2007年09月29日

●ECOフェスタ

エコフェスタ 5.jpg

今日は、毎年恒例の札幌市西区の「エコフェスタ」の日。
西区民が環境保全のためのいろいろな取り組みを自ら紹介し、参加するお祭り。
朝から雨だったのが、開始直前にカラリと晴れての天の祝福。

農業では、まほろば農園と同じ小別沢地区の
エコファーマーの農家の方々と一緒に参加。
ブースには、穫り立て新鮮な秋野菜が並ぶ。

エコフェスタ 4.jpg

同じ三角山の斉藤りんご園さんのりんごも、
まほろばが代わって紹介販売。
先日のTV放映と昨日の道新の夕刊一面に掲載された為、
開催と同時にお客様が殺到。
あっと言う間に、無くなってしまった。
斉藤さんのりんご人気には驚く。

エコフェスタ 1.jpg

身近に農園や作物が存在していることで、
自給自足や地産地消が実感できる
心の豊かさが、都会ではとても重要なことだ。
この街中で、りんご園や畑があることが奇跡のようでもある。

ともあれ、この環境への意識が、
難しい論議の場でなく、結果の場として
皆さんの身近に起っていることが尊い。

これからも西区の皆さんに、より愛される
まほろばや農園でありたいと願っている。

今日は、経理のベテラン斉藤秀子さんと
新人の城越ゆかりちゃんの二人で切り盛りしての大盛況。
とっても良い経験と思い出を作ったことだろう。

エコフェスタ 2.jpg

2007年09月28日

●仮面の表情

昨日の新聞に日本最古の木製の仮面が発掘された記事があった。
邪馬台国の有力候補地の一つでもある
奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡から出土したもの。

土製の仮面は縄文時代(3000年前)から作られているが、
卑弥呼が活躍した3世紀前半のものという。
農具のカシの木のクワを再利用しており、
農耕に関連する収穫の祭祀に使われたらしい。

木製仮面.jpg

一目見て、ハッとする表情に、
情緒の発露を思った。

しごく簡単な穴で、
充分過ぎるほどの眼と口の
言わんとする先を顕す。

余りにも日本的な、
余りにも日本人的な、
こころの源流を見る思いで、
しばし、この仮面を眺める。

仮面 2.jpg(中国)
仮面 3.jpg(パブアニューギニア)

世界中に点在する古代の仮面。
単純で素朴な表情に、
それぞれに言うに言われぬ趣がある。

作為が無く、天真そのままであるが、
そこに、民族性と言うか、呪術的と言うか、
自ずから顕われる表情がある。

仮面 4.jpg(スリランカ)
仮面 5.jpg(マヤ)
仮面 6.jpg(イスラエル)

そこで、明らかに異なるものは、
日本人の「もののあはれ」ではなかろうか。

全てのものは、滅びるが故に滅びざる無常観こそ、
日本人の心の底流に流れる
独特の諦観でもある。

単に、「愛」と言っては足らぬ東洋の慈悲は、
常に慈しみは、悲しみを伴って、
さらに深い「愛」を完成させる。

真の愛は、人の世の悲しみを知って、
その全貌を現す。

情緒とは、
悲しみを知った
別の表現であり、
真の表情である。


http://www.mahoroba-jp.net/blog/2007/03/post_39.html


2007年09月24日

●知音 その2 (寺山先生講演会)

寺山先生 1.jpg

開口一番、「病気は憑霊である」と断言された。
この意外な言葉に、驚いたのは私ばかりではない。

先生の末期ガン克服の中で、
明らかに見出された答えには、その裏づけがあった。

食事法やヨガなどいろいろな事を試み、
それで複合的な相乗効果はあった。
しかし、治癒の決定的な原因は、
臨死体験の夢や
朝日を拝むことによって、その光から
閉ざされたチャクラが開かれ、
収縮したオーラーが放たれた事だった。
そして、取り巻く自然や環境も、
一斉に輝き出したのだ。

そこで、知ったのは「愛」であった。
あれほど憎悪したガンさえも愛するようになられた。
全てと一体になった時から、
見違えるほど、回復が早まった。

寺山先生 2.jpg

それから、
人のオーラーが見えるようになられた。
そして、多くの人に、
さまざまな浮遊霊や自縛霊が憑りついているのが見えるという。
除霊の必要性も説かれる。

今までだったら、この手の胡散臭い話は
どうも苦手で、拒絶して避けて来た。
生理的に気持ちが悪いというか
いわゆる、怪しい感じが嫌なのである。

ところが、その日は違っていた。
寺山先生は、物理学専攻のIT企業の先駆者であり、
およそ、その世界に全くの無縁であった。
目に見えない世界に対して、想像的・観念的でなく、
科学者らしい、実証主義的な眼と姿勢で観察された。
その卓越された意見が、同じ表現でも
新鮮で信憑性に充ちた言葉として
私の心に届いたことが嬉しかった。

