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2009年02月07日

●木の癖 人の癖

何時だったか、ある著名な木彫家が、
じっと木を眺めて、その木自身が、やがて
「俺をこう彫ってくれ」と語り掛けてくるまで、
鑿(のみ)を振るわない、と語ったことを思い出す。

西岡棟梁 1.gif

薬師寺金堂・西塔を再建した故西岡常一棟梁の
「堂塔の建立の用材には、木を買わず山を買え」
との遺訓は、つとに知られている。

東西南北に生えた木は、そのまま
東西南北の位置に、使うという。
北寒に耐えた性は、南方には萎え易く、
南風に慣れた質は、北方には耐え難い。
日当たりで育った木は、日当たりの場所が長持ちする。

本性を本性のままに枯れるまで活かし切る、
といった東洋的自然観、諦観が伝承には溢れている。
そこには、その本性が何処にあるか、
という洞察力が必要だ。

適材適所とは正に、これを言うのだろう。
人材も等しく、適正な職場に配置してどう働いてもらうか。
この経営手腕は、棟梁の選択眼に通じるのだろう。

西岡棟梁 2.jpg

さらに、
「木組みは、寸法で組まず、木の癖で組め」の口伝がある。
設計図に合わせて、木の寸法を斬る、というより、
木の癖に合わせて、家を組み立てる、という発想に近い。
これは、まるで西洋的発想とは異なる。

設計図という恣意が、遺るのではない。
木というイノチが、家という形を借りて生きていると言える。

癖は癖のまま、右のねじれと左のねじれを合わせる。
すると、驚くほどの強度を発揮するという。
ふぞろいほど、使い処で、予測を絶する能力を発揮する。

人も、そうではなかろうか。
規格品より、枠に外れた人間ほど、面白いことが多い。

きっと部材だけを見て、寸法通りの定形で組んだら、
暴れてひずみを生み、隙間や割れや色々な支障を来たすだろう。

世界最古の法隆寺は、ふぞろいの部材ばかりで、
1300年もの長きに亘って生き続けて来たのだ。

薬師寺 池 11.jpg

もう40年前にもなるだろうか。
故高田好胤薬師寺管長と金堂再建の勧進に、
剃髪して墨染めの衣で、お供していた頃があった。
まだ、その時は今のような壮麗な建造物は何一つ建ってはいなかった。

だから、『法隆寺の鬼』とまで言われた西岡棟梁には会えず仕舞いだった。
しかし、その生き様は、今の歳にして、
少しは理解出来るようになったのかもしれない。

私のような癖のあり過ぎる規格外の人間は、
世にあぶれて、今で言う落ち零れ組である。

そこを、天の棟梁はお心にかけて下さって、
ちょっと世間的には癖のある職種、
自然食品店を引き合わせて拾って下さった。

だから、曲者同士で、今まで務まったのかもしれない。
この細やかな天の配材に、
ただありがたく、手を合わせるのみの今がある。


コメント

そこをご本人がちゃんと理解して感謝してらっしゃることにとても感服しております。

ちゃんとご自分を客観的に分析していらっしゃる、私も見習わなければと思いました。

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