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まほろばだより−トピックス−







 モンゴル行きの前日、7月30日。  
スーパー「サンヨネ」さんの在る豊橋市に、紹介者の木曽路物産・鹿野社長と共に車で向かう。

その店では、店頭とバックヤードが一体化して、お客様の前で店員さんが袋詰めしている。
垣根を取っ払った店内。開放的で明るく活き活きした雰囲気。
いかにも地域密着型で親しみがある。
一品一品選りすぐった、その商品選びのためには何度でも検証を重ね、オリジナル製造にはとことんこだわるという。
何か、まほろばと似て、嬉しい。
 
 老舗という看板を持ちながら、新しい取り組みをたゆまず続けて全国を飛び回り、日々進化している。
「商品は人なり」の社是、やはり経営者の視点が違う。  

 社長で営業本部長も兼ねて第一線に立つ三浦和雄さん。
明治28年創業120年、四代目である。創業当時、函館にも鮭鱒を仕入れに行くほどの大手水産業を営み、当時でさえ3000社も取引があったという。
何代も続くには、初代の真精神を如何に継承できるか。
少し違う業種を広げる内に、何時の間にか別な業態になって様変わりしてしまうことが多い。
企業の寿命は30年と言われる中、 50年、100年と生き残ることの努力。
単なる運では続くものではない。


 店内を見回すと、さまざまな取り組みがあり、よくやられているなーと感心することしきり。
その中でも、「無添加・無投薬のえびのフライ用パック」があり、これから販売出来るよう仕入れ先も紹介して下さるという懐の深さに感銘。

まほろばも、長年水産をやって来たが、需要の多い冷凍フライ用えびパックの無添加が中々ない。

 一般のスーパーで、ここまで拘って取り組んでいるのか、と正直驚いた。
見習うべき所が多々あったが、特にこれに刺激を得た。

帰ってからそれを遠方から仕入れず、自ら手がけてみた。
更に無添加に留まらず、モンゴルの重曹とクエン酸と塩で冷凍えびを解凍すると、栄養分が逃げないばかりか、生のプリプリ感が出る。
亜硫酸塩を添加せずとも尻尾が黒ずまず、新鮮なまま調理出来るのだ。
日本で初めての、まほろばの試みでもあった。 この試作が無投薬の普及に繋がるかもしれない。  

 これも、鹿野社長とモンゴル、広い交遊繋がりで成った事。
深く感謝したい。



 鹿野社長から、来年はアルゼンチンに行こうと、突然誘われた。  

 それは同じ岐阜で潟Mアリンクスという会社が緊急時の食糧確保のため、県と連携した「環境保全型農産物生産企業」として平成 年に10万円株主制度によって設立した農地が南米にあったからだ。
 
 その役員の中には、桜井食品の桜井芳明社長の名も連なっている。
アルゼンチンに取得した1250 (約400万坪)の農場では、平常時には大豆などの穀類を生産し、農薬や化学肥料を投与しない有機農業を進めている。

 この社長中田智洋氏は、もやし製造を主軸としたサラダコスモという会社も経営。1000倍希釈のモンゴル塩を投入しての水耕ミネラル栽培で残留硝酸態窒素は0だ。(水耕栽培の賛否論は譲る)

 さらに、チコリも栽培し、その珍酒も醸造するなどの新しい試みに積極的だ。こうして鹿野社長とも地元産業の発展に貢献されている。  

 有事の際の緊急食糧確保にも、県民を思う共同扶助意識の強さを見習いたい。この辺りも、木曽路物産が独占的営利に走ることなく、仲間と共同する無私の精神。

 鹿野社長を中心とした国内外のネットワークの広さに驚かされる。
みな国内でも第一線に立つ有能な経営者が仲間でもある。
一人の力としても大きく、さらに集まれば偉大な事業が可能になるということであろうか。

 
 翌日、セントレア中部国際空港から丹羽久(niwaQ)さんと三人で一路青島に向かう。  

 4時間後、青島国際空港で、木曽路物産のトヤさん、クエン酸工場本社金穂集団RZBCの国際部・匡志玉さんの出迎えを受ける。  

 早速、魚や野菜の素材を自から選んで料理をオーダーする昼食の馳走に預かる。
その珍品サソリ料理にはたじろぐも、勇気を鼓して食してみた。
全体に、日本中華の脂っぽさはなく、意外な薄味料理に食が進む。
そして、その足でクエン酸工場の日照市に向けて高速道路をひた走ったのだ。


