2007年03月29日

●スーダラ節

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「どーこの誰かは、知ーらないけれど、
だーれもが、みんな知っている・・・・・」
『月光仮面』のテーマ音楽が鳴ると、
小学生2,3年の当時、
テレビにかじりついた胸の高鳴りの、
同じように迫ってくるものがもう一つあった。

「わかちゃいるけど、やめられねえ・・
ア、ホーレ、スイスイ、スイダララッタ、
スラスラスイスイスイ・・・・」

歌詞の意味も知らずに、
腕を振り、足を踏み、
高度成長期の子供時代を送った中年も多いはずだ。

あの『スーダラ節』の無責任の大人が、
責任の所在も知らない子供の心を
つかんで今尚離さないでいた。

どうして、あのバカバカしい笑いに
大人も子供も引き込まれたのだろうか。

今なお、先日逝かれた植木等さんを想うと
体が緩み、心が開かれるから不思議だ。

この人徳は、単に軽薄さから来るものではなく、
実は彼の出生の由来から来たものだった。

三重の浄土真宗のお寺の子として生まれ、
そのお父さんが、生一本で、反骨の人だった。
戦時中、戦争反対で逮捕されたり、
部落解放で人間平等の運動に挺したり、
それは生半可な仏教徒ではなかった。

植木さんが、『スーダラ節』の依頼があった時、
「人生が変わるかもしれない」と、父に相談したら、
「それは、親鸞聖人の精神と同じだ。」
と諭され、反対されるどころか、勧められたという。

『善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや』
「善人でさえ、極楽浄土に往けるのに、
それがどうして悪人が往けない事があろうか。
いや、絶対にない」と、いう信念。

わかっちゃいるけどやめられない、我ら愚かな凡夫。
それゆえに、救われるのだ。
若い時は、何とご都合主義的教義かな、
と思ったものだ。

しかし、馬齢を重ね、さらに重ねて、
どうにもならない不甲斐ない自分を思う時、
どうしょうもない世の中を見た時。

それでも、四季は巡り、
桜は咲き、稲は実り、
月は清けく、海はたゆたい、
何事もなく又 朝を迎える。

救うも、救われるもない、
塵一つの我が身を思う時
何に悩み、
何に憂いているのか。

『そのうち、なんとか、な〜〜るだろ〜う・・・・』

あの植木さんの
底抜けの笑いに癒された日本人は
突き抜けた向こうに、
浄土を見ていたのではなかろうか。

高僧の説法より、
知識人の講座より、
一笑にして、人を惹き付けた
彼は、天性の悟りの人だったように想う。
活ける菩薩さま。

何としても、あの懐かしさは、
一塵の穢れもない
澄み切った月光を映す
池の水面のようだった。

『人生はなるようにしか成らない』
何を悩むところがあろうか。
スイスイといけばよい。
そう、人生は
スイスイ、スーダララッタなのだ。

植木等 2.jpg

2007年03月23日

●ソワレ・ド・パリ

ワレドパリ.jpg
http://homepage2.nifty.com/soireedeparis/

先日、子供と一緒に「ソワレ・ド・パリ」に行って来た。
オーナーの神山慶子さんに久しぶりに会えた。
かれこれ十年ぶりのこと。

米内社長に連れられ、
有機の街、宮崎県綾町の方々と尋ねたのが初めだった。

その当時からすると、
彼女の歌が格段と深くなったので驚いた。

ぶしつけに、
「どうしてですか、
何かあったのですか?」
と、聞かざるを得なかった。

「歌い続けること、
年輪を重ねることで・・・・・」
と言葉少なげに答えられた。

金子由香利さんは、ご主人を亡くされてから
鬼気迫るほど変身して
その悲しみが、歌に真実を加えた。

しかし、人生の谷底から這い上がるより、
何でもない平坦な道を息長く歩む方が
難しいのかもしれない。

長く歌っていると、
再びと歌い始めた時の心が
呼び戻されるという。

四季が巡るように
人生の四季が幾重にも
重なるのだろうか。

同じ春でも、
こぞの春と異なり、
足元に射す光の
一段と彩りが深くなっている。

その日吹雪の中で、
客は私達だけだった。
しかし、心のあるったけを歌ってくれた
彼女の人生へのひたむきさを思った。

神山慶子 2.jpg


あの富良野塾の倉本聰さんの詞による
『カムバック・フォレスト』のCDを、まほろばでも置いていた。
地球村の北海道代表の木下弘美ちゃんの友達だから、
高木善之さんも訪れたことがあるという。

