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2008年10月11日

●天工の妙

postar 1.jpg

先日、上京しての帰路、少し時間が空いたため、
八重洲口から歩いて、ブリジストン美術館に向かった。
何十年ぶりだろうか。

しかし、記憶とは裏腹に、心が色褪せたことに、
自分の重ねた年を感じ、いささか驚きを隠せなかった。
それは単に新鮮味を失ったのではなく、
境が変ったためではなかろうか。

長い西洋美術史やそれを引き継ぐ日本の跡を含め、
言い方はひどく乱暴で不遜かもしれないが、
一言で、正直つまらなくなっていた。

かつて岡潔先生はピカソを無明の達人と喝破したが、
いわば、その無明の連続の美術史に、
少しも光りが感じられなかった、と言うべきかもしれない。

以前は、そのタッチが、色使いが、線が・・・・と論議していたが、
それは枝葉末節というものだろう。

そうこうして草臥れて座っていると、
向こうから飛び込んで来たポスター。
二つの茶碗に心が釘付けになった。
胸が透くように、まさに清涼の風が、サァーと吹き抜けた。

それは、近くの日本橋三越の隣、
三井記念美術館で今、開催展示中であるという。
矢も盾も堪らず、飛び込んで見て来たのだ。
それは、先ほどの闇を破る、心に突き刺す一条の光を放っていた。

見ると彼の「本阿弥光悦」作という。
黒の楽茶碗を「時雨(しぐれ)」、赤のそれを「乙御前(おとごぜ)」と銘打っている。

中京の数寄者、森川如春庵が16と19の歳に手に入れた、
というその目利きにも驚かされるが、
唸ったと言うか、しばしよくぞ出会った、という感興に酔い痴れた。

時雨 如春.jpg

「時雨」は、釉掛けが浅く、腰辺りに処々に掛けられ、
胎土が鈍色に抑えられて、その景色の有り様が銘を連想させたのだろう。
しかし、見込みの内側にはたっぷりと釉薬が掛けられている。
その対比が、見事と言う他はなく、
当時、破格の手法であって、しかも現代でも充分前衛なのだ。

その屹立した切り立った面と崩れの連なりが絶妙で、
鉢や鐘を被せたような金物の趣きと焼物の妙合に、喉が鳴った。

回って歩いて眺めると、先ほどの鬱屈した精神が暢(のび)やかになっていた。
さらに、奥に赤の楽が端然と座している。
まさに、対をなす男碗・女碗と言っても良い。

乙御前 如春.jpg

柿の渋色が赤に非ず白に非ず、
名の如く「乙御前」即ち「お多福」と聞いて、
そのふっくらとした風が何とも言えない体をなしている。
底の高台が中に埋もれて、ヒビと言い、稜線の歪みと言い、
三井財閥の益田鈍翁をして「たまらぬものなり」と言わしめている。

「時雨」の堅牢と「乙御前」の飄逸、
陰陽の対が、空間を隔てて、天外に結ばれる。
散逸し庵主の手を離れたものが今回、相対して再会されたと聞く。
その場に居合わせた因縁を思う。

一個の土塊に、自然の風光を映し、さらに虚空を突き抜ける。
この力量こそ、悟りの力ではないかと信じるのだ。
東洋芸術の面目躍如たる処がある。
ここに、西洋の美も、寄せ付けぬ凄みがあるのだ。

如春 展覧会.jpg

かかる光悦を生んだのは、まさにその母妙秀であった。
小説「宮本武蔵」にも出る、この母子こそ、
侘び寂びの祖水、数寄者の祖元でもあったのだ。

賢婦人と伝えられる妙秀は、位卑しからざるも、
常に物品あらば分かちて、身に滞らせず。
金子入らば、すぐに必需の品に代えて貧民に施し与えた。
90歳にて死す時は、単物、手ぬぐい、枕など6,7品しか残さなかった。

この母の薫陶を身をもって受けた光悦、
秀逸ならざるを得なかったは当然でもあった。

光悦.jpg

一切を削ぎ落として、最後に、香り立つもの。
それが美であるべきは、造られたものでなく、
造らされたものなのだ。
これを、天工の妙という。
作為を離れた刹那に、佛手が加わるのだ。

まさに、「時雨」といい「乙御前」といい、
その何たるかを、現代人は刮目してこれを見るべし、
と、光悦は説法している。

美は、物言わぬ真理であることを知るに、
これほど雄弁な展示会も少なかろう。
もし、機会あれば、是非尋ねられることを勧めたい。

「森川如春庵の世界」
10月4日〜11月30日
三井記念美術館


コメント

所要で作成しましたので、ついでに投稿させてもらいました。大変失礼ではありますが、まだこの回のブログを読んでいない状態です。何らかの意味や創造の一齣となりうるのでしょうか。戯れをお許し下さい。


齢老いた一羽の鶴がいた
曾つて雲煙遙かな山河や湖海を下に見て自由に飛翔したその翼も
今はその力をなくし
その雲煙とほくを見ることの出来た眼も今は霞んできた
そのような彼があるとき
餌をあさっていて
川原で一つの美しい鶴の卵を見つけた
随分前からもう卵を産む能力を失つていた彼は
これこそ神の与え給うたものとして
自分の巣の中にこれを運び巣籠つた
やがて孵化するはずの日が来たが、卵には反応がなかった
彼は自分の老いを知つた
体温が低いのだ
彼は心にわが老いを嘆きながら
なほ懸命にわが体温をその卵にそそいだ
何一つ啄ばない日が続いた
一滴の水すら飲まない日が続いた
やがて腹部の羽毛が抜け、尾羽根さえ抜けてきた
衰弱が日に加わり、彼は自分の死期が遠くないのを感じてきた
眼も霞んできた
そしてやがて自分の体温が日とともに減じてくるのを覚えてからは
生きている内に孵化させ得る自信を失った
でも 彼はなほあきらめなかった
死ぬその日まで 自分は卵をあたため続ける
彼は奇跡を夢見ていたのだ
そしてこのような、素晴らしい卵を与えた神に感謝し
自分の幸福を信じていた
例え自分が死んでも
この自分の羽がいの下に
暖められた卵から
自分の昔のような雛が飛び立ったら
否 そうならずに自分は冷たくなったとしても
誰かがこの自分の屍の下からこれを見つけ出し
そして孵化してくれるであろうと
本当に素晴らしい雛の生まれる卵は
当たり前の熱では孵化しないと言われるのだから
この卵こそそれに違いない
彼はそう思って やがてこの卵の雛が
雲煙の空高く飛翔する姿を眼に描いた
すると無性に楽しくなり
もう見えなくなったその眼に 涙が湧いてきた

その翌朝
老いたるその鶴は その巣の中で冷たくなっていた
まことに美事な 鶴の卵そのままの一つの冷たい石をいだいて

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