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2010年06月10日

●日韓同郷

韓国 登り窯.jpg

あの韓国在住で「日韓友好のり」の後藤さんが二度目の来店。
東京だけの用事に拘わらず、私に会いに、わざわざ来道された。
恐縮することしきり。
小雨降る中、ブライダルの近藤社長と共に御来店。
「是非、ご馳走したい」というご好意に甘えて食事に。

そして、お話を聞いてびっくり!!

先回来店された後、羽田空港から韓国の帰路。
あの「日韓友好のり」の法被姿の所、声をかけられたとか。
それは私が「ずっと、法被を着られると宣伝になりますよ」と、語ったからだと言う。
私としては、何か事ある毎、祭事などに着られるもの、と思っていた。

ところが、後藤さんは背広代わりに、何処でもそれを着続けられたのだ、今も。
それは「私が言った」という事を忠実に守ろうとされたからだった。
その法被がご縁で、声をかけられた方が、「韓国陶芸ツアー」一行の一人であった。
先生が韓国女性で、本場窯場へ研修旅行の出発前。

何と、後藤さんが、その一行に「自分も連れてって下さい」と頼み込まれた。
予定一杯で、急な事だから、ダメと断られたそうである、当然であろう。
だが、それでは引き下がらないのが後藤さん。
頼み込んで、説き伏せて、何とか一緒に付いて行く事が出来たのだ。

韓国 登り窯 2.jpg

頼む方も頼む方、受ける側も受ける側で、不思議なご縁だった。
何故そうしてまで、後藤さんが頼み込んだのか。
それは、「陶器が好きで、韓国の窯場に行きたい」と、私が口走ったせいだった。
今思えば、何と言う軽はずみな事を吐いてしまったのか、と後悔するばかり。

だが、今となっては、それ以上に、後藤さんの真心というか、その誠実さに、
本当に感動して、今の世に、こんな方がいらっしゃるのか!と驚いてしまった。
真心とは、こういうことなのか。
人の信頼とは、こういうことなのか。
と、ただただ自分を省みて、恥ずかしい。

そして、利川(りせん)陶芸村に同行して、
登窯の薪をくべる作業までやって来られた。
何時か、私を連れて案内して下さると言う。
その為に、韓国中の窯場を専門家に訊ねて、計画を立てられている。
甚だ恐縮するばかりだ。

韓国 利川.jpg

私は、李朝高麗の茶碗に、ことの他惹かれるのだが、
それは単に、個人的趣味の探求とか、そういう次元ではない。
日本人の心のルーツと言うものが、そこにあるような気がしてならないからだ。
平たく言えば、日本の原型というか、心のフォルムが投影されていると直感している。

日本各地の陶磁器に心惹かれる名品は数多くある。しかし、李朝には及ばない。
それは、もっと根源に存在するからだろう。
一井戸、二楽、三唐津と呼ばれる所以でもある。
そこに日韓友好の最も根底で一致している所があると見ている。

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だから、私はじっと飽かずに眺め、毎日碗を手に回しながら茶を啜(すす)る。
それは、あたかも故郷を志向するような儀式であり、旅立ちでもある。
韓国渡来の人々の血が、どれほど今の日本人を形成しているか分からない。
元より、二分するべき民族ではないのだろう。

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日本文化の発祥とされる飛鳥。
最古の飛鳥寺創建の三年前、百済にて同じ基本設計と宮大工が王興寺を建立。
そして、そのまま日本に渡って同じ建造物を建てたのだ。
後は推して知るべし。

言うなれば、国家の原型、飛鳥も、その後もみなコピーだったのだ。
その後、日本独特の換骨奪胎が行なわれたといえ、原型は認めざるを得ない。
むしろ、こう考えたらいいのかもしれない。
私達が、かつてそこに居て生活していた。

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日本海を隔てて、別人種が発生したのではない。
元々、同じ人種が、目の前の海を行き来したに過ぎない。
先日、対馬と富士山を旅行して来たという扇間さんと工藤さん、
その持ち帰って来た写真を見て、ビックリ!そして納得!!

対馬 11.jpg

手前が対馬で、向こうの岸が韓国なのだ。
こんなに近いとは。手に取るようではないか。
小舟でも、小一時間あれば、渡れそうな距離ではないか。
これは隣村ではないか。

隣国というより、隣の県であり、町であり、同郷とも言ってよい。
何を憎むことがあろう、何を閉ざすことがあろう。
海洋民族、日本人にとって、それは差別なき港であり、宿だった。
向う岸には、釜山、熊川、金海、晋州などの名窯の街が立ち並ぶ。

京・難波・江戸から見れば、萩・唐津・伊万里も朝鮮も距離にして変りはなかった。
その親しい距離感覚で、互いに行き来して古代日本は形成されていった。
平成天皇は自ら皇室は百済と関わりあることを宣べられた。
その認識に立って、新しい日韓関係が構築されることを祈りたい。

最後に、その夜、ある閃きが降って、後藤さんにお伝えした。
それは、後藤さんにとっての生涯を彩り、纏め上げるものだった。
果たして、それが成るか否かは、天のみぞ知る。
ここでは、語り明かせないが、何時かきっと知られる時が来るだろう。

その一事で、三人して感激し、生きる標となった。
よかった。
後藤さんが、わざわざ来道された深い意味があったのだ。
日韓の架け橋として、後藤さんは益々輝きを増されるだろう。

更なる長生を、お祈りしたい。

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