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2008年07月22日

●身の丈の事

朝日新聞にテンプスタッフ社長の篠原欣子(よしこ)さんが紹介された。
派遣社員のさきがけの会社を、30年も前に設立して、
年商2300億円もの一大企業に育て上げた。
米フォーチュン誌の「世界最強の女性経営者50人」に8年連続選出されたのだ。

篠原さん.jpg

その取材の中で、強く印象に残った言葉があった。

「・・・・・・・・・・・・・・・・
社運を左右する局面で「守り」を貫いたこともある。
バブル時代の91年、男性の役員が都心に50億円の本社ビルを買う計画を提案した。
「土地は年率30%で上がるので、借金をしても必ず返済出来ます」。
銀行や不動産会社も加わり、計画はトントン拍子で進んだが、
契約前日に撤回を決めた。
銀行と不動産会社に一人で謝りに行き、
「非常識だ」
と責める相手にひたすら頭を下げた。
数年後にバブル崩壊。
地価は急落する。

「お金がなくて苦労したので、
うまい話はないと直感したんです」。
本社は今も賃貸。社長室も社有車もない。
・・・・・・・・・・・・・ 」

「身の丈」の堅実さ、謙虚さ、
その母性本能で育て上げたと述懐する
男も出来ぬ一大企業。
その根幹が地中深く、世界に張り巡らされている。

まほろばでも今春、
一世一代のビジネスチャンスが回って来た。
それは、誰が見てもゴーサインを出すであろう事業だった。
こんな条件があって良いものだろうか、という驚愕的な内容だった。
99%乗るつもりで、みな準備体制に入っていた。
しかし、である。
契約直前に、断ったのである。
事実断る理由などなかったかもしれない。
しかし、断念した。

それが、吉と出るか、凶と出るか、未だに分からない。
しかし、最後に決断したのは身の丈ということだったかもしれない。
それは、まほろば大発展の神の与えた大チャンスだったかもしれない。
しかし、元の静かなまほろばの業務に戻った。
一抹の悔しさは残っただろうか。

その時、スケールは全然違うが、
篠原さんのこの生き様に触れた時、
納得するものがあった。
というより、答えがそこにあった。

「小国寡民」
その軸を離れることなしに、進もう。
自然に流れ来る時を待ちながら・・・・・
必要ならば、また来るであろうし、
必然ならば、また去るであろうし、
そこには、ただ身を任すしかない自分が居た。

コメント

少しずつ、大きく育っているんですよね。
 「身の丈」の 堅実さ と 謙虚さ
   それが 一番  らしくて  いいこと
 変わらずにまほろばがあってくれることを 
  皆が楽しみにしてくれていると 思います。

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