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2007年02月06日

●時と看板

最近、しきりに時の不思議さを思う。
殊に、何かを創り出そうとする時間。
自分の中に、既に構想が固まり、
材料が集まっているのに、
なかなか仕切りが出来ない。

何時も頭の中は、
お伺いを立てているように、
その時の来るのを、ジッと待っている。

神様が「OK!」を出してからでないと、
何事も、上手くいかないのだ。
そういう意味では、
結局すべてやらされている、
としか言いようがない。

私の独創ではなく、
神の身軽な手足といった方が分かりが早い。

米内青果 神前 社長.jpg

今回の米内さんの看板がそうであった。
それは、時期を計ったように用意されていた。

昨年春、札幌の卸売大市場が新しく開設されて、
これを記念するに、常日頃お世話になっている
有機野菜専門仲買の米内青果の社長に
看板を贈ろうと考えた。

ところが、何と
それから、結局一年近く経過して、
昨日ようやく店に納まったのだった。

米内看板 今村1.jpg

木を探して数ヶ月、
風情のある一位のオンコが見つかった。
さて、書く段になって見当をつけて走り書きして
貼ってそのままにしておいた。
それからが、何としても不思議と書けなかった。
というより、書こうという気が起こらない。
気合を入れねばならないのだが、どうも入らない。

本当に、気が気ではないのだが、出来ない。
お待たせして申し訳なく、
恥ずかしいばかりであった。

ところが何と、その間、米内社長はご難続きで、
倉庫が大火事になる、ご自身は倒れる等々で
それは大変な一年間であったのだ。
生涯振り返って、「こんな災難はなかった」
と、述懐された。

その大難大厄の大嵐が吹き荒んだ年末の最後、
何故か一週間で、看板は完成された。
その時、幾度か気合を入れて書いたのだが、
結局、何も考えなかった最初の字以上のものは出来なかった。

今村 彫り1.jpg

店の大看板を彫って下さったコンパスの今村享さん。
彼の彫り師としての腕は冴えて
見事な出来栄えだった。
ただ惜しむらくは、字の情けなさで、本当に申し訳ない。

今村 彫り2.jpg

その完成したものを、米内社長御夫妻、
年明けの吉日を選んで、
看板を持って神宮に詣でられた。
わざわざ宮司さんが裏に『北海道神宮』と書かれ、
何十年来使ってない焼き印を
倉庫から出して押印して下さったとか。

そして、参賀のために到着した知事と市長に、
神前でバッタリと出会い、
一緒になって祈ってくれたという。
「ラッキー!ラッキー!」と、いって大喜び。

米内看板 1神宮印.jpg

さらに、ロッキー田中さんから
「黄金の海」の大きな富士写真が送られ、
商売繁盛の前途を祝うかのよう。
今、全国で「幸運を開く富士の写真」で大ブレークしている。

神宮から神主さんをお呼びして、祓いと祈祷。
「めでたし!めでたし!!」
時と所を得て、すべてが上手く納まった。

これは、何という筋書き!!

今年から、大吉大安の春風に向かって漕ぎ出すには、
最高の舞台だった。

米内青果さん、万万歳!!
必ず、大開運!!

米内青果 神前全員 2.jpg

これが時期というものだろうか。
受けるべき時は受け、
成るべき時は成る。

実に、不思議だ。

(時とは、怠慢の素晴らしい言い訳だった!?)

札2.jpg

そこで、今村さんと、
「表札で、家々に吉事が招かれたら良いね」
と、話し合ったら、
以前彫ってあった『母水』の木をすぐ持って来て下さった。
見事な切れ味。
すごい腕だなーー、と感心。
でも、注文を受けたら、
私のことだから、
何時出来るか分からないので、
やっぱり、諦めることにした。

コメント

コメントのしようがありません(笑)。
様々な立場故に、様々な見解があると思います。
ですが、
私にはコメントのしようがありません。
生意気な言い方で恐縮ですが、素敵な、社長の学舎に、・・・・・・・・。

P.S.  17日の講演、楽しみにしています。
悪ふざけをいたしましてすみません。

社長さんのお話には時の巡りとでも言うようなものが多いですね。何だか乗り合いタクシーみたいな…(笑)。好条件がそろわないとなかなか社長にまつわる出来事は動き出さないのかもしれません。でもそれが故に無限ハートのような発見があるんじゃないでしょうか。
1月にこのブログを発見してから毎日欠かさず読んでいます。とても楽しみです。ネタが尽きないためにも(笑)、気合を入れて不思議な体験を積み重ねて下さいね。

優柔不断に見せかけて、
実は、時がスイッチを入れてくれるのを忍耐強く待っていただなんて・・・・・
知らなかった・・・・・
何と言いましたっけ、
酔っ払った振りをして相手を自分の中に招き入れて倒す技・・・
それみたいですよね(笑い)
早朝、ぼんやりと太陽を見ながら
アマテラス皇大神が岩戸に隠れてしまった深い意味も考えずに、嘘と力で無理やり岩戸から出されてしまったアマテラスから発せられる光に真は無く、嘘と力から生まれた光からは「虚偽」「陰謀」「暴力」が生まれたという話しを思い出していました。
時の入れるスイッチからは、真が生まれるんですね。
凄い確認が出来ました。


神様が決められた時だったという気がしました。
全ては浄まって全て良くなって成ったことだったのではないかと思いました。
時期も、全て神様のご愛念の賜物だったのではなかったでしょうか。

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