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2007年06月13日

●染めと国際交流

染 講演.jpg

今朝、吉岡幸雄氏の講演会が札幌で開かれた。
(6月10日のブログをご覧下さい)
『日本の伝統色〜近世の華麗なる衣裳の彩り』
と題して。

面白い!
日本再発見であった。

染めの世界から日本を覗くと、
実にイキイキした日本が垣間見られた。
意外であった。

染 山鉾.jpg
染 段通.jpg
(祇園山鉾に垂れている印度・ラホール産絨毯)

7月一杯開かれる京都の祇園祭。
この山鉾は、当時からインターナショナルな色合で飾られていた。

インド・ラホールやペルシア産の絨緞・更紗。
時に、17世紀、世界最高級の名品で、保存は最良。
ベルギー・ブリュッセル製のタペストリー。
天然染料で染め上げられ、1600年前後の最古式の物。
そして明代の豪華な綴れ織などが、
妍を競って、祭りを盛り上げた。

それら、印度・タイ・ルソン・インドネシア・フイリッピン、
そしてスペイン・ポルトガルなどの品々が
南蛮渡来の船で堺・長崎・博多の港から、
三井・鴻池などの豪商によって献納されていたのだ。

染 タペストリー.jpg
染 綴れ織.jpg
(同じく、第一級品の装飾されたベルギーのタペストリーや明代の綴れ織)

既に、安土桃山から江戸にかけての中世から近世、
日本は国際色豊かな爛熟の彩りが絶頂期を迎えていた。
さらに遡ると、奈良天平時代にも
原色豊かな異国の色彩が
寺院仏閣を煌びやかなものとしていた。
今の色褪せた古色蒼然たる趣は、当時はなかったのだ。

海外との交流交易ニ刺激を受け、
実に様々な物産が溢れ、
中国・韓国の工芸技術が粋を競って
磨き上げられた。
島国が反って、寄港し易い地の利となり、
開放的精神土壌が、国際感覚を磨き
異文化を吸収融合して
独自の文化を築き上げていった。

家康は、陣羽織にヨーロッパのフェルト、
秀吉は、インド絨緞の生地を使い、
上杉謙信は、鎧の上にスペインのビロードや
金襴緞子をパッチワークした小袖を羽織ったとしたら、
見る者皆、目をむいて驚きの声を上げたであろう。

染 陣羽織.jpg
染 陣羽織.2.jpg
染 パッチワーク小袖.jpg
染 ビロード 陣羽織.jpg

(徳川家と秀吉の更紗・絨緞仕立ての陣羽織と
上杉謙信が羽織った金襴緞子の小袖とビロードの陣羽織)

何と、大胆不敵にもそれを命じて作らせ、
自ら着て陣頭指揮に当たった。
その進取の気象、意外性、現代にも通じるセンスの良さ、
これは「天晴れ!」と言う他はない。
日本人に内在する派手と地味。

金紗・縫・惣鹿に彩られた小袖は、
白黒の幽玄界に誘う能装束にも用いられた。
その表裏一体感は、兼ねて備えてあったのだ。

江戸鎖国政策により、その豪奢と交易を禁じ、
次第に、色は侘び寂びの地味に至るも、
遂には、布に日本画の塗抹技術を取り入れ、
友禅を生み、絞りなどと融合させて、
独自に発達させ、
庶民町人の文化が花開くこととなった。

染 友禅.jpg
(江戸友禅染)

開けて友好、閉じて沈思黙考。
日本人の器用さは、機に臨みて応変である。

明治の和魂洋才、戦後の驚異的経済復興、
いずれも、日本人の血肉に、遺伝子の中に、
世界を取り入れる素養が培われていたのだ。

一方、商人は
鎖国の中にあっても逞しく、
今の三越、江戸の越後屋は、
今まで、大方、受注販売だったものを
先に作って、店頭で売る、商いを考案した。
着物を京都で作らせ、江戸日本橋でさばく。
誰でも入って来れる店頭販売。
ただし、現金販売の値切りなし、貸しなし。
困ったのは、掛に慣れてる大名公家衆。
貸し倒れがないこの方策は当たりに当たった。

染 越後屋.jpg
(復元された「越後屋」)