 
 その高速道路は、まるで北海道のそれと全く変わらなかった。
緑豊かな景色といい、広い道路状況といい、ここは中国という異国情緒が全くおこらなかった。  

 すると間も無く、「済南500km 」という標識の文字が飛び込んで来た。 これには、突然胸が高鳴った。何か意識が躍り舞うような錯覚を覚えたのだ。
 それは、青年期に命がけで求道して影響を与えられた老師が済南出身だったからだ。
それは一言で言い表されない、言い知れぬ感動に襲われたのだ。  

 それと立て続けに現われた「連雲港120km 」。
これには更に、二重にも三重にも驚かされた。  
 
  それは渡蒙直前に日本で尋ねた方と私にゆかりがあったからだ。



 その方は札幌在住の湯浅寛氏、代替医療の老医師であり、塩の研究家であり、徐福研究家だった。  

 その前後、武道家で治療師の池谷友樹雄先生から、私に湯浅先生から「是非会いたい」と言う伝言があった。
それは、徐福の子孫が札幌に住んでいるという事、まほろば製造の「七五三塩」などにご興味を持たれたからだという。
先生の塩に関しての研究は長年にわたり相当な内容で、「釈尊に学ぶ健康『自然塩礼讃』」という著書も上梓されているほどの方だった。
 

 釈迦の健康法として沐浴がある。
これは、シーク教、ヒンズー教や仏教、また神道の禊に見られるように、皮膚の感覚器官をより研ぎ澄ませる事により、大気との感応が速やかになり、悟り易くなると考えられた。
その為の冷水浴や自然塩浴の実践が、奇跡的健康回復と霊性進化に関わる事を、湯浅先生は発見されたのである。
しかもその塩は化学塩ではなく、ミネラル豊富な自然塩でなくてはならなかった。




 20年ほど前から、梅丹本舗の松本紘斎社長が、この連雲港で採れる「天日塩」を輸入され、まほろばでも販売していた。  

 ところが、後述、1982年、中国で全国地域調査の結果、徐福の生地、徐阜村が発見されたのだった。
徐福は、秦の始皇帝から表向きは不老長寿の薬を探すためとして日本に逃れたと言われている。

 そこで、子孫に報復の害が及ばぬように地名や姓を変えた為、2000年間不明だったというのだ。
そこは、連雲港に近く、塩田法も盛んであったから、日本に塩田を伝えたのも徐福に違いない。

 湯浅先生は、全国徐福会で日中友好の絆を結ぶため徐阜村を訪れた。その当時の様子を伺う写真を沢山見せて戴いた。   
 モンゴルの塩を扱い、徐福との関係も持ち、昨日の今日、こうして突如として眼前に「連雲港」が出現した事に驚きを隠せなかった。
「これは、何なのだ!」と思わずにはいられなかった。
 私は同席の人には今の感動を打ち明けられず、出来れば近くまで来ている、その連雲港に足を運びたかった。
そして済南にも・・・・・。  

 しかし、黙して何時かその地を訪れるべく機会を待とうと思ったのだった。
 



 ようやくにして、日照市のクエン酸本社工場に着く。  
 そのRZBCグループ/日照金穂生化集団有限公司はクエン酸とクエン酸塩の世界最大量を生産し、中国一の壮大な工場であった。
 1993年設立、2002年頃から発展の兆し。当初、年間 1.7tの生産に過ぎなかった10,000倍の成長率を誇っている。さらに3年後 25万tを目指す。

 寇光智社長はクエン酸業界の理事長でもある。製造ラインは世界最高水準の研究センターを持ち、公害防止システムの実証プロジェクトでISO14001・ISO9001などの認証の他、食品の国際的な安全基準であるHACCP、さらにGMP(医薬品の製造管理及び品質管理に関する基準)を国内で唯一取得するなど、高い世界レベルの生産体制を誇っている。
 クエン酸製造過程で出る汚水濾過や空気の高度浄化設備が整い基準値以下を保ち、中国国内でも産業処理(リサイクル)処理で最も進んでいる。
緑食食品(中国有機食品)の優良企業ZXAクラスを与えられ、山東省のブランド会社、モデル企業となっている。



 また、青島港130 、日照港 と地理的利点も手伝って発送コストも少なく時間も短くて済む。原料から製品まで4日間で完成する。
また粕は肥料として牛の餌として海外に %も輸出している。  