本 1.jpg

イギリスのフィンドホーンとの関わりも奇跡のように、
世界の人々と繋がれたのも、
そこに体験者としての真実が、
言葉の壁を越えて共鳴したのだ。

あの代替医療の世界的権威
アンドルー・ワイル氏の名著
「癒す心、治す力」の中に寺山氏が紹介され、
氏の名は世界中に届いた。

寧日、国内外に飛び回り、
世界の病める人々に、
治る事実と生きる希望の灯を
点じ続けておられる。

寺山先生 4.jpg
(「治る人 治らぬ人 治せる人 治せない人」
初めての題名でのまほろば講演会。
プロジェクターもまほろば用に新しく編集されたもので、感激しました)

講演後、参加者全員が、
先生とのハグを求めて、
涙して別れを惜しんだ。
次なるワークショップでの再会を約束して。

オープンマインド、開かれた心の
全てを受け容れて許される、その温かさに、
何とも言えぬ懐かしさと安らぎを感じたのは、
私ばかりではない。

その後、先生との話は
医学から経営、芸術等々と
尽きぬ話題に、私としては
心の友(年上で失礼ですが)を得た
感激を味わった。

知音 2.jpg

身近に聴いたチェロの音に
かの知音の謂れとなった
伯牙と鐘子期の心の絆を思った。
琴の名手、伯牙は
唯一、名聞き手の鐘子期が夭折した時、
「最早、我が心を解する者なし」と
嘆いて、琴を叩き割り、
生涯二度と琴を弾ずることがなかった。

寺山先生 3.jpg

本 3.jpg
(「超越意識のためのチェロ瞑想曲」¥2100・まほろば扱い)

先生は、覚醒した後、桜の花弁が「今から落ちるよ」
という声が聴こえるようになられたという。

先生とのミク友の紹介の一文を・・・・・

先生のチェロの一音。

そこに、桜の
潔さ、哀しさ、
たおやかさ、慎ましさ
・・・・・・
全てが、聴こえます。

今生、初めて知音に会みえました。

震える如き魂の邂逅と
いうものが、あったのですね。

shinは
真にして、心。
信にして、神なり。

(shinは寺山心一翁先生のmixi名)

本 2.jpg
(「ガンが消えた」¥1400 まほろば扱い)

2007年09月22日

●One World U

印度に伝わる古い修行法に、
「Trataka トラタック」という凝視法があるそうだ。

それが、前世を見る行法の元になった。
暗室にロウソクを灯して、瞬きしないで、
鏡に映る自分の顔を見続ける内に、
過去世の自分の顔が
千変万化して、顕われるという。

アジアやアフリカの時もあれば、欧米人も勿論ある。
男も女も、皆経験している。

前世 1.jpg

最新のモーフィング 【morphing】技術は、それを想起させる。

http://www.youtube.com/watch?v=o-IfcpnsmEA&mode=related&search=

前世 2.jpg

これから、連想するものは、
人種の分化と帰一である。

それは、微妙な変化であり、
遺伝子の微細な変遷である。

その何時の間にか変化していた様子に、
人種は変らないではないか、
という想いにかられる。

そこには、やはり、
人類は兄弟、
世界は一つ、
というメッセージしかない!!

2007年09月20日

●彼岸花

今日はお彼岸の入り。
「暑さ寒さも彼岸まで」と、言っても、
北国では、珍しく蒸し暑い。
本州はさぞや、残暑に・・・・・

彼岸花 3.jpg
(「曼珠沙華」 山口百恵 CD ソニーミュージックエンタテインメント)

彼岸といえば彼岸花。
別名「曼珠沙華」”まんじゅしゃげ”と呼ばれているが、
あの山口百恵さんのヒット曲では”まんじゅしゃか”と唄った。

聞く所によると、一説に、
「まんじゅしゃげ」は、地上の華で、
「まんじゅしゃか」は、天上の華という。
真偽のほどは、判らないが、いかにも
仏教由来の極楽浄土に安楽を求めた古人の心が偲ばれる。

彼岸花.jpg

昔から、彼岸花は家に植えず、
墓場や田畑に植えよ、
と言われてきたらしい。

彼岸花の宿根には、
毒性があるため、ねずみやモグラがよりつかない。
それが農薬代わりになって、
稲や作物を守った。

また昔は、火葬でなく土葬だったので、
墓の周りの彼岸花は、ご先祖さまを守ったとも言える。

彼岸花 2.jpg

人畜有害なその根が、
水に晒すと、一変して
人畜無害な食用に転ぜられる。
いざ飢饉の時のため、そこここに植えられたのであろう。

それと、着物の洗い張りに、
粘性と張りの出る糊として
貴重な日常必需品でもあった。

こうして見ると、毒も薬も紙一重で、
用い方次第で、どうにでもなる。
そして、この世の中全てが、
毒と薬の二面性を持っているという事だ。

この世は、穢土此岸と呼ばれて、苦しみの海と言われて来た。
しかし、あの世、浄土彼岸の安楽の彼方は、
実は、見方、処し方、想い方次第で、
ここに、実現するのかもしれない。