かつて祇園祭りに献納していた京都鉾町の呉服屋・金貸し家。
その中でも、今日の大丸、高島屋などはこれに続いた。
現代の老舗・大企業は、この時に礎を築いた。

今では、当たり前の商法は、
当時、誰もが発想しえなかった商いだった。
それは、時代が作り、それを人が受ける。
これを機縁というのだろう。
すべては、時運が歴史を動かし、人を動かす。
さて、現代にあって、
我々は、いかに動くべきか。

染 蝦夷錦.jpg
(蝦夷錦)


再びと、話を元に戻す。
明の綴れ織。
これが今の北海道、蝦夷に渡って「蝦夷錦」となった。
私は、これは内地人との物々交換に依っての代物と思っていた。
ところが、違う。
何とアイヌ人も明と、堂々と交易をしていたと言うのだ。
これには、大いに驚いた。
当時、蝦夷、東北、西日本の3ルートがあったという。

閉塞的とばかり思い込んでいた蝦夷は、
意外に躍動的だったのだ。
糸魚川の翡翠などが、道内で発掘される処を見れば、
古代人は我々以上にダイナミックに世界を渡り歩いていたのだ。

染の「藍 あい」も、
北国特有の「大青」という独自の藍を栽培し、染色に使っていたのだ。
ちなみに本州は「蓼藍」「琉球藍」などである。

ヨーロッパでも、150年前までは、
この「大青」を使ったりした天然染料が専らだった。
産業革命以降、英・独は化学染料一本になってしまった。
欧米では、断絶してしまったのだ。

今、物凄い勢いで、欧州はオーガニックが急増している、と氏は語る。
近年、この食のオーガニック運動に触発されて
天然染色再認識の機運が盛り上がって来たという。

それは、吉岡幸雄氏の貢献による所が大きい。
毎年、ヨーロッパ講演・実技指導に出向かれる。

このことは、単なる染師に終わらない
大きな使命と天職を担っておられる。

それと共に、時代の大きな変わり目を感じざるを得ない。
まさに、今は時。
変換の時運が到来しているのだ。

今日まで南蛮渡来で感化されて来たものが、
これからは日本発で感化する役が回って来たのではなかろうか。
それは、資源がない日本にとって、唯一あるものは、
「心」かもしれない。

染 先生作品 2.jpg

そして、最後に、
「なるべく、化繊は着ないで欲しい」
と付け加えられた。

染 先生作品1.jpg
(吉岡幸雄氏「展示会」は、24日(日)まで。工芸ギャラリー愛海詩さんで)


コメント

染めの歴史から色々なことが見えてくるものですね。

私は会社が祇園祭の鉾町にあるので、毎年間近で祭りを見ていますが、こんなに深く色々なことを考えたことがありませんでした。

とてもおもしろいと思いました。
日本が世界に発信する役というのは本当だと思います。このことに関わらず、平和の心を発信していけるようになるといいなと思います。

只最後の言葉に「なるべく化繊は着ないで欲しい」とありましたが、何故ですか?やはり静電気・・・とかが問題の為ですか?

へーすごい!!
鉾町ですか。
何度か、祇園祭の時、京に居たのですが、直に見たためしがない。
今度是非、ゆっくり眺めたいものです。

吉岡さんの工房は、伏見ですから、近いのでは。

アレルギーの原因になっているようです。肉体感覚の低下が、心の感性の衰えを招くのでしょうね。

艶やかですね。
   本当に着物は素敵。

日本から発信していく…というのは本当みたいですね。
ライトワーカーとしての役割を
感じつつ学ばされております。

吉岡さんの工房は伏見ですか。

伏見にも会社の支店があるので行くことがあります。吉岡先生が、京都の方だったとは、びっくりしました。

化繊がアレルギーの原因とは知りませんでした。でも、
そういえば、私も化繊のものを着て
かゆくなった時、皮膚科の医者に着ている
素材を天然のものに変えてみて下さいと
言われたことがありました。

吉岡さんの工房は伏見ですか。

伏見にも会社の支店があるので行くことがあります。吉岡先生が、京都の方だったとは、びっくりしました。

化繊がアレルギーの原因とは知りませんでした。でも、
そういえば、私も化繊のものを着て
かゆくなった時、皮膚科の医者に着ている
素材を天然のものに変えてみて下さいと
言われたことがありました。

高の原駅から何駅もないですから、是非お尋ね下さい。
ショップは京都や東京にあり、また伊丹空港にもありましたね。御覧になってください。

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