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2011年09月01日

●「小さな人生論」

                  藤尾秀昭 (致知出版社社長)

「坂村真民先生の遺されたメッセージ」

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今日は9月1日です。

33年前の今日、『致知』は呱々(ここ)の声をあげました。

生死事大(しょうじじだい)
無常迅速(むじょうじんそく)
時人を待たず
謹んで放逸(ほういつ)するなかれ

という禅語がありますが、人生は実に早い。
これはある程度、年を取った人が等しく抱く実感でしょう。


この33年、本誌も実にたくさんの人にお世話になりました。
今日はそのお一人、
坂村真民先生のことについて書いてみたいと思います。


坂村真民先生に初めてお会いしたのは昭和62年のことです。
私は39歳、真民先生は77歳の時でした。

初めてお会いした時のインタビューは『現代の覚者たち』の中に、
余さず、収録されています。
今読んでも、先生の凛(りん)とした声が聞こえてくるような、
心の高揚を覚えます。
一道を懸命に生きんとする人の魂に触れ、
「我もまたかく生きん」と
思いを新たにした邂逅(かいこう)でした。


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2回目にお会いしたのは、その翌年です。
『致知』の特集テーマ「人生の公案」について、
先生にインタビューをさせていただいたわけですが、
その時、先生がポツリと呟(つぶや)かれたひと言が、
私の心に鉄槌(てっつい)を下しました。

それは、
「創造する人間は絶えず危機の中に身を置いていなければならない」
という言葉です。
当時、『致知』も創刊10周年が過ぎ、発行部数も目標を達成し、
その満足感から、
もうそろそろリラックスしてもいいだろうという
甘いささやきが私の心の中に芽生え始めていました。
そのささやきを真民先生のこの言葉は
木っ端微塵に打ち砕いてくれました。

以来、先生の詩にかける思いは、
私の雑誌にかける思いとなりました。
先生の「詩魂」は私の「誌魂」となったのです。

あれからすでに23年が過ぎましたが、
私の「誌魂」はなお熱く燃え盛っています。
 

先生は『致知』の熱心な愛読者で、
『致知』の発展を心から願ってくださいました。
『致知』創刊14周年の時、
そして創刊25周年の時、
先生は巻き紙に直筆で書いたすばらしい祝詩を送ってくれました。
この祝詩は私1人のみならず、
弊社の行く方を照らすものとして、
我が社の財産となっています。

平成21年、先生の生誕100年祭が開かれた時、
お嬢さんの眞美子さんからシンポジウムの司会を依頼され、
不肖ながら務めさせていただきました。
その時に改めて先生の全作品・詩集を読み返した時、
先生は後生に対して3つのメッセージを遺されたのではないかと、
私は思いました。

その3つのメッセージは次の3つの詩に象徴されていると思います。
これをお伝えして、この稿を終えたいと思います。

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坂村真民先生の遺された
3つのメッセージ

1「小さい花でいいのだ
  人にほめられるような
  大きい花ではなく
  だれからも足をとどめて 
  見られなくてもいい

  本当の自分自身の花を
  咲かせたらいいのだ

  それを神さま、仏さまに
  みてもらえればいいのだ」


 
2「あとから来る者のために
  田畑を耕し
  種を用意しておくのだ
  山を
  川を
  海を
  きれいにしておくのだ
  ああ
  あとから来る者のために
  苦労をし
  我慢をし
  みなそれぞれの力を傾けるのだ
  あとからあとから続いてくる
  あの可愛い者たちのために
  みなそれぞれ自分にできる
  なにかをしてゆくのだ」

3「よい本を読め
  よい本によって己を作れ
  心に美しい火を燃やし
  人生は尊かったと叫ばしめよ」

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