最後にシャルル・アズナヴールのシャンソン、
『ラ・ボエーム』を熱唱してくださった。

『 モンマルトルの アパルトマンの・・・
あたしを モデルに 愛し合った
あなたと 私の二十歳の頃
・・・・・・・・

ボードレールや、ヴェルレーヌの詩を
読んでいた 愛し合った・・・・・・・

夢を語り、夢をみたの
愛の眠りの 愛し合えば
感じなかった 冬の寒さ・・・・
・・・・・・・・・・・・

ある日のこと 私達の愛の街角
たずねてみた リラも枯れて
アパルトマンの影さえなく
歩きなれた道も消えた
若き日々の靴の音は聞こえなかった

ラ・ボエーム ・・・・
帰らない夢よ
ラ・ボエーム・・・
いちまつの夢よ・・・・   』

切ない若き日の恋の行方を、
子供達は、何と感じて聴いただろうか。

歳を重ねた彼女が歌うと、
唄が一人歩きして
二重(ふたえ)にも三重(みえ)にも意が重なり合って
青春の詩にも、涙が注がれる。

帰路、まだ深々と降り止まぬ
雪の中を肩をすくめながら
そこを後にした。

2007年03月21日

●「ピン・コロ党」立ち上げ?!

今日は『200歳まで生きる会』の立ち上げの日。
副会長の首藤さんから、何度かお誘いがあった。
なんでも、江戸中期の因幡の百姓夫婦何某が200歳を越していたとか。
それに、あやかろうという会で、
私は、とてもとてもそこまで生きられそうにないから、
体よくお断りした。

以前にも、トータルさんの近藤社長が
『ピンピンコロリの会』を立ち上げて、125歳の天寿を全うしよう、
と意気込んでいらした。
みな、スゴイ元気!はつらつ0000である。

日本人の平均寿命も約82歳と、何時の間にか、
ビックリするような数字に跳ね上がっていた。
特に戦前生まれの方が元気である。

子供の頃、50代60代と聞けば、
随分年寄りに思っていたが、
その歳に自分が到っても、
周りはピンピンである。

しかし、自分を振り返ると、驚くほどの
幼稚さとアホさ加減に、
ほとほとあきれて、
何時になったら大人になるのだろうと思っている。
この自分評価は、家内も同意見で、
何時も言われている。

30代、40代、50代・・・・・・・・
何時まで経っても、
未熟を引きずっているので、
これは今生、どうしようもないな、
と半ば諦めている。

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兼好法師の『徒然草』に、
「命長ければ辱多し。
長くとも、. 四十に足らぬ程にて死なむこそめやすかるべけれ。
その程過ぎぬれば、かたちをはづる心もなく、・・・・・・」
と、ある。
昔は寿命が短いとはいえ、
死期は40前後が適正と言った。

芭蕉翁が五十一歳、漱石が四十幾つで世を離れたと聞くと、恐ろしい。
古人の人間の完成度、品格度がこうも違うものかと。

精神の老成は、肉体の老衰を招くのだろうか。
そうだとすれば、現代の長生は、心の未成熟を意味するのかもしれない。

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「死生天にあり、寿殃窮通は命なり」というから、
本来寿命は、人間のあずかり知らぬ処で
どうにかなるものでもない。

私は、生来天邪鬼だから、
人と逆をしたがる。
初老あたりで、サッサと仕事を切り上げて、
サッサとあの世に移りたい方だ。
定年あたりで、昨日ピンピンしていて、
今日はコロリと逝ってしまう。
『ピンコロ党』の旗揚げかな。