厭われる「曼珠沙華」”まんじゅしゃげ”は、
根を水に晒すように、
身も心も、清めれば、
たちまちに「まんじゅしゃか」になるのでなかろうか。

天上天国の花々は、既に
地上のここに咲きかけている。

彼岸花 4.jpg
(「蓮のこころ」Chica ヒーリング・カリステ まほろば扱い)

2007年09月19日

●氣とフラクタル

易に説く、
「無極は太極を生じ、太極分れて両儀を為す」も、又
老子に言う
「一は二を生み、二は三を生み、三は万物を生む」と
道の道たるを表現する。

道.jpg

その観念の表現が、遠い向こうにあって分り難い。
しかし、最近、水墨画の動画で、
道の生々たる気韻を見事表現していた。

http://www.youtube.com/watch?v=LKFKxfL7tV4&mode=related&search
(氣韻生動:「道」)

そして、氣が流麗なる筆致に躍動する。
水墨画.jpg
http://www.youtube.com/watch?v=imxXfC0Isk0&mode=related&search=
(水墨画と書 3D)

フラクタル.jpg

一方、西洋科学では、宇宙生成の原理を
フラクタル理論で解明した。
まさにそれは、マクロもミクロも全て相似象で成り立っている、と。

そして、その宇宙のダイナミズムを観念でなく、
今動画によって、とくと鑑賞あれ。

http://www.youtube.com/watch?v=G_GBwuYuOOs&mode=related&search=
(フラクタル動画)
http://www.youtube.com/watch?v=jbdPUiih020&mode=related&search=
(フラクタル1)
http://www.youtube.com/watch?v=UzB9TYMWpcM&mode=related&search=
(フラクタル2)

フラクタルについて、「折々の書」から
『覚醒の因陀羅網』をご参照下さい。
http://www.mahoroba-jp.net/about_mahoroba/tayori/oriorino/oriorino10.htm
(「覚醒の因陀羅網」)

2007年09月13日

●仏陀の想い出

haru展示会 1.jpg

8,9日に「Hanuフラワーデザインスタジオ」さんの10周年の展示会があった。
まほろばでも月一回の教室を開いている。
主催の森直子さんは、多彩な活動の中で、
地域に根差した花との取り組みで、
子供達や障がい者の方々にも、
花の命を吹き込んでいらっしゃる。
花を生けることで、彼らは実にイキイキして来るという。


haru展示会 2.jpg

その日、特別出品で、私がルンビーニーで入手した菩提樹の葉と蓮の花を、
森さんがデザインしフレームに入れて作品となった。

実際、お釈迦様がお生まれになった菩提樹と
麻耶夫人が産後湯浴みされた池の蓮であった。

Memory of Buddha

Leafs and a branch of Linden and lotus memorize.
From 2500 years ago In Lumbini.
Mrs. Maya Devi were beard Buddha,
were bathed in a pond for oneself .
The tree and flowers 
never forget a smile of Buddha even now.

仏陀の想い出

このルンビニーの地で
菩提樹の枝葉と蓮は
あの日の事を 今も記憶している。

2500年前にマヤ夫人が、
菩提樹の下で仏陀を生んだ瞬間を、
蓮池から産湯の水を汲んだ光景を、

菩提樹と蓮花は、
今もなお
その時の仏陀の微笑みを忘れずに
ここに在る。

(案内文より)


haru展示会 3.jpg

また、チベットで入手した聖なる実「訶子」を
主に茶道で正月に飾る訶梨勒(かりろく)に模して
現代的にアレンジして身近な物とされた。

現代の「招福・魔除 縁起飾り」のフレームアート
 訶子(かし)(訶梨勒(かりろく))の実

「訶子」は、古代から万能薬として
重用されていた南方系の薬用の実です。

国内では、鑑真和上が中国から渡来された際、
海南島から持参した訶子が、正倉院に収められています。

室町時代から、新年や慶事の席の柱に
「訶梨勒」を魔除けとして飾る風習がありましたが、
今日では、訶子も入手困難で、珍しいものとなりました。

カリロク.jpg

これを、現代に復活して、フレームアートとして甦らせました。
これを家に飾ることによって、邪気を払い、
吉祥を呼び込む「聖なる実」として、
家族の皆様をお守りすることでしょう。
(案内文から)