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まほろばだより−トピックス−



 
この正月5日の初売りの日に、奇しくもめでたき吉瑞を戴きました。
それは、正に「これは春から縁起が佳い」と言える以上のものでした。

4年前の移店開業時、この無限心庵の中心に、ハート発生の原理を発見して以来、奇しくも今年、この同じ地下洞で、音楽発祥の秘儀を知らされたのです。

ここ3年、年頭に雅楽による奉納演奏をして戴いております。
静かに厳かに始まった笙・篳篥・竜笛が創り出す霊妙な雰囲気の場。
まほろば従業員全員一人一人が、世界の平和とお客様の健康と幸福を祈願しました。
三人の奏者の技量もさることながら、技術を超えた無心の境地が管の空洞と相俟って、その音色は全ての人の心を一つに包みながら溶かし、無限の彼方に誘い、そして高く高く天に舞い上がるかのようでした。



立ち上がる雅楽の音群。

作曲家・武満徹氏は、それを「音の河」と称していましたが、むしろそれは「音の階梯(きざはし)」というものではなかったでしょうか。
さらに突き詰めると、それは「天への階梯(かいてい)」だったように思えるのです。

渾然と鳴り響くその倍音は絡みながら唸りを上げ、あらゆる人や物たちと共鳴し増幅して、次々と無限の階梯を昇って往き、何時の間にか天上の霊楽に変貌を遂げて行ったのでした。

その時、音楽本来の意味や起源や、この世のあらゆる物事の目指す意義が、はっきりと指し示され、深く胸に落ちるものがあったのです。

 

この時、私の耳には、実音ならぬ虚音というべき別の音、異次元の音響が鳴り渡っていました。
それと共に、神仏の声か、ただならぬ声なき声が聴こえたことに、正直驚愕したのです。 それは、無限心庵の高さ158cmという空間のなせる業なのか。


ダ・ヴィンチの「ヴィトルウィウス図」にある円方のズレ158.4の数秘、即ち霊的世界から物質世界への移行、あるいはその逆行の法則が今働いたのか、と思えたのです。
(参照:「エリクサーから無限心へ4」)
その音響は、目に見えるものから見えざる世界へ移るそのもの、その瞬間だったのかもしれません。
正に、現実音の以前、そして以後の音だったのです。
私にとって、それはある種、覚醒を伴ったもので、しかも、みなの眼前での出来事だったのです。

この音ならぬ音こそ、雅楽の古曲「陪臚/ばいろ」を七度奏すると出現するという「舎毛音/しゃもういん」なる伝説の音韻ではないかと、奏者の方々がおっしゃるのです。
「出陣の前に、奏してこの音出づれば、必ずや勝利する」との言い伝えがあり、彼の聖徳太子も、この奇瑞に預かったと言います。
全くその条件無くしても、出るべくして出る縁起と必然性があって、今回立ち顕れて下さったのかもしれません。


その時、遠く雅楽の起源に想いを馳せていました。
いや、むしろ音楽全般にわたっての想い、さらに森羅万象の真相にも考え及ぶものでした。

・・・・・・・そもそも、本来の雅楽は天上の音楽を写し取ったものではないか。浄土・佛国土のさまをありありと観た、古に悟りし楽人が、この苦渋の穢土を清め、民を安らかにしたいとの立志発願をして造り始めたに違いない。

あの古寺伽藍の天人の楽奏する古楽器こそ、あの世の実相をこの世に写し得た原画だったはず。
この地上の雅楽は、天上に人々を誘う移し香ならぬ移し音だったのではなかろうか・・・・・・・・・・・と。


この倍音を重ねて無限の高音と低音に至れば、それは最早この世のものではない。この見えざる階梯を上り下りすれば、遂にはこの世にあらざる世が出でることを直感出来たのです。

これを中国北宋代の政治家にして哲人、詩人にして書家なる蘇東坡が詩に託して説いています。

「谿聲便是廣長舌 山色豈非清淨身 夜來八萬四千偈 它日如何舉似人」

「渓声は便ち是れ広長舌、山色清浄身に非ざること無し。夜来八万四千偈、他日如何が人に挙似せん」

つまり、自然は佛の声であり、説法であり、お経であると語っているのです。
特に、東洋の民族楽器や諧調は倍音が活かされ、古人は、この音曲を楽しんで天と地を繋いでいたのです。




今風に言えば、天外の天にトリップしていました。
それが、近代欧風の文物が輸入されてより、音律が乱れ、諧調が複雑になり、その素が失われて久しい。
最早初源的な倍音が立ち顕れなくなり、古風は廃れ、自然は省みられなくなって来たのです。



人の老いは、先ず耳から始まると言われています。
実はこの老化現象は、既に17歳を境に始まっているらしいのです。
ある高いピッチを鳴らすと、子供達には聞こえるが、大人には聞こえないといいます。

ならば、幼児は、誰もが聞こえない高周波で、神々と交信しているのかもしれません。
実は、耳に聞こえないこの高周波、低周波をカットして再現しているのが現代の再生音。
最も重要な音域のメッセージが届いていないのです。
故に、音像はいびつに歪み、それが心や体に影響を与えない訳はありません。
本来、耳には聞こえないが、体感出来る音の全体像があり、精神を変性さすほどの力があったのです。

それを応用した古代音楽は医学であり、哲学であり、神儀だったのです。

これは、今起こっている世界の混乱、人類の疲弊は、音に限らずこの全体を裁断した細部・局部の異常な発展が、引き起こした末路でもあるのです。
それは、科学や医学や経済、その他もろもろの事々がこの狭い地上空間に閉じ込められ、目に見える事象にのみ意識が閉塞された結果なのです。



しかし、その朝の気付きは、地上に射す一条の光のようでした。
雅楽という楽音を通して、天上に至れる道筋をおぼろげながら下されたような感覚でした。
それはいわば、啓示であったかもしれない。
そして、明らかに希望でもありました。
そして、奇跡とも言えるものだったのです。

無限ハートは、無限の空間と時間の彼方に向かって何処までも成長し拡大します。
互いに相対する黄金律が、中心の一点で重なり合うことで、無窮の拡張運動を起こし、その自然律、宇宙真理は、図形をもって「愛」であることを証しています。

同じように、 相違う管の発する音律が水も漏さぬ如く重なる時、倍音は飛び石を翔けるように上昇し、声なき声、音なき音をもって無限の宇宙空間に解き放たれ、天上の楽と化したのです。
ここに「無限音」は、「無限心」と重々無尽に重なり合ったのでした。


イラストレーションは素晴らしいオリジナルのCG画像を創作されている
岡田明さんのwebサイトより。
「 華厳経の風景」

この吉祥が、ここ無限心庵で、今起こったことは、大いなる意味がありました。

一切の事、一切の時、一切の人は、天に向かうためであることが了解できたのです。
「人生は天に帰るための旅路だった。」

これは、まほろばの使命とは何かを指し示す天の音声であったことに気付かされたのでした。




以上の事々、これは新年を寿ぐに相応しい大吉兆と受け止め、高い境地で演奏してくださった奏者の方々に深くお礼申し上げ、これを一年の計として、かしこみて新年を始めさせて戴きたいと思います。
この吉祥の事々が、形を変え姿を代えて、幾久しく皆様の頭上に下りますよう、お祈り申し上げます。

今年一年、まほろば従業員一同、精一杯力を尽くして参ります。
よろしくお付き合い戴きますよう、お願い申し上げます。
ありがとうございました。


 

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