今、日本は老人医療費や介護で財政をどう工面するのだろう。
これからの若者の負担は計り知れない。
赤字国家日本の、既に「死に体」での再建の見通しが立たない。

長生きして、周りに迷惑をかけるより、
潔くこの世に別れを告げたい方だ。
しかし、40歳説を唱えたあの兼好自身が、
67歳まで、30年も生き延びたのだから、
案外私も、周囲に嫌われながら
生き延びてしまうかもしれない。

晩年は兼好も、
「命あるうちは生を楽しめ」というように心変わりしてしまった。
その後、自由人として生きたというが、
私も、その頃、
いやいや『250歳まで生きるぞーー!会』を
立ち上げて、粋がっているかもしれない。

周りは、ハナハダ傍迷惑だろうな・・・・・・・・・・・・・・・・・

2007年03月17日

●りんご園の跡継ぎ 募集!!

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先週土曜の「斎藤りんご園主のお話」は
涙、涙の会だった。

今まで、いろんな会に出たり、開いたりしたが、
慎ましく、ひそやかな集いながらも、、
これほど、心に染み入る、しみじみと胸に響く会はなかった。

それは、ひとえに斎藤さんのお人柄によるもので、
りんごの樹との生きように、
誰もが、感動してしまった。

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もう70年も一緒に暮らして来た
りんごの樹は、斎藤さんにとって、
実の子供。

りんごも、斎藤さんを親と思っている。

斎藤さんが、山で働いていると
ミシミシとりんごがおがって行く音が
本当に聞こえるという。
こうして欲しい、ああして欲しいという声が
手に取るように判ると言う。

しかし、跡継ぎが居なく、
寄る年波に、200本の樹を世話出来なくなってしまった。
そこで、断腸の想いで、毎年20本ずつ伐る決意をされた。
それしか、遺された選択出来る道はなかった。

100名ものボランテイアの方々が集まって、
斎藤夫妻の代わりに手伝い、
一番難儀な剪定を学んだが、
余りの難しさに、後継ぐ志も断念したという。

それはそうであろう。
この道60年の斎藤さんでも、
未だに思案して苦慮するという。

周りの枝とのせめぎ合い、譲り合いの按配をして
光の入り具合を見て、
老木の無駄枝を払い、
実を付ける枝を伸ばす。

一本一本の性質を知り尽くした者でないと
全体が見えないし、部分が見えない。

そして、除草剤も使わず、
土を耕運せず、草を生やす
草生栽培のため、手で草をむしる。

この仕事は、片手間や生半可な善意だけでは
到底解決がつかない職人芸でもあったのだ。

そこを考えに考えつくした挙句の結論が、
思い余った伐採だった。


仁木・余市・七飯・江部乙・壮瞥・・・のりんご農家は
手入れしやすい背丈の低い「わい木」に切り替わった。
70年物は道内で斎藤さんの所だけなのだ。

北海道のりんごの生ける宝が、
今、消え去ろうとしている。

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泉さんが「精の宿り木」を朗読した後、
斎藤さんを紹介するのに、
私は胸が詰まって声にならなかった。

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次に、NHKの全国ビデオコンクールで最高賞を獲得した
海老名名保さんの一年をかけて撮影した
斎藤リンゴ園の記録が、皆の涙を誘った。
それは2004年の台風で、9割方のりんごが落下した顛末を
取材したものだった。


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そこで、皆が改めて知ったことは、
いかにりんご作りが、機械の使えない
手間の要る農業であるかということだった。

その道、50年の青果仲買さんの社長や、
三代に亘って斎藤さんのりんごを扱ってきた八百屋の若大将が
こんなにも苦労してりんご作りがされているのか、
と、その無知を恥じた。
それは、私も同様であった。

食べるのは一瞬だが、
作るのは一年、
いや、
70年かかっているのだ。

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最後、輪になって斎藤さんを囲み、
お話を聞き、互いに語らい合った一時は
何にも増して、印象深かった。

出来れば、多くのお客様と、この感動を分かち合いたかった。
最後に残った10個のりんごで作ったパイやケーキを
堪能しながら、今年こそ、
りんご園を尋ねて、お手伝いしたいと誓い合った。

