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2008年11月30日

●ささやかなお手伝いが出来たら・・・・・

昨年春から、近所の障害者支援施設「よろこびの家」のみなさんと
一緒に楽しく仕事をしています。
あの「七五三塩」や「一二三糖」などの袋から、野菜、魚、パン、掃除等々
みな協力し合いながら出来上がった商品が、お客様の許に届けられます。
このたび、そこの会の会報に、私の拙文が掲載されました。

よろこびの家 1.jpg

「ささやかなお手伝いが出来たら・・・・・」

厚別の元店長は今年72歳だ。
実は次男さんが、知的障害をもって施設のお世話になっている。
老夫婦にとって、その一人を遺して逝くのは、忍びないという。
こんな身近に、身に詰まされる話があったのだ。
元店長に「将来は小別沢の畑に施設を作ってそこの寮長になって、子供さんと一緒に過ごそうね」
と、夢を語り合っていた。

そんな矢先、「よろこびの家」のみなさんとのご縁が、店のこんな近くで出来た。
その時、脳裏を過ぎったのが、件(くだん)の話であった。
よろこびさんの事は人ごとではなくなっていた。
しかも、その中に昔からのお客様や親しいご近所のお子さんがお世話になっているともなれば、
ますます親近感がわいて、何かこれは神さまのお引き合わせに違いないと喜んだ。
今まで自然食品店を25年間経営して体の健康に貢献して来たのだが、
今度は福祉を微力ながらお手伝いして心の健康にお役に立てればと思った。
この両輪は、会社としても、とてもバランスのとれた姿勢であり、
社会還元は健全な方向性だと考えている。

しかし、こんな理屈より、よろこびのみなさんと一緒に働いているという実感の方が、嬉しかった。
何より、彼らの笑顔が素晴らしかった。
まほろばが彼らのコツコツ働いた仕事を評価される社会の窓口になることが、とても大切に思えたのだ。
籠りがちな性格や施設を離れ、直にお客さんのお顔や声が聴こえる事は、
彼らにとってとても励みになる。
お客様も同じ目線で温かく迎えてくださる。

よろこびの家 3.jpg

朝早く市場に行って仕入れする。その目利きにはビックリする。
また店内を隅から隅まできれいに磨き上げる。根気が要ることだ。
パンを今日もこねて成形し焼き上げる。その工程がとても楽しい。
そして今朝取立ての農園野菜を袋に詰める。なかなか単純に見えて創意や工夫が居る。
また農園で張り切って野菜と格闘する顔はスガスガしくて美しい。
そして、みんなで袋にシールを貼ったり、飴を詰めたり、新聞を折ったり、もう随分慣れてきた。

こう見れば、結構仕事量があるのに驚かされる。
こんな沢山のみんなと関わりがあえて、幸福感に満たされる。
店のみんなも楽しく嬉しそうだ。
最近は、もう店の一員として、いい感じになって、空気のように溶け込んでしまって、
互いに気を使わないくらいになって来た。
私としても、こんな嬉しいことはない。

とはいえ、いろんなハプニングやドラマが次々に起こる。
慣れてくると、こちらの側も障害者という意識が段々と薄らいで来て、
健康な人と同じような意識をもって来るので、急に戸惑ったりすることがある。
そういう中で、また、お互いに理解を深め、どんな所に気をつかい、
思いやらねばならないか分って来る。
理解し合うのには時間がかかるのは事実である。
我々は、教えるというより、彼らから学ぶことの方が、ずっとずっと多いように思っている。

お釈迦様は「同体同悲」といい、孔子様は「一視同仁」といい、
キリスト様は「己を愛する如く、人を愛せよ」とおっしゃたが、
彼らと仕事していると、こういう難しい言葉がスーと心に入ってくるから、不思議だ。
仁愛といった徳が、彼らを通して教えられているような気がする。

そういう意味では、人には元々全く差別がない、と信じている。
この格差社会で生きて行く事の息苦しさややるせなさ、
こんな閉塞感を少しでも取り除きたいと願っている。
まほろばは大きな大それたことは出来ない。
しかし、小さな地域社会で、肩を寄せ合いながら、共に悩み苦しみ、
そして笑い合う、ささやかな家族的幸せを味わいたいと願っている。
そんなお手伝いが出来たらと思って、今日も彼らと働いている。

                      自然食品店「まほろば」 宮下 周平

よろこびの家 2.jpg

コメント

普通の人々よりよほど心に余計なものが存在していない彼らと
一緒にいることでこちらこそうれしくてたのしくて。。。
というのが伝わってきます。そんな会社がいくつもあれば
障害を持つ人々ものびのびと生きて自分も役に立っている
って生きがいがもてるでしょうね。

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