まほろばblog

「日本一のお茶汲みになろう」

7月 2nd, 2013 at 18:31
  塩月 弥生子(95歳・茶道家)

              『致知』2013年7月号
               連載第89回「生涯現役」より

└─────────────────────────────────┘

【記者:茶道家として身を立てていかれたのはいつ頃ですか?】

三十歳を過ぎた頃ですね。

私は十六歳の時に巡り合った初恋の人と
結婚するつもりでいたのですが、
三年後に彼が胸の病気で突然亡くなってしまったんです。

もう本当にショックで、ショックで……、
いつになっても立ち直ることができず、
無気力に日々を過ごしていました。

そんな時、東京の荏原製作所の社主の長男だった
畠山不器との見合い話が持ち上がり、
私も辛い過去を忘れてしまいたい気持ちもあって、
とりあえずお目にかかろうと。

そして二十歳の時、彼の元へ嫁いだのですが、
お互いに坊ちゃん嬢ちゃん育ちできた
夫婦の生活はうまくいかず、
結婚から十年後に私は四人の子供たちを置いて、
一人家を飛び出してしまったんです。

夫といがみ合ってばかりいては、
子供にとってもよくないだろう。

まず私が独り立ちをして、その後に子供のことを考えよう、
自分の気持ちを偽らず、真っ直ぐに生きようと思ったんですね。

【記者:すぐ仕事は見つかりましたか?】

私は自分の名前を隠し、
都内にあるバラックの三畳一間に間借りをしました。

そして履歴書を書いて職業安定所に通い詰め、
やっと拾っていただいた会社で、
お茶汲みや掃除、電話の取り次ぎといった仕事を始めました。

自分には何もできないということが前提ですが、
働かせていただくからには
お茶汲み一つにしても一所懸命やろうと。

番茶は舌を焼くほどに熱く、煎茶は質に従って
上等なら温めにと淹れ方を分ける。
また、この方は二日酔いのようだからと昆布茶にしてみたり、
時には梅干しを落としてみたり。

お掃除も、ロビーにあった植木鉢の葉についた
汚れを一枚一枚きれいにしていく。

いずれのことも、茶道を通じて身につけたお作法や
接客の心得でしたが、私自身が、お茶汲みをするなら
「日本一のお茶汲みをしよう」と
一人決意していたこともありました。

それで会社の人も、これだけお茶汲みやお掃除を
一所懸命やってくれる人なら、
他の仕事を任せてもちゃんとやってくれるだろうということで、
私を接客対応担当にしてくださいました。

やがて私が裏千家の娘であることが知られだし、
会社の中でも
「昼休みに社内の女の子たちにもお茶を教えてやってほしい」
という声が挙がるようになったんです。

コメント入力欄

You must be logged in to post a comment.