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2007年12月02日

●富士山ふたたび

富士 1.jpg
(富士山と明見村)

一年ぶりの富士。
前回は、G・ハンコックさんの
「霊峰富士 と宮下文書の超古代史ワールド」
ツアーであった。
嵐のような一年間が過ぎた。

亡祖父の実家をようやく訪ね探しての
100年振りの親戚との邂逅!!
それは感動の一瞬であった。

初めて会ったのに、込上げてくる心情は
先祖の同じ血が騒ぐせいだろうか。

素朴で人懐っこい純な心は、今の世に無くなってしまった。
明見村に帰ると、昔の日本の故郷に帰って来たような気がする。
こんな故郷を持てた事を、本当に神さまに感謝したい。

墓 明見.jpg

親族一同が10年間貯め続けたお金で、立派な陵墓を作った。
早逝した私の祖父の名「宗泰」を、
子にそのまま名付けた利夫・ヤエ子さんのその幼子は、
又しても二歳にして、あの世に旅立った。

明見 5.jpg


昨年、一月、私が突如、実家に現れた時、
わが息子「宗泰」が50年振りに帰ってきてくれたかと泣き腫らしたと言う。
「富士古文書」(宮下文献)の本家筋に当たるヤエ子さんには深い繋がりがあるのだろう。
利夫さんも、私の父に顔の雰囲気が実に似ていて、
言わずして通うものがある。
その日、墓のある万年寺から眺めた富士山はことの他、輝いて美しかった。

その晩、当主富之さんとかず子さんの吉田の手打ちうどんを
「ほうとう」でご馳走になった。
これは、ここいらの何処の店でも味わえぬ、何とも言えぬ絶品である。

つきを呼ぶ富士山.jpg

あの富士の写真家「ロッキー田中さん」は時々、宮下家に寄って下さるという。
毎週のように富士に通うロッキーさんは、私以上に親戚付き合いをして下さっている。
ありがたいことである。
最近ロッキーさんの新本「ツキ本 富士山」で
全国ブレーク中である。

北斎 明見村.jpg
(「阿須見(明見)村の不二」葛飾北斎『富嶽百景』より)

舌鼓を打ちながら田舎の手作り料理に感動しながらいると、
近所から、家門一の物知り勝俣源一さんがやってきて、
葛飾北斎の「富嶽百景」の中、明見村から富士を描いた作品を見せてくれたり、
徐福を描いたものがあるなど、その郷土歴史家の薀蓄にうなずくばかりだ。

最後は、「・・・うちのごんべいさんは・・・」と、童唄を手を打ちながら、
年寄りみんなで唄ったのは、懐かしくも、昔に帰ったようだった。
今では、そんな素朴な会話が出来る寄り合いがなくなってしまった。

明見 3.jpg

食卓に並べてあった菜っ葉。
それを「水かけ菜」という。
田んぼのように、富士山の伏流水を
引いて菜っ葉を育てる。
それが、絶妙で実に旨いのだ。
単に、旨いと言っては、味の全てを表現出来ないのが残念だ。
富士山の精気が詰まっていると言えば、当たっているだろう。
来年は種を貰って、まほろば自然農園でも蒔いて育てようと思う。

そんなこんなで、足早に慌しく明見をあとにした。
何時も後ろ髪を曳かれる情を残しながら。

明見 2.jpg

コメント

この富士山はいつ撮られたものでしょうか。
私も12月1日と2日は富士宮市にある浅間大社と白光の富士聖地に詣でておりました。

本当に12月1日と2日は快晴でとても富士山がきれいでした。百年ぶりのご親類とご一緒に墓参りなんて本当に感慨無量だったでしょうね。お察し致します。

明見村って朝霧高原からだと、どの方角なんでしょうね。確か「北口本宮富士浅間神社」のそばとおっしゃっていましたね。

今年は「まほろば」さんにとっても宮下家にとってもとても素晴らしい年だったのですね。
本当によかったですね。
輝かしい良き言葉を使われた結果でしょうか。

先月の21日ですね。
ちょうど富士宮の反対側になりますね。
北口浅間の近くです。
河口、山中湖に行かれる時は、是非お寄りください。
ご連絡下されば、一報します。

皆さん和やかなお顔で、
幸せな良い雰囲気が伝わってきます。
心地よいお話が聞こえてきそう。
この、円卓(コタツ卓?)には、
当然たくさんのご先祖様も楽しく参加しているのでしょうね。

今、ここに在る自分を考えた時、
遠いご先祖様を思い、お家について皆で語る。
とても大事な事ですよね。
私たちは膨大な宇宙的数字、人数の血を、受け継いでいるのですから・・・・
生命が誕生した時からDNAに刻まれた生命の歴史は、まさに自分史そのもの。
宮下さんの御本家さまへの旅は、
自分を知る上で、本当に深い意味を持ちました。
先祖供養の本当の意味が解ったような気がするのです。
今を幸せに生きる。
それが、最高の供養なんだと
脈々と受け継がれてきた血、
ずっと繋がっている。
だから、
私の幸せはご先祖様の幸せ。
ご先祖様の最高の供養は、
生きている子孫が、自分が幸せになる事。
今年も良い年でした。

いつも、タイミングのいいブログ。
ありがとう!

1000年遡ったら、人類みな先祖になるそうです。
「折々の書」の『人は人という名の自分』に、その辺りを書いてみました。
こうして、話し出来る人々は何億倍も血が濃いそうです。
まさに、まりこさんは私で、私はまりこさんの世界なんですね。
すごいことです。
祖先の全てが、今の自分と考えれば、自分を大切に生きねばなりませんね。
今日も、ありがとうございます。

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