 世界大手の飲料水や洗剤などのクエン酸企業に輸出しており、また医薬品レベルの許可も得て、設備技術、生産能力共に他の追従を許さない。

  勿論、クエン酸はジュースなど食品グレードの原料なので、お掃除の他に毎日の美容と健康や、家畜の飼料などの安全性も評価され、あらゆる用途にも安心である。

 この原料は、内モンゴルの無農薬のサツマイモや中国産の遺伝子組み換えでないとうもろこし、ベトナムのタロイモ、キャッサバなど原料100%で製造される自然食品である。

 そして、「乳酸菌革命」で、一躍日本で著名になられた、モンゴル出身の中国科学院教授、金鋒博士は、何と鹿野社長のブレーンで、乳酸菌やこのクエン酸の研究に取り組んでいるという。
縁の不思議さ、共時性を思うばかりだ。




 クエン酸は、今日まで洗剤としても使用されることが余り知られていない。世界的に、石油パイプラインの工業用洗浄剤にも使われている。  

 汚れは、酸性とアルカリ性に分けられる。
酸性の汚れには重曹、アルカリの汚れにはクエン酸が威力を発揮する。
汚れの種類に合わせ両者を上手く使い分ければ、洗剤の使用量を抑えて家中は何時も快適である。  

 下頁の図の様に、アルカリ性の汚れとは、主にシンク・トイレ・浴室廻りなどが挙げられる。シンクの水垢、曇り、ポットの水垢、魚・まな板の臭い、蛇口の汚れ、便器の黄ばみ、浴室の水垢、石鹸カス、トイレの臭い、たばこのヤニなど用途が広い。

 これを酸性洗剤では、効果が上がらず無駄が多い欠点を、クエン酸一振りで、最少で最大の効果を挙げる事が出来る。  

 その他、モンゴルの大地からニガリやマグネシウム、フミン酸が農業用に利用されるなど、まだまだ未知の埋蔵されている原料が眠っている。
何れ、また報告したい。


 


 今回の3000 の長旅で、二人のモンゴル芸術家と起居を共にした。

 旅の途中から乗り込んだ巨漢の男性は、斯琴朝克図さんと呼ぶ。
フビライハーンを祖先に持つと言う。ヒゲヅラにサングラス、それに首からかけた金の何やらペンダント。  
 聞く所によると、この金札は、彼の行く所フリーパスの通行手形なのだという。

 「これを持つ者に最大の待遇を与えよ」とモンゴル語で書かれたチンギスハンの命。
 ある歌謡大会で優勝し、彼は札を授かり、安寧と自由を一生涯保証されるのだ。  
 
 何という幸運。その小型レプリカの原型が、チンギスカン廟に展示してあった。当時の世界帝国の時代から、選ばれた戦士や芸術家に贈られて来たという。           

 彼はまた、何と俳句を嗜(たしな)んでいる。
しかも、世界俳句協会に所属して句集も編むほどの力量なのだ。  
 バスで私の隣の席に座り、それをプレゼントしてくれた。
「鶴」という題名だ。
言葉に対する繊細な気遣い、そして育った大地から噴出すエネルギー。  
それらが混然として詠われているのだ。  それは、日本語の言葉使いに少し難はあるものの、表現しようとする先が詩情に溢れている。  

 ところで、今回の心象風景をどう描写するか。何やらメモして来て私に添削せよ、と言うのだ。  
「そうですね、言葉の使い方が、こう……」 と言っている間、すかさずパッと自分で直して来た。
その日本語を良く知っている事、舌を巻いてしまった。
彼こそ、天性の詩人なのだろう。

  「空海(そらうみ)や     
 
      青き恐竜の
         
        泪(なみだ)かな」
 

 今回、世界で初めて公開された重曹の露天掘り現場。
そこは、完全な形で二体の恐竜が発掘されたという。
あの続く山の稜線は海岸線であり、元々海であった証左である。
海の底が草原になり、小さな湖はその海が残ったものだ。

 そして、その青は、草原の青であり、チンギスカンの蒼き狼の色でもある。 太古からの大地と太祖への追慕でもある。  
 その遺産でもある、これらの天然資源。その一滴の泪、天の恵みを受けて、我らは活かされているのだ。 度々「世界俳句大会」に日本に渡ると言う。