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さあ、全国の隠れた若者達・・・・・・・
誰が、手を上げるであろうか。

命がけで取り組む若人よ。
あなたには、
喜んで、
惜しみなく、
全ての技術、
全ての知識を与える、
と、斎藤さんはおっしゃる。

毎年、毎年、20本づつ
手塩にかけてきた樹が
今、姿を消そうとしている。


HP上にも、ビデオを公開する許可を得たので、
後日設定して、お見せしたい。

それをご覧になって、
是非とも、斎藤さんの跡継ぎが出現されますことを・・・・

皆様と共に祈りたいと思います。

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2007年03月15日

●ゆき天使

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北の空に
ゆき天使が舞う

夜のしじまに
雪てんし・・・・

しんしんと
しんしん

さわさわ
さわさわと

水の精霊が
姿を変えて
心のひだに降り積む

真白き地平と空に境なく
こことあそこも一面に塗られ

物みな、外を閉ざされ
人みな、内にまなこを向け

ここは壺中天
天地の中に、さらに天あり

我、こもりてそれを楽しむ

げに、白き雪
汝はまさに天の使い
雪天使

マイケルケント.jpg
(MICHAEL KENNA「HOKKAIDO」マイケル・ケンナ写真集 出版協同社)
http://item.excite.co.jp/detail/ASIN_4879700533

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先日道新にマイケル・ケンナ氏の「HOKKAIDO」の写真集が紹介された。
それは冬の北海道の雪景色のみを写したモノクロ。
墨画のように、雪で余計なものが全て消え、
物そのものが、直截に映し出されている。

この時、雪の徳というものを思った。
北国の者にとって苦労の種、厄介な代物の雪は、
実は、穢れた心を清める天の賜物だった。

雪国で生を営む我らは、業が深いのかもしれない。
しかし、真白き雪を見ると
自分が透明になり、
心が自然に溶けてしまう。

天が放つ清浄光、
まさに雪は
心の天使。


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3月初め、幹線道路は完全に溶けて乾いた。
例年なら、4月の入学時、
雪解けの泥んこ道を
よけながら歩く。
それが今年は、1ヶ月以上も早く道路が顔を出した。
130年ぶりという。
異常だ。

しかし、この2,3日の大荒れで、冬に逆戻り。
日本中に猛威の大嵐が吹いている。

そして、結局のところ、
半分の積雪量が、何時しか
例年以上の記録となった。

雪の少ない歳は、必ず3月にドカ雪が降って
最後は帳尻を合わせる。

しかし、誰が逆転の結末を予測しただろう。


誰か、己の不遇を嘆いてはいまいか。
誰か、家の不幸を悲しんではいまいか。

分からない。
解らない。
実のところ、誰にも判らない。

不遇は何時までも不遇なんて、無いことを。
不幸は何時までも続く訳が、無いことを。

いつも、自然は、人生は、
予測を外して、幸いに向かっている・・・・・・・

2007年03月09日

●植物と対話できる達人

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三角山の斎藤リンゴ園さんをお招きしての
お話し会が、明日7時からまほろばで開かれます。

http://mahoroba-jp.net/about_mahoroba/tayori/oriorino/oriorino2.htm

もう22年ものお付き合い。
何一つ語りを聞いたことがなく、
世に働きかけを見たこともない。

ただ黙々とりんご作りに励んで来られた半生だった。

寡黙で何時も笑みを湛えるその目の奥に、
すべてが語り尽くされている。

「知る者は言わず、言う者は知らず」
老子の遺言を、そのまま地で行っていらっしゃる。

精神世界とか波動とかの観念ではない。
心の事実が、そのままりんごが代弁して余りある。

りんごに愛されるとは、どういうことか。
自然と一体になるとは、どういうことか。
明日あかされる。

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2007年03月07日

●はにわの彼方 U

今度は、お乳があるから女子の土偶かな。

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一片(ひとひら)の雲なき蒼空(みそら)

一陣の風立たぬ水面(みなも)