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2008年07月16日

●続き ・・・海外篇・・・


(海外ドラマ)


(名犬ラッシー)

(名犬リンチンチン)

海外ドラマも、当時ラッシュだったかもしれない。
こうやって見ると、結構「テレビ坊や」だったんだなーと自分ながら呆れている。
初代「名犬ラッシー」や「名犬リンチンチン」など、
丁度家でシェパードを飼っていたので、一層興味深く見ていた。
冬になると犬に皮装具をつけてソリで、「シャンシャンシャン」と街中、雪上を漕ぐのは醍醐味だった。


(ローハイド)

このローハイドの唄に、子供心ながらシビれて、毎日学校から帰ってくると、レコードを擦り切れるくらい聴いていた。
それと、ついでにハリー・ベラフォンテの「バナナ・ボート」「マティルダ」を飽かず聴いていた。さらに、森繁さんの「船頭小唄」を聴いて、しみじみとしていた。何とも、ませた小学生だった。


(スーパーマン)

「何だ、あれは?」「鳥だ!」「ロケットよ!」「おぉ、スーパーマン」
流行りましたね。新聞記者のクラーク・ケントが服を脱ぐや、ビルの窓から空に飛び出すスーパーマン。
大平透さんの渋い声もピッタリだった。アメリカへの憧れが、こういう日常にあったのかも知れない。


(ローン・レンジャー)

これも、懐かしいなー。
「ハイヨー、シルバー」と呼ぶと白馬が何処ともなく登場する。
「ララミー牧場」など西部劇物も多かった。「保安官ワイアット・アープ」の銃身の長いコルトや短いデリンジャーなど、鉛の重いモデルガンなど流行っていた。
「セブリ・セーブン・サンセット・・・・」と唄い出す「サンセット77」も明るくスマートなアメリカへの憧れ。もう小さくしてアメリカナイズされていることに改めて驚く。
アメリカ戦略は、既にこんな子供の心、家庭の隅々にまで浸透していたのだ。

コメント

このアメリカナイズのお陰で
日本は経済発展ができたということもありますね。
失ったものもたくさんあるけれど。

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