 その時また再会しようという約束を交わした。私も、そろそろ、俳句を嗜んで好い時期かもしれない。余りにも遅すぎるが。  
既にこの歳には、芭蕉は彼岸に渡っていた。




 現在日本で放送関係の仕事に従事する賽音吉雅さんは、二人の仲間と今回、中国国内で鹿野社長のドキュメントを放映する為の撮影同行であった。

 北京中央電視局の女性スタッフ薩茹拉さんとカメラマンのジャリカラさん。
三人は仲良く、私とも旧知の仲のように、最初から打ち解けて和んだ。
とても異国の人とは思えない。
何か、互いにとても惹き付けられるものがあるのだ。ある意味、今の日本人より、ストレートに心が通じるのには驚いたのだ。底知れないほど、心根が優しい。
日本人も中国人もモンゴル人も優しさは同じなのだろう。
これは同じ血が流れているに違いない、と嬉しさが込み上げるものがあった。
 セーンジャーさんは、国際馬頭琴芸術学院院長でもある馬頭琴の名手で、国内外で著名なアーティストだった。
CDも何枚も出されて、主演・音楽監督担当のDVD「スーホーと白い馬」が文部科学省選定作品に選定された。映画「蒼き狼 地果て海尽きるまで」において音楽の馬頭琴を担当し、モンゴル現地ロケに参加。
彼の透き通るような心が、琴線を震わして日中を繋ぐ架け橋となるのだ。  今回、お別れの晩餐会に、お礼に私が「草原情歌」の替え歌を日本語で作った。  

  セーンジャーさんからは「あなたは詩人だ」とお世辞にも褒められてしまった。帰国したら、これを本格的な形にしようと言って下さった。  
そして、何か曲をお互いに作ろうと約束した。
まだ、果たされていないが、何時の日か、モンゴル草原で、詩を書いてみたい、と思っている。
 そして、北海道の大地に招き、まほろばでも演奏会を開催したいと願っている。





「モンゴル情歌」
 
(「草原情歌」より、中国古謡、改詩)

1、遥か離れた そのまた向こう    
   誰にも好かれた きれいな娘がいた

2、遥か大昔 そのまた昔    
   誰かがここから 日本に旅立ちました

3、離れ離れで 故郷忘れ    
   誰もが疲れ 心を失くしました

4、風が呼びます 光がささやく    
   大地に帰れと 故郷が叫びます 

5、モンゴル離れ 今またここに    
   懐かしき草原に 帰って来ました

6、二つの国は 元々一つ    
   誰もが兄弟 永遠に家族です     
   これからも 仲良くしましょう



 延々と続く長距離の旅程の途中、ホルチン草原でワン先生がバスから降りてお帰りになる。
そこはセーンジャーさんの郷里でもあった。  
 その時、セーンジャーさんのご一家がお見えになられたのだ。心底、人の良さそうなご両親と抱き合うセーンジャーさん。そのほのぼのとした光景を見て、何か私達日本人が何処かに忘れて来た大切なものを思い出したかのようだった。
眺めているだけで、親子の強い絆、温かい信頼、熱い愛情が直に伝わってくる。
 この美しい光景に、しばし見とれてしまった。
セーンジャーさんの育ちの良さは、この篤信なご両親と無垢にして広大なる大地が育んだものだと理解できたのだ。

 

 平原に点在するゲル。
重曹工場の近くで遊牧を営む一家族との交流会で、一層モンゴルのことが理解された。  

 家の中に入ると、先ずチーズが出された。それはまほろばでも作っているチッチに似ている。
いわゆる凝乳酵素や乳酸菌をあえて添加しない酸凝固の方法だ。
羊の乳を放置するだけで、空気中の乳酸菌が飛んで来て乳酸醗酵が進み、固まるのだ。青くカビたのには驚いた。

 それは、ここ乾燥地帯だから保存が可能だ。
戴いたそのチーズが、中国圏内に入ると同時に青くカビたのには驚いた。

 それと、ヨーグルト。これも自然発酵。これを、炒ったキビに和えて食べると、とても爽やかで美味。
この湿気のない空気では、この酸味がとてもフレッシュで美味しく感じる。
ここでは、世界中のさまざまなチーズの風味や造り方が不要なのかもしれない。
長い歴史の中で、このような終結した味と製法は、風土が生み出した神の贈物のように感じた。

