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2008年09月17日

●ふたたび、母の・・・・

私は、中学二年生の時、母を亡くした。
その頃、TVで齋藤茂吉の短歌が紹介された。
その一篇が、心に鋭く切り裂くように入って来て、立ちすくんだ思い出があった。

斉藤茂吉 生家.jpg

のど赤き 玄鳥ふたつ 屋梁にいて 足乳根の母は 死にたまふなり

【玄鳥(つばくらめ)、屋梁(はり)、足乳根(たらちね)】
[のどの赤い燕が二羽、梁に留まっている。
いま私を生んだ母は死んでいかれるところです]

今まさに、死にゆこうとする母の枕元で茂吉は何を思ったか。
その止まった、厳粛な時間・・・・・

昨日、米内ご夫婦が挨拶に見えられた。
同じ、母を亡くした悲しみは変らねど、
70年も孝行を思いっきり尽くし切った米内さんの顔は、
晴々として神々しくさえあった。
お母様の笑顔が周りに渦巻いているようだった。

同じ燕を題材に、金子みすゞさんも歌っている。
母は子に、何時も一途で悲しい。

私が、エリクサーに「母水」と名付けたのも、
亡き母への郷愁が手伝っていたのかもしれない。

つばめのお母さん.jpg
(▲金子みすゞ記念館に巣をつくっている燕の親子)

燕の母さん

 ついと出ちゃ
    くるっとまわって
    すぐもどる。

    つういと
    すこうし行っちゃ
    また戻る。

    つういつうい、
    横町へ行って
    またもどる。

    出てみても、                   
    出てみても、
    気にかかる、

    おるすの
    赤ちゃん
    気にかかる。

コメント

愛らしいつばめの写真と この詩が ぴったりですね。
さしずめ、私はうちの息子たちに 下記の詩を語り聞かせましょうか・・・ 
  
なんでもたべてほしいと願う母心
  。。。なんと for you じゃなくって for meな私かと大笑いです。

     みんなをすきに

    私は好きになりたいな
    何でもかんでもみいんな

    ねぎもトマトもお魚も
    のこらず好きになりたいな

    うちのおかずはみいんな
    かあさまがお作りになったもの


    私は好きになりたいな
    だれでもかれでもみいんな

    お医者さんでもカラスでも
    残らず好きになりたいな

    世界のものはみいんな
    神様がお作りになったもの

                   

70歳で母を亡くすのと 14歳で母を亡くすのとは
 悲しみの容量 が 異なるように思います。

でもその悲しい経験があってこそ 豊かに心の世界が広がって
今の宮下さんが存在しているのだと思います。

宮下社長、

私も現在、母親とともに、生と死を見つめさせていただいています。
死を想う、人のいのちがなんて輝いてみえるんだろうって思います。
小さな喜びも一瞬一瞬を本当に味わって。
親は、いつもいのちをかけて、子どもたちにいろいろな
ことを学ばせてくださっているのだと思います。


いつも、まほろばさんのお野菜を安心していただいております。
この間は、さつまいもとりんごとレーズンで「りんごきんとん」を
つくって、小さな茶巾しぼりをつくりましたら、母は、本当によろこんで食べていました。
「つまみ食いしよっかな」と冗談で笑い会いました。

えりかは宮下社長のような素晴らしい人にお世話していただいて、
本当に幸せ者だね、宮下社長によろしくお伝えくださいとのことでした。

まほろばのスタッフの皆様にも、本当に御世話になりっぱなしで、、、いつもありがとうございます。ほんとうに、まほろばの自給村のネットワークに生きることができ、幸せだとおもいます。

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