。
昨年一年間、「まほろば自然農園」で研修生として働いた南直人君。
今年4月から東川で、稲作農家としての研鑽と就農に人生をかける。
そんな南君が、和服で登場!
こんな余裕があるのか?と思われたが、
果たして、その南君その人だったのだ。

それは、ありうるかもしれない。
彼は、IT企業関係から足を洗い、農業を志した。
傍ら、お茶、気功、雅楽・・・等々の日本の伝統文化に傾倒していった。
彼の内面にある気付きと言おうか、何かが働き始めたのだろう。
これは、良いことかもしれない。

細川氏 碗3.jpg
(細川元首相作、「黒楽」「白楽」の見事な趣き)

今月の「和楽」に、『細川家の文武一如』といテーマで、
元首相、細川護煕氏は、こう答えられている。

問い 「文化、つまり教養をもつことの効用とは何でしょう」
細川 「大局が見える、ということではないでしょうか。
     文化全般を学ぶことによって、人は一歩引いた、
     自分自身を相対化する視点を得ることができます。・・・・・・・」

和歌、連歌、書、茶の湯、能・・・とあらゆる日本文化を身に付け、
しかも足利、信長、秀吉、家康など六代の政権に仕えた遠祖に当たる
細川幽斎の文武一如にしてこそ、見える境地は、大局観であった。

この武を、それぞれの職種に当て嵌めても良い。
その分野の何たるかを見極めるには、文という教養が欠かせない、というのだ。
そう指摘されると、何もない自分が露呈されて恥ずかしい。

芸に流れず、職に溺れず、
文武両道の聖凡一体なる生き方と言おうか、処し方と言おうか、
二つながら、眼(まなこ)を開ける必要がある。

現代教育が、この教養という点においては、如何に離れたものかは、
あえて指摘するまでもないだろう。
真の学とは何か、真の芸とは何か。
久しく問われる所だ。

若い頃から、何物も身に付けていないことを悔やむ。
茶の湯一碗にしても、大天地の声を聞くという。
ここ還暦近くになって、初めて侘び寂びに、
心惹かれ始めた遅まきの私がいる。

出来うれば、分らなくても幼き頃より、
日本の伝統文化の一端に触れる機会を与えられることを・・・・
その物事に触れる記憶が、人生を観る眼に変るであろう事、と信じる。

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