 戸外で、子供達は馬に乗り、現地の子と喧嘩相撲を取ったり、日本では失われた原風景を存分に味わった。
皆で、鹿野社長からプレゼントされたモンゴルの衣服と帽子を被り、一同記念写真に収まった。その家族との別れを惜しみながら、草原を後にした。




モンゴル最後の夜。
ゲオでの送別会で、当地の歌舞団が、心からの持て成しをして下さった。 その中には、万桂(ワンジャ)有限公司 宇海龍社長のお嬢さんも参加されて、花を添えて下さった。
外で、羊を丸々焼いた、姿そのままが、卓上に置かれ、私達の目を驚かされた。近くの川で採れた川魚も振舞われた。

 外で、羊を丸々焼いた、姿そのままが、卓上に置かれ、私達の目を驚かされた。
近くの川で採れた川魚も振舞われた。

  そして、何よりも歓迎の式典に付き物の馬乳酒の一気飲みをしなくてはならない。
前夜これで倒れた人も多く、ことに酒の弱い私は、今回自制するよう務めるのに必死だった。飲まねば、相手の誠意を受けられないので、次から次に回ってくる盃には、正直閉口した。

 しかし、気持ちがそうさせたのか、思った以上に酔わなかったのは幸いだった。
「郷に入れば、郷に従え」とはいえ、モンゴルでは古き血が騒ぐのか、苦にはならなかった。お調子者の私は、すぐ同化する癖があるので都合がよかったのか。  
 そして、歌と踊りの歓迎は圧巻だった。
遂に、あのオルティン・ドーを生で聞いたのだった。
江差追分の原型とも言われていたその高らかに唄い込む節回しと倍音は、この世の声とは思えないほどの勇壮でダイナミック、まさに大草原そのものだった。

 以前、NHK大河ドラマ『北条時宗』のテーマ曲「蒼風」で聞こえるあの出だしの印象的な歌こそ、オルティン・ドー(「長い歌」の意味)の第一人者、ナムジリーン・ノロヴバンザドさんだった。
エニグマのアルバム
「Return to Innocence」でもサンプリングされているのをご存知だろうか。
それを、この草原で直に聴けたことは至幸だった

 他に、ホーミーや馬頭琴、さらに華麗な回転を繰り返すその踊りの見事さに感動してしまった。
ここで、日本舞踊の地唄舞は相応しくないだろう。全ての文化芸術は、その風土を離れては無いだろう。
人も歌も言葉も食も全てがその土が運び、風が決め、光が動かすのだろう。

 全ての物事を同じ標準にしようとする世界的潮流グローバル・スタンダードは、今大きな分岐点に来ている。

  アメリカの世界同一化は、果たして何を齎せたか。個性を埋没させて、効率化、平均化、合理化、統一化に走った結果、何が残ったか。
民族や文化の衰退、経済や教育の腐敗が、世界中のそこかしこに起こった。統制が、逆に混乱を引き起こし、集中が逆に分散してしまっている。

 混乱を鎮める為の戦争は、やはり一層の憎悪を生み、生産を高める為の経済が、さらに一層の貧困を生み、今世界は大混沌の崩壊寸前にまで来てしまった。
 ここ、モンゴルの大地に立つ時、小賢しい人間知の儚さを思ったのだ。
 
 モンゴルはモンゴルらしく、中国は中国らしく、日本は日本らしくあるのが最も自然で、伸びやかで、安定していることを。
そして、そこに棲む人間が、最も幸せになれることを。

 老子は、「如」を最も尊んだ。
それは、「如しい」ことが自然無為であることを。  
竹は竹らしくあることで竹となり、松は松らしくあることで松となり、人は人らしくあることで人となる。
他を真似ることも、羨むことも、蔑むこともない。
自分は自分のままで、人は人のままで、あるがまま、そのままでいいのだ。  

 そのためにも、その国の文化を理解し、人間を理解し、決して我が国を押し付けることなく、互いに尊重して、互いに相歩むことの大切さを思うのだ。

 
  これからは、天はグローバリゼーションで繋がり、
地はローカリゼーションで守る。
これこそが、老子が説き、
まほろばが目指す「小国寡民」そのものの精神だったのだ。  


 個々は個々のままで、あらゆる事々がそれで、
平和が保たれ、幸福が育ってゆくのだ。  

モンゴルは、素の自分に戻す元の大地、ふるさとの教えなのだった。




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