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まほろばだより−トピックス−
 
   

   
浜田広介(はまだひろすけ)・文
/ いわさき ちひろ・絵 『 りゅうの めの なみだ 』



 

 
  幼い頃、小一時間ほど汽車に揺られて札幌の街へ出掛けることがありました。

駅前と大通りにある大きな建物の中へ入ると、そこ は沢山の品と賑やかさに満ちていて、子ども心に「ここがデパート」と、その華やかさにどきどきしました。

 その中でも、駅前にある一軒が母にも私にも何かしら心地がよく、好きでした。
古い館内の階段近くには長椅子が所々にあり、 歩き疲れて大勢の人に草臥れてしまった私たちは、その椅子で何度となくひと休みをしました。

 最上階には大食堂があって、相席になるような大きなテーブルの真ん中に、大きな土瓶と幾つもの湯飲み茶碗がお盆の上に伏せて置いてありました。
店内にはいつも同じ歌が流れていて、いつの間にかすっかり諳んじていました。
家には母がわけて頂いたソノシートがあり、父がかけてくれました。

 
   

 

 

 

 

 懐かしい建物が新しくレンガの館へと姿を変えたとき、駅前通りに面した入口の上に大きな鐘楼が建ちました。
その鐘の音がとても好きで、一日に数度だけ鳴り響く音を聞きに駅前へ幾度も足を運びました。

 月日が流れ、幼い頃から親しんでいた名はやがて消え、2009年の秋、ついにそのデパートは建物ごと駅前から姿を消して行きました。

 百三年の歴史を閉じた「五番館」が明治39年(1906年)、「五番館興農園」という名で始まったことを嘗て初めて知ったとき、聞き覚えのあるその名に、もう一つのお話と連なる様々が思われ、それらが絡まるようにして腑の中へゆっくり落ちて行くような気がしました。

 駿河湾の向こうに富士を臨む地、静岡県 沼津市 西浦久連
「興農学園」。
日本ではじめての種苗会社「東京興農園」を設立された札幌農学校一期生・渡瀬寅次郎の遺言により、内村鑑三や新渡戸稲造たちの協力を得て設立されました。


 大正15年(1926年)に67歳で亡くなられた渡瀬寅次郎への追悼の言葉として、内村鑑三は

「君は農を以て身を興し、農を以て国を益せられました。
私は旧札幌農学校の同志を代表し、ここに渡瀬寅次郎君の名をグルントウイツヒ[グルントヴィ]の名が丁抹に残る如く、我が日本に残したいとの希望を述べます。
これ亡き君に対し、君の遺族と友人とが尽すべき最大の義務であると信じます。」と述べています。

 八年ほど前、今は亡き方より「読んで下さい」と賜った分厚く重い本の巻頭に、この本を出版するに至った経緯とその方の思いとが綴られていました。 

 

 

 「内村鑑三の『デンマルク国の話』にはユトランド半島のヒース繁る荒野を開き沃野としたのは、ダルガスであると述べられている。


―デンマークを訪れた時、是非ダルガスの事を調べたいと思い、お願いしたら案内されたのがキングハウス記念公園である。― 

 案内してくださったのはテトラップさんと言うボランティアらしい老人の方である。

―他にダルガスを記念するものは無いのですかと尋ねたら、戻ってきた答えは我々の考えているものとはまったく違っていた。

「このヒースの荒野を開いたのは農民であってダルガスではない。ダルガスは農民を支えた一人にしか過ぎない」との事であった。

 これを聞いた時、私は黒田清隆を思いだしていた。
北海道開拓の道筋を開く為、北海道開拓史として活躍されたが、実際に北海道を開拓したのは大勢の名もない庶民であった。それら庶民は黒田清隆の影となって忘れ去られている。


 デンマークの人達はこれら農民の努力こそがユトランド半島の荒野を沃野に変えた、その事を忘れないようにキングハウス記念公園を作ったのである。
そうした事から公園内に刻まれた農業者のことを知りたいとお願いしたら、コペンハーゲン大学のビョルン教授がお土産にくださった。

―翻訳をお願いし、出来上がったものを読んで感じたのは、テトラップさんが厳しく言われた事が今日のデンマーク発展の基礎なのだという事である。
民が意志を持って行動してこそ真に力のある国が出来る。
其れが本物なのである。一人のリーダーの力ではない。」
 
『デンマークにおけるヒース開墾史』
   によせて 戸田 一夫





 

 

 今、店内の奥に並ぶ大きな冷蔵庫のガラス扉を開けて硬く凍った豚肉を手に取り、そこに刻まれた「興農ファーム」という文字を目にするとき、いつも、心の内で変わることのない五番館という名の懐かしい思い出とあの鐘の音を想い、
" 農民の、民衆の自覚" を望んで逝った葡萄の房々のように連なる幾多の先人たちの思いが胸を過ります。

 そして、" 静かなる大地" の東の果て、生まれた地・根室と三歳まで過ごした網走との間に広がる茫々たる大地とオホーツクの海とを想い、コタンと同じ響きと謂れをもつ古多糠の地に在られるその方、本田廣一さまの眼差しと男気と志とを想います。

 頭上遥か高くを素通りして行くような饒舌で威丈高な乾いた風の声音に空虚を感じ、水面の上を覆う小さき憂国の情のなかに實を思う、この一年になりました。


 

 


 内村鑑三著『 デンマルク国の話 』

 

 

 

 

 

 

「みなさんは、龍をみたことがありますか? 
わたしはあります。」

 福島相馬の子どもたちに、そうやさしく語りかけてくださった小さな国の王さまが私たちに伝え残してくださったように、年を重ね、幾多の困難を乗り越え積み重なってゆく様々な経験を糧にして、強く大きく育って行くという、一人ひとりの心に棲むうつくしい龍を、「今こそ」大切に育むことができますように。

健やかなる土に起つ、健やかなる民と成れますように。



 ―農を以て国を興す― を為さんとする幾多の志の鱗を纏う"立"ち昇る龍の姿を胸にして、皆さまと共にこの国の
行く末を念い、辰年の年の瀬を迎えます。




 
   
 


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